第24話 6歳(春)…クェルアーク家のお嬢さま
「では始め!」
その渋いかけ声はクェルアーク伯爵家前当主バートランから発せられた。
バートランは歳をくってはいるが大柄で見るからに偉丈夫。ほぼ白髪となった髪に、カストロ型の立派なお髭をたくわえている実に威厳のあるご老体だ。
現在、おれは木剣をかまえてひとりの少女と対峙している。
バートランの孫娘――クェルアーク伯爵令嬢。
名をミネヴィア。
おれと同い年、六歳の女の子だ。
ミネヴィアは輝くような金髪で、目は葵のような灰色がかった明るい紫をしていた。向かいあえば驚くような美しい少女ではあるが、今その瞳には爛々とした物騒な光が宿っており、おかげでちっとも美少女と向かいあっている気がしなかった。なんというか、美しい毛並みの猛獣と対峙しているような気分にさせられるのだ。それは伯爵家のお嬢さまとしていかがなものでしょうか。
まったく、どうしてこんなことに……。
△◆▽
春のその日、昼過ぎに幌付きの小さな馬車が我が家にやってきた。
去年の秋に手紙を送ってきたクェルアーク伯爵家の者たちが到着したのだ。
男爵家と伯爵家。
格はうちが下だが、だからといってなにかしら格式ばった出迎えを我が家に期待するのは無駄である。うちは貴族ではあるが、自分たちを貴族と思ってない貴族なのだ。
両親はやってきた馬車をのこのこと出迎えに行き、おれは腕にくっついた弟のクロアと一緒にそれにつづく。弟はやってきた馬にびっくりしていた。
「にーにー、うま、おーきい!」
確かに大きい。うちの馬より二回りくらい大きくたくましくごつい。
重種の、それも馬車を引く用途のための品種なんだろうと予想する。借金のかたに馬を取りあげる仕事をジジイが請け負ったときに、ちょっとだけ馬の軽種、中間種、重種についての話を聞いただけなので、本当に当てずっぽうの予想ではあるが。
そのごつい馬を走らせてきた大柄の爺さんがまずのっそりと馬車を降り、つづいて馬車の後方からぴょーんと少女が躍りでた。
「結婚式以来だな。二人とも元気そうでなにより」
「ええ、おかげさまで」
爺さんと母さんは微笑みあい、抱擁をかわす。
「もうすっかり母親か。儂が歳をとるわけだ」
「またまた、ちっとも変わってないじゃない」
談笑する様子からして仲は本当に良いらしい。
「でもどうしてこんなところまで?」
「ちょっとスナークどもが悪さをはじめているようでな」
「え? なら精霊――、あ、ああ……」
母さんはなにか疑問に思ったようだが、すぐに勝手に納得していた。
ふむ、ちょっと気になる単語を聞いたな。
スナークか。
きっとシャロ様が魔物かなんかにつけた名前なんだろう。
ただわざわざルイス・キャロルの『スナーク狩り』から名称を持ってきたとなると、きっとそれはろくでもなく、おまけにわけのわからない魔物なんだろう。もしシャロ様がアメリカ人だったらクトゥルフとか名づけてたかもしれん。
機会があればあとでスナークについて話を聞きたいところだ。
「ロークはすっかりかわったな。表情から険が消えている。そこらのゴロツキ程度には落ち着いた顔になった」
「ひでえ言いようだなおい」
嫌そうな顔になりながらも、父さんは爺さんと抱擁を交わす――
と見せかけていきなりの蹴り!
