第244話 閑話…お客さまはドラゴン(前編)
兄と姉が王都に行ってしまってからというもの、妹のセレスはずいぶんと甘えん坊になってしまった。側に誰かがいないと落ち着かないらしく、いつも誰かしらにくっついているのだ。
夏を迎える頃にはそういった寂しさからくる行動も落ち着いてきたが、それでもタトナトの町から何日かぶりに父が戻ってきたときなどは、それから翌日まで父にべったりになる。
完全に落ち着くにはまだ少し時間がかかるようで、両親が何か仕事をしているときは、そんなセレスの側にいて相手をするのがクロアの仕事になっていた。
「にーさまー、まだかえってこないー?」
その日のお昼過ぎ、家の前にあるベンチにて、クロアとセレスは並んで座り、森へと続く道をぼんやりと眺めながら日向ぼっこをしていた。
このベンチは家の前で兄と姉の帰りを待つようになってしまったセレスの、そしてそれに付きあわされるクロアのため、父が拵えたものである。
ベンチに座ってしばらく時間を潰すのは、すっかり二人の日課になっていた。
「まだだよー」
ぬいぐるみのレダを抱え、ぼんやりと尋ねてきたセレスにクロアは答える。
春頃は半泣きで「シアねーさまとごしゅぢんさま、いつかえってくるんでしゅか?」といつも言っていた。
来年の今頃、と言ってもセレスにはまだよくわからない。
回数で「三百回くらい日が過ぎたら」と話すと「そんなにー」と不満顔になっていた。
しかし予定は早まり、兄と姉は冬になる前にこちらに戻れるらしい。
一年勉強して冒険者になるところを、もう冒険者になってしまったので帰ってきても大丈夫なようだ。
なにやらすごい魔物をやっつけて、認められたらしい。
さすが兄さん、とクロアは思う。
「いつかえってくるんでしゅか?」
「もう半分だよ。もう半分したら帰ってくるよ」
「はんぶんー……」
この夏が終わり、季節が秋に、そして冬になる頃に兄と姉は帰ってくる――、それはクロアにとっても嬉しいこと。
セレスが寂しがりすぎてそれどころではなかったが、クロアとて二人が居なくなって寂しいのである。
セレスの問いかけはクロアにとっても誰かに尋ねたいことであり、その答えは自分へ言い聞かせるものでもある。
早く帰ってこないかな、という気持ちはセレスと同じ。
きっと明日も同じように思い、明後日も、その次の日も、二人の帰りをぼんやり待つのだろう。
そんなことをクロアは思ったが――、その日は違った。
不意に大きな影が辺りを覆う。
日差しが雲によって隠れたにしては、あまりに影が落ちるのは早かった。
なんだと空を見あげようとしたとき、二人の前に風を巻き起こしながら舞い降りるとても大きな何かが。
「「…………」」
恐怖を感じるよりも、何事か理解しきれず二人はぽかんとした。
その姿――、お話でなら知っている。
竜だ。
赤銅の鱗に体を覆われた大きな竜。
そんな竜は手につまんでいた鞄を下ろすと、伏せるように頭をなるべく低く、二人に合わせるようにしてから話しかけてきた。
「君たちがクロアとセレスかな?」
うんうんうんうん、と二人そろってうなずく。
「そうかそうか。俺はアロヴ・マーカスター。君たちの兄さんと姉さんから手紙を預かってきたのだ」
驚きの連続で二人はほぼ思考が止まっていたが、それを聞いたところで我に返って言う。
「兄さんと姉さんから!?」
「シアねーさまと、ごしゅぢんさまから!?」
「ああそうだ。……、ご主人?」
アロヴはちょっと不思議そうに首をかしげたが、
「そう言えばシア殿も主と呼んでいたな、ふむ、そういうものなのか」
一人納得してうなずく。
と、そのとき――
「……ぅぉぉぉ……」
森の奥から声がした。
それは父ロークの声で、みるみる近く、そして大きくなってゆく。
「うおおおおぉ――――ッ!」
そして森から物凄い勢いで飛びだしてきた父は、雄叫びを上げながらそのまま跳躍――、アロヴの顔面に蹴りを叩き込んだ。
「へぶっ!?」
何事だろうと様子をうかがっていたアロヴは鼻っ柱にもろに蹴りを喰らうこととなり、びっくりして顔を仰け反らせた。
その隙にロークは素早くクロアとセレスの前に立つと言う。
「二人とも、父さんが来たからにはもう安心――、じゃないな! すぐに母さんのところに行きなさい! ここは父さんが食い止める!」
「「…………?」」
背を向けたままロークは言う。
しかしクロアとセレスは森から飛びだしてきた父が、お客さんにいきなり蹴りを叩き込むという事態にただただ困惑していた。
「にいさま、とうさまどうしたの? おさけのんでるの?」
「……、あ」
ひそひそとセレスに尋ねられたとき、クロアは父が誤解をしている、という状況に思い至った。
「たぶん父さんは竜が襲ってきて、ぼくたちが食べられそうになってたと思ってるんだよ」
「ちがうよー?」
「うん、ちがうね」
誤解を解かないと、とクロアは父の服をちょいちょい引っぱる。
