第225話 閑話…恐怖の谷
王宮を抜けだしたリビラは、夜闇のなか王都を離れ精霊門へと向かった。
精霊門のある建物の周辺は今や様変わりしており、この戦いにおける兵站の要――、門の向こう側の戦線を支えるための、ひとつの物資集積場と化していた。
大量の物資と、大勢の人々。
門の向こうで戦い続ける戦士たちをささえるべく、軍の関係者以外にも召集のかからなかった冒険者や市民までもが協力して作業にあたっている。
そんな人々に紛れながら、リビラは順番に荷車へと積み込まれつづける木箱、その山の背後に回り込む。そこには空の木箱もあり、リビラはそれを山に紛れさせると潜り込み、内側から蓋を引っぱってギュッとはめ込んだ。
こうして待っていれば、いずれ荷車へと積み込まれ、精霊門の向こうへと運ばれていくだろう。
小さな隙間はあるものの、今は夜、箱の中はほぼ真っ暗。
しばらく待つことになったが、狙い通りリビラの入った箱は持ちあげられ、どかんと荷車に積み込まれる。
荷車が動き出した。やや急ぎだ。
ゴンゴンと衝撃をもろに受けることになったが仕方ない。
やがて建物へと続く舗装された道に入ったか、衝撃が小さくなる。
「補充用の矢! 通ります!」
「よし!」
叫び合うような確認の後、また荷車は動きだした。
そしてある瞬間をきっかけに集積場の喧噪は一旦途切れ、また再び喧噪が聞こえ始める。それは必要な物資がまだ来ないかと八つ当たりのように怒鳴る声であったり、運ばれている物資の確認と、運ばれるべき場所を指示する声であった。
要塞に来た、とリビラは知る。
あとは箱が下ろされたらすぐに蓋を押し開け、外に出るようにしなければ。
山と積まれる下の木箱になっては、出ようにも出られなくなる。
リビラはそのタイミングを待つが、荷車はなかなか止まらない。
しばらくすると、リビラは重力のかかる方向が斜めになるのを感じた。
「上に運ばれてるニャ……、左右の谷のどちらかに……?」
この荷車に積まれた箱の中身が補充用の矢であるなら、それも当然の話。弓は主に左右の谷からせり出すように作られた足場からスナークを狙撃するために使用される。
そして昇りが終わり、再び平坦な場所をボコンボコン揺られながら移動していく。
そしていよいよ荷車が止まり、木箱が下ろされ始めた。
三つほど置き、進み、また三つ、ということを繰り返しながら。
どうやら埋もれる心配だけはないらしい。
そしていよいよリビラの入った木箱が置かれ、タイミングを見計らって抜けだそうと考えていたところ、箱はすぐに開かれてしまった。
「ニャ!?」
一瞬、まぶしさに目が眩む。
今はまだ夜であり、日の出までにはまだしばらく時間のある時刻であったが、まばゆい輝きを放つ光球が幾つも空に浮かんでいるおかげで辺りは昼のように照らし出されていた。
「おおッ!?」
箱に隠れていたリビラを見つけることになった者は驚き唸る。
困惑顔で覗きこむのはエルフ――、武闘祭本戦でリビラと戦った森林連邦の精霊守――アウレベリトだった。
「き、君は――、レーデント嬢!? な、なぜ!?」
「すみません。居ても立ってもいられず、忍び込みました」
「忍び込んだって……、ああ、まあいい! すぐに安全な……、ひとまず砦に行きなさい! 今は掃討中だ!」
掃討――、襲い来るすべてのスナークを活動停止にさせる段階であり、ならば、いま谷底は地獄だ。
すぐそこにある谷間からは、戦う者たちの怒号と、わけのわからない音のような鳴き声が響いてきている。
リビラは立ち上がると、急いで木箱の側を跨いで抜け出る。
ざっと位置を確認してみると、ここは要塞から見て右側の崖――、アウレベリトを筆頭とした森林連邦のエルフたちが弓と魔法で攻撃をくわえる陣のようだった。
リビラはその陣を抜け、すぐ要塞へと向かい始めたが、そこで黒騎士の弓士隊に見つかった。
「リビラ様! どうしてここに!?」
「忍び込みました。すみません」
「あ……、そう……ですか。褒められたことではありませんよ?」
駆けよってきた黒騎士は複雑な表情をしたものの、すぐに改めるとリビラに言う。
「ここは比較的安全とは言え、それでもあなたが居て良い場所ではありません! 要塞へご案内します!」
掃討中に、一人とは言え持ち場を離れるのは――。
しかし、忍び込んできた自分が偉そうに言える事ではない。
ここは大人しく従うのが一番だろう。
リビラは黒騎士に先導されながら要塞へと案内されることになったが、そこでふと気づいた。
砦までの距離が思ったよりも近い。
ここは谷全体の半分ほどの位置だ。
押されている? 危うい状況なのか?
