第219話 12歳(夏)…準決勝―第1試合(後編)
だが――、鞘が砕けようと、それでもシャンセルは試合を諦めようとしなかった。
アイス・クリエイトにより氷の刀を作りだし、果敢にリビラに挑んでいく。
だが所詮は氷。
作っては砕かれ、作っては砕かれ――
「……姉さま……」
姉たちの戦いを見守っていたユーニスが弱々しく呟く。
シャンセルはなんとか食い下がろうとするものの、もはや勝敗は決したようなものだった。
声援を送っていた観客たちも今は黙り、悲壮感すら漂う状況をただ見守るだけになっている。
なぜ王女がそこまで戦おうとするか、勝ちにこだわるか、まったく理解できない者たちからすれば、狂気めいたものすら感じるだろう。
そして何十本目の氷の刀を砕かれたとき――
「アイス・クリエイト!」
シャンセルは叫ぶが――、その手に氷の刀が生まれない。
「――ッ!?」
愕然と手を見るシャンセル。
そんな彼女に――、リビラは刀を突きつけた。
「そろそろ、棄権してはいただけませんか!」
「…………ッ!」
シャンセルはリビラを睨みつけていたが、武器もなく、魔力も使い果たしたとなれば……、もう敗北を受けいれるしかないだろう。
だが――
「――うっせえッ! うっせえよッ! ざっけんなッ!」
シャンセルは吼えた。
そして突きつけられていた刀の先をガッと握りしめる。
「ニャッ!?」
この反応に一番驚いたのはリビラだ。
とっさに刀の柄から手を放してしまう。
これは運良くシャンセルが刀を奪い返した、となるところなのだろうが――
「おまえなに手放してんだよ!」
喜ぶどころか、むしろシャンセルは怒った。
「何だよ! こんなもん無くてもあたしには負けないってのか!? あたしはその程度だって言うのか!」
憤懣やるかたないといった感じで、シャンセルは勢いにまかせてせっかく奪い返した刀を払い捨てた。
刃を握りしめての状態だ、そんなことをすれば当然ながら手のひらは切れる。
ザックリといったらしく右手からは血が滴っていたが、シャンセルはその手を見つめ――
「アイスッ! クリエイトッ!」
咆吼するように叫んだ。
「勇者の血!」
シャンセルの手に赤い――凍れる血の刀が誕生した。
魔力は尽きていなかった?
いや、尽きていたのだろう。
だが無理矢理に引きずり出した。
そんな何かを削って作りだされたであろう血の刀――凍血刀には目にしただけで感じられるような、ただならぬ気配があった。
元の世界でも血というものは宗教やら神秘学やら、とにかく特別なものとして扱われる。それは血がなくなったら死ぬ――つまり命と関わりの強いもの、という単純な理解からなのだろう。
そしてこちら――魔導学においてはもっと具体的な話になる。
血は全身をくまなく廻る。
これにより魔素――魔力も廻るのだ。
シャンセルはその血そのものを使った。
覚悟、感情、想い――そういった意志を圧縮して血の刀を生みだした。
それは一時的にではあるが、命を削ったに等しい行為だ。
いや――、今も削りつつある、か。
「おいシア、出血ってどれくらいで死ぬ?」
「えっと……」
何リットルかで死ぬとかは聞いたことがあったが、詳しくは知らなかったのでシアに尋ねた。
するとシアは体重1キロあたり血液がどれくらいあるとか話し始めたのではしょらせて大雑把に聞きだす。
「あー、じゃあ大人でだいたい2リットルです。ただこれはそれまではぜんぜん平気とかそんな話ではなくて、1リットルくらいでもう意識障害ばっちりです」
「あの血のカタナ、作るのに1リットルはいってるだろおい……」
シャンセルはもうすでに危険域。
しかしリビラに戦いを挑む。
「おいおい……!」
どうして試合は中止されない?
国王は何とも思わないのか?
……、いや、たぶん失血死しかねないことに気づいてない!
シャンセルの体から失われた血が刀となってしまっているせいで、危険な状態ということがわかりにくくなっているせいか。
「殿下、ここは試合を止めた方が!」
「ん、うむ……」
おれは進言してみるが、リクシーは厳しい顔だ。
「シャンセル王女を応援したいのはわかりますが、あれは無茶がすぎています。危険です」
「わかっている……。だが、止めようとして、あれは止まるのか?」
確かに中断させようにも、シャンセルは従いそうにない。
試合を終わらせるタイミングは、リビラが刀を突きつけたあの瞬間だった。
下手に割り込もうものなら、頭に血が上っているうえ、失血で判断力が鈍っているシャンセルに斬られかねない。
となると……、審判員に止めさせるのも酷か?
