第232話 12歳(夏)…子猫の願い
シアのマッサージが功を奏したのか、おれの心臓はなんとか活動を再開、事なきを得た。なんで心臓が止まったのかは、まあ黒雷を盛大に使った反動なのだろう。どうやら自分の許容範囲以上に力を使った場合、体に変調が起きるらしいが……。
「よし、大丈夫です」
シアは仰向けになったおれの胸に横顔を押しつけて心音チェックを続けていたが、ようやく安心したのだろう、顔を離すと言った。
考えてみると心臓ってのは母親のお腹の中にいる頃から働き始めているもので、死ぬまでずっと鼓動を繰り返すものである。
すごい、と感じると同時に、ある日突然止まってもおかしくないんじゃないかと思ってしまい、ちょっと恐い。
これからは心臓に優しく生きたい。
具体的にどうしたらいいかはわからんが。
胸をかっ捌かれずにすんだあと、まずミーネにお願いして柱を引っこめてもらうことにした。
アロヴが迎えに来てくれるんじゃないかと思っていたが、何故か柱の下にいてこっちに来てくれなかった。下には戦っていた者たちが大集結しているため、たぶんアロヴは事情説明かなにかしているのでこっちに来られないのだろうと推測する。
「じゃあ引っこめるね!」
ミーネは元気よく言うと柱を引っこめた。
すこん、と。
「――――ッ!?」
例えるならなんだろう。
ケーブルが切断したエレベーター?
それとも遊園地にあるフリーフォール型のアトラクション?
あ、これ死ぬ――、という単純な理解があった。
金銀は丈夫そうなので平気かもしれないが、おれは普通に大ダメージ、死ぬ。
だが数秒後、地面近くになって柱の沈下は急に鈍化し、普通のエレベーターくらいに落ち着いた。
「へぶ!?」
ほぼ落下状態だった速度からの急激な変化、おれはぺしゃんと押しつぶされることになったが、谷底へ到着と同時に中身が天に昇っていくようなことにだけはならなかった。
「はい到着!」
「ご主人さまー、大丈夫ですかー?」
「……なんとか……」
ひとまずそう言うのが精一杯で、おれは潰れたカエル状態のまますぐに起きあがることが出来なかった。
いきなりの死の予感に、動悸がバクバクと激しい。
ついさっき心臓に優しく生きていこうと決めたばかりだというのにこの有様……、そうか、おれの気構えだけでどうにかなる問題じゃないのか。
「……、ミ、ミーネ、次にこういうことがあったら……、もっとゆっくりで頼む……」
「うん? うん」
ミーネにお願いをして、おれはやっと体を起こす。
そして辺りの様子を目にすることになったのだが――
「……え、なに?」
柱があった周囲、少し空間をあけて集まっている連中が跪いていた。
黒騎士を始め、戦闘に参加した各国の兵たちも冒険者たちも、みんな揃って跪いていたのである。
あと、なんかけっこうな数の人たちが泣いてるし。
「……なにごと?」
おれのお通夜か?
いや、大丈夫ですよ、生きてますよ。
おれが状況を理解できず、ぽかんとしていたところ――
「自分の成し遂げたことをよくわかっておらんようだな」
竜の姿のまま、近くで待機していたアロヴが言う。
「卿はベルガミアの危機を救ったのだぞ?」
「あー、それはまあ、なんとなく」
「軽いな!?」
「あっ、いや、危機と言ってもこの事態はぼくが砦で小さなスナークを討滅したのがきっかけでしょう? なのでまあなんとか事態を収拾することができてよかったなと」
「うーむ、全然わかっとらんな」
そうアロヴは言うのだが、別におれの中にある死神の鎌が凄いだけでおれが凄いわけではないし、それに――
「もしかしたら今回の暴争が前回とは違った理由も、そして暴争が起こった原因も、ぼくがベルガミアに来たからではないかと考えると……、事態を収めたからといって偉そうにふんぞり返るなんてとても出来ないんですよ。むしろ申し訳なさで一杯です」
「んんー? んー……?」
そう思っていることを告げたことろ、アロヴは唸りながら首を捻り始めた。
とそこでリクシー殿下の声がする。
「だとしても、卿がスナークを討滅することのできる希有な存在であることに違いはないぞ」
見ると、副団長が跪いている連中に開けさせてできた道をリクシーはやってくる。
それに続くのはリビラとシャンセルだ。
リビラはシャンセルに襟元を吊られ、目に見えてしょんぼりな様子で連行されてくる。
やがておれの前に引っ立てられてきたリビラは、おずおずとパクっていった妖精鞄を差しだしてきた。
「ごめんニャ」
「うむ」
おれはまずそれを受け取り、それからリビラの頭をペチコンッとひっぱたく。
「んニャッ」
「まったく。次からはちゃんと許可を求めるように」
「……ニャ?」
リビラはぽかんと、まるで信じられないものを見るような表情だ。
「許してくれるニャ……?」
「鞄を持っていったことは、まあそこまで怒ってない。どちらかと言うとだな、こっそり一人で抜けだして行ったことにがっかりだ」
おれは一つため息。
