第228話 閑話…戦況
スナークの防衛が行われる峡谷、そのベルガミア側を封鎖するように建造された要塞の最上部にある司令室にて、副団長のフーターグは状況報告を受けていた。
『――、強個体――、すべて撃破――』
『全スナーク――、活動停止――』
椅子に腰掛け、机に並ぶ通信用の魔道具にて報告を受けるこのフーターグこそが、現在この戦場を取り仕切る実質的な指揮官であった。
本来であれば団長こそが指揮を行うところだが、バンダースナッチを引き離すという作戦上、団長はこの要塞に留まることはできず、代わって副団長がその責務を負う。
ならば、そもそも副団長を団長とし、団長はバンダースナッチとの決戦を行う者たちを率いる特務隊長とでもすべき、という話になるのだが、その任を負う者は黒騎士のなかでも最強――つまりはベルガミアで最も強き者である必要があり、当然それは内外共に象徴であらねばならず、これに相応しい立場となると団長しかないのである。
「なんとか凌いだか……」
スナークの侵攻、第八波の終息。
怪我人は多数出ているが、幸いなことにまだ戦死者は出ていない。
もともと戦死者が出にくいようにと設計された戦い方だ。
だが、それでも前回は戦いの終盤になって戦死者がでた。
一人失われると、まるでそれが皮切りとなったように次々と戦死者は増えていった。
戦死者が出にくいようにと設計されているとはいえ、ぎりぎりの状況が継続される戦い方――、肉体的にも精神的にも疲労が蓄積される終盤、緊張の糸が切れてしまうと均衡は崩れ、しわ寄せが一気に来てしまう。
「……ふぅー……」
凌ぎきれたことにひとまず安堵し、フーターグは深々と息を吐きながら席を立つと、司令室から谷へと突き出すバルコニーへと向かう。
途中、床のあちこちにある拳大の黒い斑点――、迷い込んできたスナークを叩き落とし、踏みつぶした跡を確認する。そろそろどれかが復活するはずだが、まだ少し余裕があるようだ。
バルコニーへと出たフーターグは谷を眺めた。
多少蛇行はしているが、この場所からは瘴気領域へと伸びていく谷の様子がよく見える。
とそのとき、バルコニーに大きな影を落とす竜が現れ、すぐにその姿を人へと変えて降り立った。
戦場から帰還したアロヴである。
「おお、アロヴ殿、お怪我は?」
「ありませんよ。ふふ、このやり取りも八度目ですな」
そうアロヴは言うが、怪我を負わなかったわけではないことをフーターグは知っている。ただ傷の治りが早いだけで、例えその身を竜と化すことのできるアロヴも無傷ではいられないのだ。
第一波の後、強個体について尋ねるとアロヴは「なかなか手強い」と答えた。
この男から「手強い」との言葉が出るような相手が、このスナークの群れには三十七体いる。
「さて、ひと休みさせてもらいましょうか」
アロヴは司令室へと入り、隅にある椅子にどかっと腰掛けると、小さなテーブルに用意されてあった料理をがっつき始める。
乱雑な振る舞いのようであるが、例えここが他国の司令室であろうと、そこを自室のようにしてくつろぎ、食事や休憩をとることもアロヴには認められる。
そもそもその椅子も料理も、アロヴのために用意されていたもの。
アロヴの優遇、それは竜皇国から派遣されてきた武官という肩書きはもはや関係なく、単純な働きによる評価からだ。
掃討戦による最初の火炎放射、そしてその後、群れ最後尾から生き残りのスナークを、さらには強個体を単騎で撃破していくアロヴ。
この働きが掃討戦にかかる時間をどれだけ短縮しているか。
「俺はまだいけますが、他の者たち、特に盾はそろそろまずいようですぞ。どれだけ本人たちにその気力があろうと、盾としては明日の朝まで持つかどうか」
フーターグが室内に戻り、椅子に腰掛けたところでアロヴが言った。
第八波を凌ぎきることはできた。
しかし――、やはり疲労からの遅延はどうにもならない。
すでに休息時間は二時間に迫ろうとしている。
