第227話 閑話…防衛戦
スナークとの交戦三日目、二回目の夜明けが訪れた。
魔法の光源により夜闇は払われていたとはいえ、やはり日差しの中での戦いとは違うもの。
これほど夜が長いと感じることが他にあるのだろうか――、戦っていた者たちの誰もが日の光に深く感謝し、その胸をなでおろす。
朝日は優しく辺りを照らし出したが、谷の中間あたりから黒く塗りつぶされた地面はその光すら呑み込むように相変わらず真っ黒く染まっていた。
やがてその黒い澱みのなか、まるで日の光を浴びた花々が首をもたげるように立ちあがるものが現れ始める。
スナークの復活だ。
これより始まるはスナークの侵攻、第八波。
すでに黒騎士――盾士第一隊が大地の色が変わる境目、その砦側にて谷間を塞ぐように横一列になっており、その背後には同じく盾士が左右人一人分の間隔を開けつつ、ずらり縦列に並んでいた。
この谷を塞ぐ横列と、その背後に並ぶ縦列。
この陣形は首飾りに見立てられ、ベルガミア王国におけるスナーク防衛戦のための陣――『黒首飾りの陣』と呼ばれる。
第一隊は担当する防衛時間が経過したのち直ちに退き、その背後に並んでいた者がすぐさま第二隊として防衛を開始する。以後はこの繰り返しとなるのだが、すべてが順当に進むわけではなく、時間前に力尽きてしまう者も少なくはない。そのため第一隊のすぐ背後に並ぶ者は絶えず緊張を維持したまま自分が盾となるべき瞬間に備えなければならなかった。
やがて、スナークのなかにすっかりと元通りになるものが現れる。
しかし、なにをもってして元通りと言えばよいのか。
そもそもの姿があまりにも異形。
果たしてそのような形であったのか、それとも活動停止させられたあと、またねじくれて形を変えているのか、それは誰にもわからない。
今まさに立ちあがったそれ。
まずその体は渦巻くように瘴気を纏い、姿は黒く塗りつぶされている。おそらくは鹿のような草食動物、その頭を右足に、そして人と思われる手を左足とし、枝葉のある樹木の幹を胴、鳥の翼を右腕に、魚の尾を左腕にした、もはや何が何なのかわからない姿のそれ。
かつてこの世界に生きていた生物を混ぜこねた、悪質な冗談のようなそれ。
識別名などつけようもない。
どれもがどれも、それぞれに違う混ぜ方をされた、まったくもって理解不能な姿をしているのだ。
唯一共通することは瘴気を纏う理性を失ったもの――獣であるということ。
故に瘴気獣と呼ばれ、近世においてはスナークと呼ばれるもの。
邪神に魂ごと飲みこまれ、混ぜこねられてしまったが故の、悲しき姿、哀れな姿。
しかしなかには判別しやすい姿を残すものもいる。
それはこの瘴気の渦にありながらも、かつての自己をかろうじて残したもの――つまりは強い、強個体だ。そしてその最たるものが、一目でその種族を識別できるほどに姿を留めているバンダースナッチ。
五年前、そして今回のスナーク暴争、その主は犬である。
黒妖犬バスカヴィル。
スナークの暴争はこのバンダースナッチの意志に他のスナークが引きずられた結果引き起こされるもの、と結論されている。
暴争を収めるためには、バンダースナッチを殺さなければならない。
いや、殺すことなど出来ぬもの。
ただ何度も何度も活動停止に追い込んだのち、満足なのか、飽きたのか、どちらでもかまわないがただ去ってくれればそれでいい。
第七波の掃討攻撃、その最初の攻撃にて活動を停止したスナークが次々と復活をはたし、まずはのろのろと、やがて狂ったようにじたばたとのたうち、それから獲物目指して侵攻を開始する。
まずそれを押し留めるは盾士第一隊。
中には飛ぶものもいるが、盾士隊の頭上を越えることは出来ない。
黒首飾りの陣はただの陣形ではなく、盾士隊による障壁の魔技を寄り合わせて形成される結界でもある。盾士隊を打ち破らねば、この防衛線を越えることは出来ないのだ。
例え谷を上り迂回しようとしても、今度は左右の崖に陣取る者たちの弓――放たれる捕縛拘束用の網矢により地へと落とされる。
このとき、スナークを殺すほどの攻撃は行われない。
復活するまでの時間のズレを生むからだ。
そして落とすのはある程度の大きさ――放っておくと害となるもののみであり、小鳥ほどのもの――、襲ってこようと手で叩き落とし、踏みつぶせる程度のものは無視される。