「許可をいただけたら、ぼくが止めますが」
雷撃をぶっ放すだけの簡単なお仕事だ。
しかし――
「あの、レイヴァース卿……、姉さまを止めないであげてください」
まさかのユーニスに反対された。
「姉さまは、いま、戦っています。ここで終わらされてしまうと、姉さまは負けてしまうと思うんです」
それは試合うんぬんではなく、心の方の話だろう。
それはわかる、おれにも。
なんせ予選最終日にその迷いを聞いたから。
だがその生命に危険が及ぶ状況となると話は別だろうに。
「俺は信じようと思う」
ふと、リクシーが言う。
「シャンセル王女が勝つと?」
「いや、そうではない。あれは負けるだろう」
「では大事に及ぶ前にリビラが勝ってくれると?」
さらに尋ねると、リクシーは首を振る。
「あの二人をだ。きっと、大丈夫だと」
そんな無茶苦茶な……。
無視して止めるか――、と、おれは試合場へ視線を戻す。
「あああぁぁ――――――ッ!」
シャンセルは叫びながら戦っている。
その動きは精彩を欠いていたが、しかし攻撃の瞬間だけは異様なキレを見せていた。緩慢な、気怠そうにも見える構えにすらなっていない体勢から瞬間的に放たれる攻撃。まるでそこだけ時間を飛ばしたように刀が振り抜かれているのだ。
その攻撃に危機感を抱いたか、それとも気迫に圧されたか、リビラはシャンセルから距離をとり、放置されていた獣剣の元へ。
シャンセルはそれを追わず――、いや、すぐさま追えるような状態ではないのか、ゆらゆらと、ふらつく足取りで向かっていく。
リビラが振り回すようにして獣剣を操り、そして歩み寄るシャンセル目掛け、これでお終いとばかりに繰り出した。
金属の固まりである獣剣だ、血を凍らせて作った刀など砕けるに決まっている。
だから終わり、これで終わり。
ところが――
ギャィンッ、と甲高い音が上がる。
静まっていた観客がざわめいた。
リビラのあのバカでかい剣を、シャンセルが凍血刀でもって叩き落としたのだ。
バカな――、と誰もが驚いた。
凍血刀の強度はもちろんのこと、叩き落としてみせたその力もまた異常――、単純な身体能力を越えての力の働きが関係したもの。
「身体強化……? ここにきて……? いやそれは……」
極まりだしたシャンセルに、おれはぞっと寒気を覚えた。
危ういのだ、あまりにも。
何らかの方法により精神の均衡を崩して至る変性意識状態。
乱読家のクラスメイトから聞いたのは――なんだった?
人は死に近づくことでよりいっそう自分を意識する。この度合いがさらに進むと、この意識は自己としての存在を意識することを超越してしまう。この超越は人の存在の限界を超えるものであるが故に神性を帯びる。死にゆく自己は死にゆく神となる。
確か――、そんなような話だ。
だがそれはやろうとしてはダメなことだ。
なぜなら亀は追い越され、矢は当たり前に飛んでゆく、死にゆく者が無限に神に近づくとしてもやがては死んで終わるのだ。
試合場では獣剣と凍血刀での剣戟――、いや、リビラは自分の前に獣剣を立てて盾とし、そこにシャンセルがやたらめったら攻撃をくわえているという状況だ。
鳴り響く金属音の合間に聞こえるのは二人の叫び合う声。
「も、もう止めるニャ! 無茶しすぎニャ!」
「止めたきゃな……! おまえが! 降参しろぉ!」
「……ッ!?」
体を張ってどころか、命をかけて止めにくるシャンセルにリビラは圧されている。
さすがに、どうしてそこまでシャンセルが頑張ってしまうのか、リビラにもわかるだろう。
ただの勝ち負けではなく、それ以上に伝えたいことを。
黒騎士を目指し父親に挑もうとする自分をどうしてそこまで止めようとするか、わかるだろう。
「何で! 何にも言わずに出ていった!」
叫びながらシャンセルは凍血刀を振る。
「何でだよ! せめて何か言ってから行けよ!」
リビラは防御に徹している。
「つか誘えよ! あたしも!」
「王女がなに言ってんニャ!」
「うっせえ! こんなときだけ王女扱いすんな!」
会話だけならただの姉妹喧嘩。
「べつにいいだろ! 黒騎士になんなくても!」
シャンセルは、リビラを追い詰めて本音を吐きださせる予定が、もう自分からぶちまけ始めてしまっていた。