「ふん!」
だが爺さんは蹴りを無視。力強く一歩。
蹴りより速く、突きだした掌が父さんの胸板を押し、ふっ飛ばす。
「どわぁっ!」
情けない声をあげて父さんがひっくり返った。
「おいローク、だいぶなまってないか?」
「……だとしても、まずあんたがおかしい。なんだその反応」
起きあがりながら父さんはうんざりしたように呟いた。
確かにお年寄りの反応ではなかった。
「おまえなら仕掛けてくると思ってな、とりあえず何かあれば押そうと思っていただけ、反応が速く思えたのはそれだけのことだ」
だとしても、普通は蹴りが先にはいるでしょうに。
「と、ローク、子供たちが驚いてしまっているではないか。これでは儂がお父さんをいじめる悪い爺さんになってしまう。いかんいかん」
そう言うと、爺さんはにこにこしながらしゃがみこんでおれに視線をあわせた。
「兄がセクロス、弟がクロアだったな。儂は君たちの両親の古い知り合いでな、バートランという者だ。よろしくな」
バートランはにこやかに言うとおれと弟の頭をなでた。
それから立ちあがると、周囲の森をきょろきょろ見回していた少女を呼んだ。
「おいミーネ、おまえも自己紹介しなさい」
「あ。はーい」
少女はててっと駆けよってきて片足をひくと、ちょんと膝をまげて挨拶する。
おお、見よう見まねっぽいがカーテシーだ。
こんなところで生カーテシーを拝むことができるとは……。
カーテシーは跪く動作を簡略化したもの。膨らんだ型のスカート、コルセットで腰がまがらない、大きな髪飾りや帽子をつけている、そんな異様なほど着飾った女性が直面した頭を下げる動作ができないという事情によりうまれた挨拶の一種……なのだが、これはシャロ様が広めたものなのだろうか? シャロ様はこういう格式が必要な挨拶をする場に顔をだす身分の人間だったのか? それともこちらでもあちらと似たような事情があって生まれたのだろうか? こちらはカーテシーが一般的であった時代に近い世界観を持っているから、ありえない話ではない……と思う。
まあなんにしろ、おれは嬉しいのでよしとする。
できれば長いスカートをつまみあげるバージョンを見たかったが、今の少女は旅をしやすいようにズボン姿。そこはあきらめるしかない。スカートつまみあげバージョンはただ単純にスカートが邪魔だったり、地面にふれるのを防ぐためだったりするが、その仕草はとても優雅で美しいと思う。いつかメイドさんにカーテシーしてもらいたい。カーテシーを知ったのはメイドを調べていたときのついでだったしな。
「ミネヴィアよ。しばらくおせわになるから、よろしくね」
そう言って少女――ミネヴィアは微笑んだが、どこか挑戦的な表情だ。
なんだかやんちゃ坊主――ではなく、じゃじゃ馬娘っぽい気配を感じる。
ミネヴィアはふとおれから視線をはずし、今度は弟に顔をむけた。
弟はこうして家族以外の誰かと対面するのはこれが初めてになる。ダリスが最後にきたのは去年のこの時期――弟は一歳半といったところだったから、まだ家族以外の人という認識が曖昧でよくわかってなかっただろう。
クロアはちょっと驚いたようにおれの背に隠れた。
それからそーっとミネヴィアをうかがう。
弟、はじめての人見知り。
最近の弟はいろんなものに興味を覚え、きゃいきゃいとはしゃいでちょこまか走り回るようになった。生活のサイクルを覚えていく年齢だと思うが、いかんせん好奇心が優先されてしまう。見守る方が定期的におしっこがでるかどうか聞いてやらないと危ない。絵本の読み聞かせに夢中になるあまりお漏らししてしまうくらいだ。食事やお風呂よりも興味のあることを優先しようとする。それまで我を通したいときにはただ泣くだけだったのが、泣く前に主張して抵抗するようにもなった。まあ結局は泣くが。
弟は赤ちゃんから子供へと成長している。
さて、このやんちゃそうな少女との出会いは弟にどのような――
「かわいい!」
っておい!
ミネヴィアはおそるべき俊敏さでもっておれの背後にまわりこみ、弟をがっちりと捕獲していた。
突然のことに弟はびっくりして固まっちゃってるじゃないか。
「あなた、おなまえは?」
「くろあ」
「そう、クロアっていうのね。わたしはミネヴィアよ。いえる? ミーネーヴィーア」
「みーえーび、あ?」
「かわいい!」
再びミネヴィアがひしっと弟に抱きつく。
「まだうまく言えないのね。じゃあミーネ。わたしはミーネよ」
「みーね」
「そうそうミーネよ。ミーネ」
「みーね。みーね」
「はい、よくできましたー」
ミーネがよしよしと弟の頭をなでる。
褒められて弟はちょっと嬉しそうだ。
この令嬢、なんだかいきなり弟を手なずけはじめたんだがどういうことだ?
「おじいさま、わたしこの子ほしい!」
この令嬢、なんだかいきなり弟を欲しがりはじめたんだがどういうことだ!
いきなり人の弟を欲しがるとかフリーダムすぎるだろう。
というかそういうことは自分の両親に頼め。
あの爺さんでもいけんことはないだろう。
バートランは吹きだしながら言う。
「クロアはいま何歳に?」
「二歳と八ヶ月ってところよ」
「となるとミーネとは三歳ほどの差か。それくらいなら問題はないな」
「あらまあ、気の早い」
母さんとバートランの会話、おれはすぐに理解して愕然となった。
婚約とかそういう話だこれ!
なんてこった。こんな幼い弟に婚約だのなんだのと、これが貴族というものか!?
弟はわたさん!
わたさんぞーッ!
おれはとっさに弟とミネヴィアの間にわってはいる。
「弟がほしくば、まずぼくをたおすんだな!」
一瞬きょとんとするミネヴィア。
だが次の瞬間おれは見た。
すぐ目の前にあるミネヴィアの顔の、その歯を食いしばるような微笑みと、その瞳の瞳孔がゆるやかに開くのを。
「わかったわ! しょうぶよ!」
弾むような大声でミネヴィア嬢は言った。
おれは後に引けなくなった。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/18