盾士にとっての地獄の時間が始まった。
次々と復活し、押し寄せるスナークを押し留め続けるという苦行を通りこして拷問のような時間。
それはすべてのスナークが復活し、一気に掃討できるその瞬間が来るまで続く。
第一波の時はそれほど大変な仕事ではなかった。
谷に集まったスナークを、そのまますぐに叩けたからだ。
まずは左右の崖から谷底へと叩き込まれる魔法の一斉掃射、それから生き延びたスナークと、未だ衰えぬ強個体の破壊が行われた。
スナークは六時間ほどで復活する。
一斉掃射により破壊されたスナーク、その復活までのカウントダウンが開始された状況のなか、どれだけ早く生き残りを始末できるかが後々に響く。
第一波の掃討には一時間ほどの時間を要した。
つまりそれは、すでに休息・準備に当てられる時間が一時間減り、五時間になってしまったということ。
そして最初に倒したスナークが復活し始めても、最後に倒したスナークが復活するまでの一時間、ひたすら防衛しなければならないということ。
しかしそれは想定内。
要は今後、この五時間をどれだけ削らせず波をしのぎ続けられるかにかかっている。
そして現在、第八波。
盾士隊は二時間以上の防衛を求められていた。
しかし時間が倍になろうと、それ以上になろうと、防衛できなければすべてが終わる。
一人、峡谷の先にてバスカヴィルと戦い続けるアズアーフの苦労も無駄になる。
押し寄せるスナークは時間を追うごとに復活をはたし数を増す。
大小合わせてどれほどの数となるか、正確な数など数えようもない。
蠢く黒い濁流のごとき群れ。
充分な休息のとれぬ戦場にあって、命を振り絞るように行われる魔技の長時間使用――、例えその意志は折れていなくとも、限界を迎えて倒れる者は出てしまう。
後ろの者はすぐにその者を内側へと引きずり込み、自らがその穴を埋める。
もう立ち上がれぬほど疲労した盾士は駆けつけた救護班により陣の後方へと引きずられ、次――第九波で再び盾となれるよう休息を取らされる。
一人の盾士が倒れると、まるでそれが皮切りだったように交代時間前に力尽きる者が現れ出す。
背後に並ぶ者との忙しない交代、慌ただしく走り回る救護班。
しかし誰一人、倒れた者を責める者はいない。
責められるわけがない。
盾士はこの防衛戦において、二番目に苦しい役割をになっているのだから。
例外として責める者、それは倒れてしまったその盾士自身だ。
ただ一人――最も苦しい役割を担うアズアーフ団長を思い、このざまは何だと己を責める。
そして次は最後まで防ぎ続けると誓う。
この不屈の精神こそが盾士隊に最も求められるもの。
防衛が続き、やがて左右の崖にいる観測者からすべての強個体が復活したと報告されると、掃討の指示は直ちに下される。
まず動くのはザッファーナ竜皇国派遣武官。
竜騎士、アロヴ・マーカスター。
要塞にて待機していたアロヴは掃討開始の指示を受け、直ちに竜と化すと黒い濁流めがけて飛翔する。
「盾たちよ! よく堪えた! よくぞ堪えた!」
アロヴは盾士を讃えつつ防衛線の上空へ。
そして吐きだされるは豪炎。
アロヴは炎を吐きながらそのまま谷を進む。
スナークを炎の海に沈めながら、濁流のその終わりまで。
アロヴが通り過ぎたあと、谷左右の崖――この瞬間を祈るような気持ちで待っていた魔法隊は最大威力の攻撃魔法を谷へ雨と降らす。
もはや狙いなどつける必要はない。
ただただ谷底を魔法の効果――破壊現象で埋め尽くすべく、詠唱と発動を繰り返す。
これにはエクステラ森林連邦より派遣されたきたエルフたち――精霊守の部隊も参加。それぞれが得意とする魔法により攻撃をくわえる。
人であれば欠片すらも残らぬ圧倒的な攻撃により、活動を停止するスナークはおおよそ三分の二。
魔道士たちが魔力を振り絞り魔法攻撃をくわえたこの後、始まるのは接近戦。
門が開かれるように黒首飾りの陣が分かれ、残るスナークへと突撃するのは黒騎士――掃討部隊。さらにヴァイロ共和国からは魔剣兵が、ザッファーナ皇国からは竜騎士が、セントラフロ聖教国からの聖騎士が、メルナルディア王国からの魔導機士が参加し、召集された冒険者たちもそれに続く。
そしてその戦士たちのなかにはリビラもいた。