「おまえが黒騎士になって戦いに行く必要なんてないだろ! おまえだってほとんど王女みてーなもんじゃねえか! なのになんでわざわざ戦おうとするんだよ!」
「そ、それは――」
「伯父貴に認められて黒騎士になることがそんなに大事なのかよ! そんなに意味のあることなのかよ! だったら言えよ! 言ってくれよ! あたしにはそれがわかんねえんだよ!」
「…………ッ!」
試合で優勢なのはリビラだ。
シャンセルはいつ崩れ落ちてもおかしくない。
だがリビラはシャンセルの叫び――気持ちの吐露に圧されている。
それはそのことを気に掛けている、言うべきことがある、という証左だろう。
もしリビラが本当に黒騎士になることを優先し、シャンセルなど知ったことではないと言うなら、もっとあっさりと試合は終わってしまっているはずなのだ。
言うか、言わないか、言っていいのか、言わない方がいいのか、その迷いがリビラの動きを鈍らせている。
だが、もうすぐにでもシャンセルは止めるべきであり、目の前で砕けかけている従妹のため――リビラは叫んだ。
「勇者の誓い!」
腕だけに留まっていた光がリビラの全身を包む。
そしてその状態で振るわれる――
「牙砕き!」
強打系魔技。
ぶつかり合う獣剣と凍血刀。
結果――、凍血刀が粉々に砕け散った。
「――ま、まだ! まだだッ!」
粉々になり舞う、赤き結晶――。
一瞬シャンセルは惚けたが、すぐに叫ぶと右手をつきだした。
また血を使っての刀を作りだそうとする。
だが、もうそれはダメだ。
それは確実に致死量に至る。
ポーションだの回復魔法だのは、失った血液を補充してくれるほど便利なものではない。
「アイス――」
叫ぼうとするシャンセル。
だがそのとき、リビラが獣剣を地面に叩きつけ、轟音を響かせてから意を決したように吼えた。
「ニャーが産まれて――、ははニャが死んだ!」
「――ッ!?」
リビラが叫んだ内容に、再び凍血刀を作りだそうとしていたシャンセルが驚いて動きを止める。
「ははニャは黒騎士の団長さんだったニャ! なら! ははニャから命をもらったニャーも、それくらいにはなってみせないとおかしいニャ! ニャーは黒騎士の団長にならなきゃいけないのニャ! ニャーにはそれだけの価値があったと、ははニャに証明してみせなきゃなんねーのニャ!」
リビラの咆吼に闘技場は静まりかえった。
響く声は従姉妹たちのものに。
「で、でも! でもだからって、今おまえが黒騎士になって戦いに行く必要まではないだろ! 急ぐ必要はないだろ! いずれそこを目指すってんならあたしだって応援するよ! でも今は――」
「妹の住む国を守ろうとしてなにが悪いニャ!」
「――――ッ!?」
なるほど、それか。
それがそのズタボロの手に握りしめていたものか。
そう納得すると同時に腑に落ちることがあった。
おれはこの国に来る前――ひと月ほど前にこの答えのヒントを得ていたのだ。
リビラがウォシュレットに強い興味を示したのは、究極的にはこの国を思ってだ。
あとはどこからその愛国心が来たか――、と言う話。
なるほど、実はとても単純な話だったのだ。
あの姉妹のぶつかり合いは、結局のところ互いを思っての意地の張り合い。どちらも間違ったことは言っておらず、ならばもう、あとは相手を思いやる気持ちを拳に乗せての殴り合い――賢者の大喧嘩しかなかった。
そしてその大喧嘩の結末は――
「……ッ! ――……ッ!」
シャンセルの伸ばしていた右手が下がり、左手で目を覆う。
勝敗は――決した。
「審判! とっととこいつを棄権させて治療するニャ! まったく世話が焼けるニャ!」
リビラの声に審判員が駆けより、まずはポーションでもってシャンセルの傷を治した。
そして宣言を。
『勝者! リビラ選手!』
これに観客の反応はと言うと――誰も彼もがにやにやしながら拍手を送るという、これまでとはちょっと違ったものになった。
「なんニャ! なに見てやがんニャ! 見世物じゃねえニャ!」
そしてリビラは観客にキレていた。
H-32様、レビューありがとうございます!
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/24