「メイドの願いを聞きとどけるのも主の務め。だからな、そう抱え込まずまずは話してみろ。それとも、おれはまだおやつ係か?」
「…………」
リビラはまじまじとおれを見つめていたが――
「ニャ……、ニャーさま、お願いが……あるニャ」
これを告げていいのかと、迷いながらもリビラは言う。
「ニャーのととニャを助けてほしいニャ……!」
すがるような訴え――、これに予想はついていた。
獣剣を持っていったのは、きっと父親を助けに行きたいという気持ちに突き動かされた結果だったのだろう。けれど、リビラはそこへ行くことが出来ず、そして誰に託すこともできなかった。
でも、今はおれがいる。
「まかせろ」
△◆▽
アズアーフを助けに向かうため、おれと金銀を背に乗せたアロヴは再び空へと舞い上がる。
そして――
「あむあむ、もごごご……」
飛翔する竜の背にて、ミーネは朝食を食べ始めた。
起きてからまだ何も食べていない状況――、とは言え、こんな危機的状況にあっては食欲なんて引っ込んでいるものだろうに、ミーネのお腹はしっかりと空腹を訴えるらしく、おれに妖精鞄から何か食べる物を出してと催促してきた。
すげぇなぁ、と思いつつも、このあと頑張ってもらわないといけないお嬢さんのため、おれは手軽に食べられるものとして、二の腕くらいあるバゲットサンドを与えた。
ミーネは一生懸命齧り付いている。
食べやすいようにと、表面を軽く焼いてパリッとさせてあったのが災いし、アロヴの背中にめっちゃパンくず落ちちゃってるな……。
「向かいながら、バスカヴィルについて話しておこう!」
背中のパンくずなどつゆ知らず、アロヴは言う。
アズアーフは現在も谷を抜けた向こうでボス犬――バスカヴィルと戦い続けている。まだバスカヴィルがこちらに姿を現さない、それがアズアーフがまだ生きて戦っているという証明になるからだ。もし万が一現れてしまった場合、相手をするのはアロヴの役目となっていたらしく、バスカヴィルの詳しい情報を渡されていたようだ。
「姿はでかい犬! レイヴァース殿のように雷を操るらしいぞ!」
雷撃か――、それは金銀にとっては好都合だろう。
でもおれは普通に喰らいそうで嫌だな。
「だが雷よりも面倒なのが『縄張り』だ!」
バスカヴィルは自分を中心として、広い範囲を支配下に置くことが出来るらしい。地面は黒く染まり帯電し、奴の意志に応え様々に形を変えて襲いかかってくる。さらにその空間内も支配域らしく、侵入すれば水の中に飛びこんだように動きが鈍ってしまうと言う。
「縄張り内で戦うのは得策ではない! だが縄張りは魔技や魔法といった攻撃によって一時的に無効化できる!」
と言うことは――、自分でスペースを作りながら戦わないといけないのか、面倒な。
「基本は俺とアズアーフ殿が牽制し、レイヴァース卿が雷撃で狙い撃つようにしてくれ! 卿は要だ! ミネヴィア嬢とシア嬢はレイヴァース卿の護りを頼むぞ!」
「はい!」
「もごご……」
「聞いてる!?」
アロヴがお食事に必死なミーネを心配していたが、まあこと戦闘に関してはこのお嬢さんは平気だろう。
「さて、多少は移動しているかもしれんが、どうだろうな。その辺りに行けば自然とわかるだろうが……」
スナークとの交戦初日、まずアズアーフを谷の向こうにまで運んで行ったのがアロヴだった。
上空で群れの進行とすれ違うように飛び、こちらの存在を気づかせバスカヴィルを引き離したのだという。
自分を葬った者に執着を持つというスナークの習性、それは、また仮死を与えてくれるという期待からの執着なのだろうか。
とにかく自分と戦える存在の出現に気づいたバスカヴィルは群れから外れ、思惑通りにアズアーフのところに。
群れとの戦いとは違い、単体であるため活動停止と復活の時間管理はバスカヴィルの方が楽である。
もちろんこれは倒せるという大前提あっての話であり、実際は言うほど楽でも簡単でもない過酷な任務だ。
本来は単独での足止めではなく、腕利きが少数パーティを組んで行う仕事のようだ。五年前の戦闘ではアズアーフをリーダーとした四人パーティで戦い、撃退することが出来たらしい。
なのに、何故アズアーフが一人で戦うようになったのかは謎だ。
リビラも、リクシーやシャンセルも知らない。
いくら復活まで何時間あるといっても、戦いの場で一人となればろくに仮眠することも出来ないのでは?
せめて一人、補佐する者が欲しいだろうに。
休息時の食料や、負傷時のポーションなどはベルガミアが所有する妖精鞄を貸し出されているようなので問題ないと聞くが……。
ともかく、まずは親猫のもとへとおれたちは向かう。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/09/01
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/06/15