これでは騎士たち――、特に盾士たちに満足な休息を取らせることができない。
「前回、戦いに参加した者たちはとっくに気づいているでしょう。今回の暴争は前回とは違うと」
「そのようです。うまく言葉に出来ませんが……、勢いとしてのまとまりがあるように感じます。まるで目指すところがあるように」
前回の暴争はもっと乱雑なものであった。
しかし今回は目的地でもあるように、まとまって谷を突破しようとしている。
押す力がずっと強いのだ。
「俺たちという獲物を無視こそしないものの……、それでもそのどこかに惹かれているということですか」
「ええ、それが何と尋ねられても困るのですが」
スナークの様子がおかしい、これは確かに懸念すべき事柄ではあるが、より切実な問題があるため二の次にされる。
「応援はいつ到着しますかな?」
「早ければ今日の夕方――、遅くとも明日の朝までには」
そうフーターグは言うが、それは確定事項ではなかった。
自分たちが派遣要請された場合、どれだけの時間で他国の救援へ向かえるか考えた結果の話だ。
昨日――開戦二日目、第六波、夕方から夜にかけて行われた防衛と掃討の後、フーターグは他の五カ国、さらには諸国への救援要請の必要性を王に伝えてあった。
それから約十二時間が経過した現在、未だ救援部隊は送りこまれていないが、それも仕方のないことだ。
ベルガミア国王からの要請が各国に伝わり、誰を派遣するか、どれだけの部隊を派遣するかの決定、そしてそこから召集、さらに最前線へと送り込んですぐに戦える準備となれば、それ相応に時間を必要としてしまう。
暴争の知らせは当日に広まっただろうが、だからといって救援要請が来ると確信して部隊を編成する国などはないだろう。
これは五年前の暴争を凌ぎきった経験を持つベルガミアなのだから、という楽観視もあるだろうが、それを責めることは出来ない。
なにしろ当のベルガミアですらそう考えていたのだ。
さらに時間を必要とする要因として、精霊門がそこまで万能ではないことがある。
こちらと向こう、双方向同時の通過はできず、一旦通過されたとなれば、わずかではあるが待ち時間を必要とする。
さらに複数の門から、同時に同じ門へと通過することもできない。どちらか先に通過した者に優先権があり、一旦通過しきるまで訪れることはできないのだ。
調整なく各国から派遣される部隊が門をくぐろうとするのは混乱をきたすだけであり、まずはどの国の部隊からこちらへ来るのかという予定が組まれなければならない。
「明日の朝は厳しいですな。しかしここが崩壊していなければ、まだやりようはあります」
国により、種族により、スナークの防衛戦術は違ってくる。
特にザッファーナ皇国はそれが顕著だ。
群れの主であるバンダースナッチを引き離す、ここはまだベルガミアと同じだが、峡谷を選んでの防衛――スナークを食い止める盾などを必要としない。
まずは竜になれる者たちが一斉攻撃、その後、竜騎士の部隊が攻撃に加わり、一気に掃討、そして休息という、戦闘能力が高い種族特性を最大に活用した超攻撃的防衛戦になる。
アロヴは自国から送られてくる者次第では、この戦い方をここでやってみようと考えているらしい。
「その間、貴方には他国の部隊との連携を図ってもらい、本来の防衛戦を再開――、といければいいのですが、そのためには盾を休ませる時間が必要でしょう。十時間ほどは稼ぎたいと思うのですがね」
十時間となると、最低でも二波はスナークを蹴散らしてもらうことになる。
とそこで、アロヴはそれを行うための前提を気に掛けた。
「しつこいようですが、アズアーフ殿は本当に大丈夫なのですかな?」
すべてはただ一人、バスカヴィルと戦い続けるアズアーフが敗北しないという大前提があっての話だ。
このアロヴの問いに対する答えは変わらず、フーターグは言う。
「団長の心配はいりませんよ」
「ならば良いのですが……」
