第234話 12歳(夏)…語らぬ理由と語れぬ理由
死んでいる?
親父さんもう死んでいる?
……?
いや、生きてますよ?
その判断にかけては、おれはたぶん誰にも負けなくなっている。
なのでもし死んでいる――死ねずにいるのなら、たぶん初対面のときに何かしら違和感を覚えたはずだ。
まあ、妙なことにはなってしまっているようだが。
おれが見守るなか、アズアーフから立ち上った瘴気は傷口へと集まり、回復魔法やポーションを使ったようにその傷がみるみる癒えていく。
「んぐ……! くっ……」
傷口が無理矢理に治癒されていく回復痛にアズアーフはうめいたが、危険な状態からは脱したようだ。
立ち上っていた瘴気が影を潜めると、アズアーフは体を起こし、跪くように片膝をついた状態でおれに向きなおる。
「見られたからには、隠しておく必要もなくなったな。それに君がスナークを滅ぼせるというのなら……、聞いてもらいたい」
まあ、大した話ではない、とアズアーフは前置きして言う。
五年前のスナークの暴争の際、四人パーティでバスカヴィルの足止めを行ったアズアーフはその際に全滅した。
薄れゆく意識――、死が近いのはわかったが、死ぬわけにはいかなかった。
ここで死ぬことなど出来なかった。
懸命に意識を保ち、死に抵抗していると――
「何かが私の中に触れた。それは例えば……、見えない手のようなものだった。それが私に触れたのだ」
その直後、アズアーフに瘴気が集まり、アズアーフは死ねなくなった。ダメージはあっても、致命傷を負ったとしても、死ぬことだけはないという状態だ。
そしてアズアーフはバスカヴィルの撃退――、ひいてはスナークの暴争の鎮圧の功績者となったのだが……、それは素直に喜べる状況ではなかった。
自らが敵であるスナークと同質となってしまったのだ。
こんな話はこれまでになく、それ故に誰もその対処法どころか今後どうなるのかすらわからない。
このまま何事もなく暮らせるのか、それともふとしたきっかけに正気を失い獣と化すか。
アズアーフはこのことを王に相談し、その話は王の判断でロールシャッハへと伝えられる。
さすがのロールシャッハも判断に困っただろう。
ベルガミアの英雄だが、いつスナークに、もしかしたらバンダースナッチのような強力な個体にもなりかねない存在となってしまったアズアーフ。
何が最善なのか? 様子見か、それともいざというときのことを考慮して『恐怖の谷』の地下にでも幽閉させておくか。
最終的にこの判断を任されたのがバートランの爺さんだ。
爺さんはアズアーフの危険度を測るために派遣された。
危険と判断され、もし殺害できるならば殺害するように、と。
これが五年前、ミーネをおれん家に預けてベルガミアへと向かった真相であるらしい。
精霊門を利用しなかったのは、もし『処理』という判断があったとき、バートランがそこにいたという事実を隠蔽するための工作だったようだ。
うちの父さんの時といい……、爺さん、あんた汚れ仕事多いな。
幸い、バートランはアズアーフを無害――、とまでは言えないが様子を見るという判断に落ち着かせた。
しかしアズアーフは安心できなかった。
自分がスナークと化してしまうのではないかという不安。
そして、それが父と娘の不和、そのきっかけとなった。
懸命に黒騎士を目指すリビラに、アズアーフは恐怖を覚えた。
いつか自分がリビラを傷つけてしまうのではないか。
なんとか正気を失うまえに瘴気領域へと旅立つことができたとしても、正気を失い舞い戻ってしまうかもしれない。そしてそのとき、ベルガミアの災いに対処しようとする騎士たちのなかに、リビラが居てしまうのではないか。
リビラは自分が――、自分こそが父を倒すと戦いを挑んでくることは容易に想像できた。
リビラに討たれるならそれでいい。
だが、逆に討ってしまうようなことは絶対にダメだ。
ああしかし、そこまでの状況にならずとも、また別の暴争の際、もしかしたらリビラすらも自分と同じような状況に陥ってしまうのではと思い至ったとき、アズアーフはもう娘が黒騎士を目指すことを認めることが出来なくなった。
騎士団長としての自分はもうそこにいなかった。
娘の身を案じるただの父親になってしまったのだ。
「スナークと関わる場所には居させたくなかった。そしていずれスナークと化す私の側にも居させるわけにはいかなかった」
「それで殿下との婚姻ですか。戦える立場でなくすために」
「そういうことだ」
「そしてリビラは家出してしまったものの、それはそれであなたの望みにそうものだったというわけですね」
追うようなことはせず、呼びもどそうともせず。
なるほどなるほど。
うなずきながらおれは立ち上がり、まだ跪いているアズアーフを見る。
うん、位置的にちょうどいい。
よし、殴ろう。
「ブラックサンダーパンチッ!」
「ぐはっ!」
黒雷を纏わせた左拳がアズアーフの顔面を捉える。
おれの拳など大したものではないが、唐突だったからかアズアーフはあっけなくすっ転がった。
「な、なにを……!?」
アズアーフは驚いた顔で起きあがる。
おれは大きく息を吸い――、そして怒鳴る。