真っ黒に染まった谷底で掃討戦は続いている。
その黒さは掃討開始時、魔法による一斉攻撃によって破壊され、活動を停止しているスナークそのものだ。
一見底なしに錯覚するような暗黒の上にて、黒騎士、各国の兵、そして冒険者たちが死にものぐるいで魔法の一斉攻撃を耐えたスナークと戦っている。
スナークたちはどれもがどれも様々な生物の特徴を出鱈目に混ぜ合わせたようなわけのわからない姿をしており、そして塗りつぶされたように真っ黒だ。
そんなスナークとの戦い――、皆が特に苦戦しているのは強個体と呼ばれる強いスナークである。全体からみれば少数ではあるが、それでも何十体といて、その一体に対し十数人での戦闘が繰り広げられていた。
リビラを案内する黒騎士も、谷底での戦い――特に強個体との戦いが気になっている様子で徐々に崖側に寄っていってしまっている。
なにしろこの強個体をいかにすみやかに活動停止に叩き込むかがこの掃討の鍵になる。
この強個体を素早く倒しきることができれば、休息に当てられる時間はそれだけ延びる。しかし現実には連戦の疲れから戦士たちの動きはどうしても鈍るもの。倒すには時間がかかってしまうのだ。
そんなとき、案内をする黒騎士が不意に立ち止まる。
下では黒騎士たちが人の四肢を持つ巨大な熊に似た強個体と戦っていた。
黒騎士たちは強個体の足を狙おうとしているようだが、めちゃくちゃに腕を振り回す強個体になかなか近寄ることが出来ず、攻めあぐねている。
スナークは生物ではない。血も肉も骨もなく、ただ油を染みこませた真っ黒な砂が異様な姿を形作り襲ってきているようなもの。
故に痛みに怯まず、疲れることもなく、戸惑うような意識もない。
有効なのは強力な攻撃をくわえ、その形を壊すこと。
一度、破壊してしまえばその部位は復活するまで再生しない。
そのためまず足を攻撃して破壊し、機動力を削ぐことがスナーク戦での定石となっている。
「おおおッ!」
スナークの背後にいた黒騎士が腕をかいくぐり左足を斬りつけた。
砂袋が断ち切られたように、その足は構成していた黒い砂のようなものをまき散らし、強個体は体勢を崩して倒れこむ。
しかし、倒れながら振った腕は咄嗟に躱せなかった黒騎士の一人を掴み、握りしめた。
「ああ、まずい……ッ!」
「――ッ!」
黒騎士のその言葉を聞いたとき、リビラは自分でも想像もしていなかった行動に出る。
崖への疾走。
そして――、飛ぶ。
「リビラ様ッ!?」
驚いた黒騎士の言葉を背後に受けながら、谷の上から飛びだしたリビラは空中にて『勇者の誓い』を発動、そして妖精鞄から獣剣を引っぱりだし――
「くたばれニャァァァ――――ッ!!」
落下の勢いすべてを獣剣に乗せ、強個体へと叩き込む。
それは確かに砂の詰まった袋のような手応えだった。
並の剣、並の攻撃ならば、ろくに斬ることもできぬその体を、リビラの獣剣が叩き斬る。
叩かれた水面が左右に飛沫を吹き上げるようにスナークの体は破壊され、やがてその形を失って地面を覆う暗黒の一部となった。
活動停止に陥ったのだ。
「リ、リビラ様ッ!?」
危ういところだった黒騎士の一人が声をあげる。
「ニャ……、邪魔してすまないニャ。でも今は――、ニャーも戦うことに目を瞑って欲しいニャ」
「まだ戦ってくれるのですか!」
「――ッ!」
その言葉にリビラは震える。
黒騎士に戦うことを認められたから?
いや、違う。
黒騎士が自分にすらも戦うことを望んでしまうほど、事態が逼迫している事実に、だ。
興奮からの震え、しかしそれ以上に、危機感、焦燥感、最悪の事態を予感しての――恐怖からの震えが。
もしここが破られたらどうなるか?
さすがにベルガミアという国が滅ぶまでには至らない。
が、確実に疲弊することになる。
ここから散っていったスナークにより、各地で被害がでるだろう。
いつ、どこから襲撃があるか、そして倒したスナークがいつ復活するのか把握しきれない状況で延々と続く戦闘など絶望的なのだが――、対処法も存在する。
それはかつて、三百年ほど前まで使われていた、数であたるという方法である。
どこから来ようと、いつ復活しようと、対処してしまえる人数を揃えておくという、ごく単純な対処法。
問題は各地にそれだけの人数を揃えるのは難しく、志願兵や義勇兵でも足りないため、数を揃えるためには無理矢理にでも徴兵するしかないということである。そして各地で完全にスナークの姿が確認されなくなるまで動員した兵の任を解くことはできず、その期間、兵を養うことになる国庫には穴が空き、それを塞ぐための税により人々の生活は圧迫される。
スナークの暴争だけで国は滅びない。
しかし、その影響は国を衰退させるのだ。
だからこそここで、なんとしても抑えることが重要になる。
スナークに対し、優位に戦えるこの場所で。
「戦うニャ……、まだニャーは戦うニャ! 戦うニャ!」
リビラは言う。
黒騎士たちに向け、そして自分自身に向け。
戦わなければならない、戦わずにはいられない。
各国からの救援が来るまでは。
せめてそのときまでは。
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/28