わけのわからぬものと戦う戦場だ、どのような不測の事態が起きてもおかしくなく。いくらベルガミア最強とは言えど、ただ一人でバンダースナッチと戦い続けるのは無謀以外の何物でもない、とアロヴが憂慮するのは無理もない話であった。
しかし、それでも、アズアーフが敗北することはない。
知る者が片手で足りそうなその理由、もし告げたとしたらアロヴは安堵するだろうか、それともさらに危惧するだろうか。
絶対的な希望は、同時に絶望を孕んでいるが故に――。
「ふむ……、では国からの救援が来たら、俺は勝手にやらせてもらいますぞ? すみませんな、しばらく黒騎士の活躍の場を奪ってしまうことになってしまうでしょう」
冗談めかしてアロヴは言うが、それは竜族であろうと容易い話ではない。
「貴方には心からの感謝を」
「いやいや、俺が好きにやることです。まあ国からの命令というのもありますが……、俺はこの国が気に入っているのですよ。特に、あの伯爵令嬢が」
「リビラ様ですか」
リビラは第八波掃討中に突然現れ、そしていきなり強個体に襲いかかり撃破、そしてそのまま戦い始めてしまった。
本来ならすぐ精霊門に放りこんで王都へと帰還させるべき人物なのだが――、フーターグはその力を惜しんだ。
無情な判断であった。
だがそれでも、救援が来るまで少しでも戦える者が欲しかった。
もちろん呼びつけ、絶対に無茶はするなと、消耗したらすぐに退けと言いはしたが、結局はそれだけだった。
「後で私は団長に殺されるかもしれません」
「そこはリビラ嬢に取りなしてもらうしかありませんな」
リビラはただ黒騎士と一緒に戦いたいから、という理由で戦っているのではなかった。
この状況の危うさをすでに理解しており、結果を出せる戦力だからここに残してくれと言った。
黒騎士たちの誰もが、リビラがここに居るべきではないと思っている。
しかし――、同時に居て欲しいと願っているのも事実。
これは戦力としてだけではなく、もっと別の力が今の彼女にはあるからだ。
リビラの存在は黒騎士たちの士気を高める。
盾士たちはこの少女に無様は見せられぬと、魔法隊は少しでもこの少女に立ちふさがるスナークを減らそうと、そして掃討兵は共に戦う少女に負けじと。
ゆっくりと眠ることもできず、戦い、口にねじ込むように食事をとり、つかの間の休息の後、再び戦闘という現状にあって、リビラは黒騎士たちの正気を保つのに一役買っている。
自分たちの意志、魂の拠り所となる象徴。
古参の黒騎士たちにとっては、その姿がかつての団長――シャリア団長に重なる故に。
誰もが今回の暴争は前回とは違うと気づいている。
しかし、だから、どうしろというのか?
防衛する以外に道はないのだ。
そのために自分はいる。
それが出来なければ、もはや黒騎士である意味が――、いや、生きている意味がない。
だがそう覚悟を決めた者たちであっても、守りきれないかもしれないという予感――予兆を感じてしまえば弱くなる。士気は落ちる。
そしてそれは防衛の強度に、掃討の速度に表れる。
だがリビラの存在はそれを軽減してくれるのだ。
もしリビラがいなければ、この危機的状況――、ここを落とさせてはならないというその重圧から、錯乱する者が出たとしても不思議ではなかった。
と、そこで――
「副団長! 大変です!」
血相を変えて部屋に飛びこんでくる者がいた。
「どうした!?」
「リクシー殿下がカレーの鍋からご光臨なされました!」
「……、そ、そうか」
なんということか。
とうとう緊張に耐えきれず錯乱する者が現れてしまった。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/15
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/28
※さらに文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/17