「うっせえ! まあ確かにあんたも辛かっただろう! リビラの事を思って遠ざけようとしたんだろう! おれもあんたの状況に陥ったらどうしたらいいかなんてわかんねえ! もっと賢かったら冴えた案が浮かぶかもしんねえし、馬鹿だったら小難しいこと考えずにすんだかもしんねえと思うよ! だからこの際あんたの立場での考えはいっさい無視する! なんせ子供なもんでね!」
「ん……、お、おお?」
おれがいきなりキレだしたため、アズアーフは殴られて怒るよりも困惑してしまっている。
まあ好都合だ、言わせてもらおう。
「あんたはリビラに良かれとの行動をとったんだろうがな、リビラの気持ちを考えろ! 本戦で聞いただろう! あの歳であれだけの覚悟をしていたのに、あんたはそれを無下にした!」
「だが――」
「リビラの安全のためには、か? 確かにあんたから離れた場所にいれば安全かもしんねえな! でもな、なんで何も教えてやらねえ!」
それがアズアーフの罪となる。
「なんで正直に言ってやらねえ! スナークと戦ってほしくないと、自分の側にいるのは危ういと、どうして話してやらねえ! 何も知らせないままただ黒騎士になるのを認めないって言うだけじゃ、リビラだってどうしたらいいかわかんねえだろうが!」
「そんなことを言って、もしリビラが妙な覚悟でも決めて――」
「それを説得すんのがあんたのやるべきことだったんだろうが!」
「――ッ!?」
「言わなかったのはただの逃げだ。リビラを説得しきれないのではないかと、話し合うことすらせずにあんたは逃げた! なあ、もしあんたがスナークになって瘴気領域へと行ったとして、それを後で知ったリビラがどう感じると思うんだ?」
ああ、だから自分を遠ざけようとしていたのか――、確かにそう理解はするだろう。
しかしだ。
「想像しろよ! してくれよ! それを理解したときリビラの側にあんたは居ねえ! そのときあんたは居ねえんだよ!」
なぜ想像しなかったのか、リビラがそれをどう感じるかを。
「別れすら告げられず、喧嘩別れで、もっとあんたと居られた時間を浪費してしまった――、それを後悔しないとでも思うのか!」
無為にすごしてしまった時間を取り戻すことはできず、それが尊かったと気づくほどに自責の念は募るだろう。
「リビラがその後悔に負けてしまうとは考えなかったのか! 心が砕けてしまうとは思わなかったのか! あんたも苦しかっただろうさ、でも、そんな状態にあっても幸せであって欲しいと願った娘を想うことに手を抜くな!」
例え理解してもらえなかったとしても、それでも互いを想う気持ちはすれ違わずにすんだはずなのだから――。
「あんたは正気で、言葉を尽くすことができた! だったら言わずにすまそうと逃げるな! 言ってやれよ、さよならを! 言わせてやれよ、さよならを!」
「…………」
アズアーフはしばし瞑目し、それから口を開く。
「……そうだな、無事に戻ることができたら――」
「あ、すいません。実はもう問題は解決したので、あとはちゃんとリビラに認めずにいた理由を話すだけになってます」
「は?」
きょとんとしたアズアーフをおれは指さす。
その体からは光る粒子が立ち上り、散りながら消えていく。
「確かにあなたはスナークと同じような状態になっていたようですが死んではいませんでした。おそらく、その体が朽ちたときその魂が瘴気の影響によりスナークと化したのではないかと。なので今の内に宿った瘴気だけ祓わせてもらいました。さっきの殴りで」
「……、え?」
聞いたことが頭に入っていかないのだろうか、アズアーフは目をぱちくりしながら惚けたままだ。
「要するにですね、あなたはもう普通に死ぬようになったので、無理せずに頑張ってあの黒い犬を倒し、戻ってリビラに謝りましょうってことです。ちなみにリビラは砦にいます。あなたを追ってこっちに来てしまいました。それを追ってリクシー王子とシャンセル王女、そしてぼくたちが来たというわけです。ただ結果から言えば、リビラが来てくれたおかげでぼくがスナークを滅ぼせることがわかったわけで……、いやそもそも、リビラが家出してメイドにならなければぼくはベルガミアへ来なかったわけですし、そうなると結果的にはあなた方の親子喧嘩がベルガミアを救ったことにもなるかもしれませんね」
「――は、ははっ、……、それはまた、愉快な話だな」
苦笑いしながらアズアーフが立ちあがる。
「かばってもらっておいてなんですが、もう死なないように気をつけてくださいね。リビラからは『ととニャを助けて』とお願いされて『まかせろ』と言ってしまった手前、あなたには無事に帰ってもらわないと気まずいのです」
「わかった。では次は蹴り飛ばして助けることにしよう。しかしあの子に訳を話すのは気が重いな。あれを倒すのを躊躇う」
「いやいやいやいや」
「冗談だ」
ぬけぬけと言う。
しかし妙に厳格そうな、悲壮感すら感じさせる雰囲気はすっかりなくなっている。
きっとこれがアズアーフの本来の姿なのだろう。
と、そのとき――
「こらそこーッ、なごんでないでそろそろ手伝ってくださぁーいッ!」
ちょっとキレ気味なシアの声が飛んできた。