「クロア! 何をしている! 早くセレスを連れて母さんの所に行きなさい! 大丈夫! 父さんはわりと強いからきっと大丈夫!」
「とーさん、違うよ~! その竜のアロヴさんお客さんだよー! 兄さんと姉さんの手紙を持ってきてくれたんだよー!」
「おきゃくさまー!」
「……え?」
父がきょとんとしたところ――
「あらあら、お客さま? ……あら、これまた大きなお客さま」
家の前が騒がしくなっていることに気づいたか、母のリセリーが家から現れた。
「あ、母さん、あのね、竜のアロヴさんね、兄さんと姉さんの手紙を持ってきてくれたんだって!」
「てがみー!」
「あらあら、そうなの。――ザッファーナの方かしら?」
リセリーが言うと、アロヴは一つうなずいて自己紹介をする。
「俺はザッファーナ皇国軍所属、アロヴ・マーカスター。つい先日までベルガミア王国に派遣されておりました。ご子息とはそこで縁がありましてな、今回は急ぎの手紙と言うことで、届けにまいったわけですよ」
そう言うと、アロヴの体は光に包まれ、みるみる小さくなっていき最後には人の姿となった。
クロアとセレスはまたまた驚いて目をまんまるにしたが、一方、ロークは一度天を仰ぎ、それから肩を落とす。
「た、大変失礼を……」
「いやいや、こちらこそいらぬ誤解を与えてしまいました。子供たちの反応が面白くて、つい竜の姿のままでいたのがまずかったですな」
はっはっは、とアロヴは愉快そうに笑うが、状況がわからないリセリーは首をかしげるばかりだ。
「どうしたの?」
「えっとね、父さんね――」
とクロアはアロヴが降りたってからのことを母に伝える。
「あなた……」
「だって! だって!」
ロークは両手で顔を覆ってしゃがみ込み、ぶるぶる震えた。
「アロヴさん、勘違いとは言え、夫が失礼をしました」
「いえいえ、気にしてはおりませんので。むしろ二人を守ろうと竜に迷いなく蹴りを入れるご主人の気概には感心しましたぞ」
アロヴはそう言うと、足元の鞄から二通の手紙を取り出し、リセリーに渡した。
「はい、確かに受けとりました。でも、もしかしてこのためにわざわざこの家に?」
「ええ、ご子息の手紙はなにやら緊急のお願いという話でしたな。シア殿は近況報告のようですが」
「緊急のお願い……?」
リセリーは手紙を開いてみる。
気になるのだろう、ロークも立ちあがるとリセリーに顔を寄せるようにして覗きこむ。
「……どういうことなのかしら、これは……」
「……息子よ、訳がわからないことから始まるのは相変わらずか」
「ねえねえ、どーしたの?」
「どーしたのー?」
クロアとセレスがしがみつくようにして尋ねると、リセリーは手紙の内容を話した。
手紙にはこの森――レイヴァース領の西側にある森、ベルガミアの領地を与えられて伯爵になってしまい、このままではウォシュレット伯爵になってしまうため、家督を譲ってもらいたいという内容らしい。
「……なんで領地与えられてるんだ? いやそもそもなんでベルガミアに行ってるんだ?」
父が困った表情で言う。
母も同じく困った表情になっている。
「おや、詳しいことは書かれていないのですかな?」
「ええ、さっぱり。家督を譲ってくれってことくらいで。べつにいいけど……、譲るってどうしたらいいのかしら? なにか手続きとかあるのかしら? あなた知ってる?」
「いやー、さっぱり」
二人は仲良く首をかしげる。
「家としては一族に知らせることで、あとは譲る者が国に報告してでしょうな。その旨を記した手紙をご子息に持参させれば問題ないかと」
「ああなるほど。じゃあ家督を息子に譲るっていう手紙を書けばいいのね」
「ええ、ではそれを俺がザナーサリーまで届けましょう」
そんなアロヴの申し出に、リセリーは目をぱちくりさせる。
「どうしてそこまで息子に良くしてくれるの?」
「ご子息が偉業をなしとげたからですよ。邪神誕生以後、誰も成し遂げられなかった、スナークの討滅を」
「「…………?」」
二人は仲良く困惑した。
「スナークの討滅? 撃退ではなく、討滅?」
「いや待った待った。状況がさっぱりわからない。詳しく話を聞かないと。アロヴさん、事情を説明してもらえますか?」
「ええ、特別急ぎ――あ、ご子息は焦っていましたが、まあそれくらいは平気でしょう。俺としましても、陛下からレイヴァース家にはなるべく媚びを売っておけと言われておりますからな!」
「は、はあ……」
思いっきりぶっちゃけるアロヴにリセリーは生返事を返す。
「アロヴさん、兄さんと姉さんのお話聞かせてー!」
「きかせてくだしゃーい!」
そんな困惑続きの両親と違い、ただただ兄と姉の話を聞きたいばかりのクロアとセレスはアロヴにお願いをするのだった。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/18




