第187話 12歳(夏)…狼兄貴と親猫
「卿の発明したあのウォシュレットなのだがな、噂ではさらに快適さを追求したものを開発しているという話ではないか」
「え……、ええ、まあ、はい」
お話会の閉会が宣言されたあと、おれはリクシー王子に少し話があるからと一人居残りを命じられた。
部屋に戻って冒険の書の続きを始めるつもりだったのに……。
「一体どのようなものになるのか聞いておきたくてな」
「え、えっとですね……」
では何の話かと思えば、おれがこの国に招待されることになった発端――ウォシュレットについてであった。
てっきりレーデント伯爵家の親猫子猫の不和についての相談かなにかだと思ったのに……、どういうことだ。
しかし相手は一国の王子なわけで、邪険にするわけにもいかずおれはまだ構想段階の高機能版ウォシュレットについての説明をする。
「便座を常に温かくしておく……!? さらには水ではなく温い湯を射出するだと……!? それに快適な音楽……!? 馬鹿な!? そんなもの、いつまでも居座ってしまうではないか……!」
「寝床と風呂、便所は快適であるべきというのが信条でして」
「ふむ、確かに。快適であればあるほど良いな、それは」
なんでおれは他国に来てその国の第一王子に便器の強化パーツについて熱心に解説しているのだろうとちょっと切なくなった。
「ふーむ、やはり卿はいいな。どうだ、やはり妹を妻にしてベルガミアへ来ぬか? 確かレイヴァース男爵領は我が国の王領と接していたな、あの辺りの土地を与えるぞ? そうだな、ウォシュレット領とでも名づけて」
なにそれ超欲しくねえ。
もしまかり間違って受けとったらおれの名前がえらいことになんじゃねえか。
「まあいきなりで戸惑うだろうから、今は話だけにしておこう。だが検討はしておいてくれ」
はっはっはー、と笑いながらリクシー王子は去った。
ベルガミアの貴族から娘の押し売りをされるだろうとシャンセル王女は予想していたが、まさか自分の兄が自分を押し売ろうとするとは読めなかったようだ。
「……さて、戻るか」
どっと疲れたものの、気を取り直す。
部屋では遊び盛りの金銀ワンワンニャーが待っているだろうしな。
しかし――
「少しよいかな?」
そっとおれに声をかけてくる男性がいた。
体格の良い猫族の――、と、そこで気づく。
「もしかしてあなたは――」
「私はアズアーフ。リビラの父だ」
やはりか。
厳めしい顔つきや、その体格以上に――、まるで巨大な巌を前にしているような威圧感を放つところはリビラと似ても似つかない。
が、淡い緑みのある明るい黄色の髪や、橙の瞳など、この辺りの特徴はリビラそのままだ。
さて、こうして親父さんと対面したわけだが……。
「時間を取らせてすまないね。しかし、あの子がいるところで話しかけてはややこしくなってしまうと思ったのだ。ああいや、難しい話をしようというのではなくてね、君にはお礼を言っておかなくてはならないと思っただけのことなのだ」
「え、あ、お礼……?」
「うむ。あの子は君が創設したメイド学校でお世話になっているのだろう?」
「あー、どちらかと言うとお世話になっているのはぼくの方……、あれ、ご存じなのですか?」
「バートラン殿から手紙があってね。弟子入りに来たからメイド学校で働かせることにしたと。メイドについて正確には把握できなかったのだが、おそらく侍女のようなものと解釈したが、よいかな?」
「え、ええ、簡単に言うとそうなります」
「ちゃんと働いているかね? 隙あらばごろごろしていたりはしないかね?」
「ちゃんと働いてくれていますよ」
だが隙あらばごろごろしている。
そこを危惧するのはさすが父親か。
「そうか。ちゃんと働いているのか。私はてっきりふてくされてごろごろする生活を送っているのではないかと心配していたが、そうか」
うむうむ、とアズアーフはうなずく。
「案外、メイド学校での生活が気に入っているのかもしれないな。あの子はやる気がない時はひたすらごろごろするばかりだが、やり甲斐を感じると途端に精力的になってね、止めるのも聞かず夢中で打ち込むようになる」
うーん、そのリビラはまだ見たことねえな。
「あの子が家出した理由は聞いたかね?」
「え。あ、はい。黒騎士になるのを認めてもらえないので、と聞きましたが……」
「そうなのだ。私や妻が黒騎士であったため、あの子は妙に憧れてしまってね、しかし……、若干の現実味を帯びてきた時に思ったのだ、なにもわざわざ危ない職を目指す必要もないだろうと」
まあそれは普通の親心だろう。
実際に黒騎士であり、さらには団長、そして五年前にはスナークの暴争を経験、上位スナークたるバンダースナッチを撃退した人だから余計に関わらせたくないというのもあるだろう。
「ひねくれ者で頑固者、努力家ではあるがサボり屋、そして激情家とくる。しかし根は素直で優しい子なのだ。ただそれを表に出すのが苦手で……、いや、それが問題なのか? そう言えば妻も……?」
語り始めて、アズアーフは額に手をやる。
娘の良さを語ろうとしたものの、うまくいかず悩み始めてしまった。
この親父さん、いったい何を話したくて来たのかいまいちよくわからんな。
娘の近況を聞きに来たというのもちょっと違うようだし――
「――?」
そこでふと閃く。
親父さん、リビラをおれの妻にどうかと薦めるつもりなのでは?
気づいたのは妙に妹を妻にと勧めてきたリクシー王子のおかげだ。
いや、もしかするとリビラの親父さんがこうして現れ、この話題を切りだすと予想していたからこその……、おれが気づくようにとのお膳立てだったのだろうか?
とすればおれが一人残るよう仕向けたのも、親父さんが話しかけてくる機会を作るため?
うーむ、狙ったとしたらあの王子、なかなかくせ者だな。
この回りくどい仕掛けに気づく者なら、自分の狙いも察してくれると期待しているのではなかろうか?
狙い――、つまりそれは親父さんがリビラの目標に反対する一番の理由、それに当たりをつけることなのだろうが、しかしそんなもんどうしろと。
ひとまずおれは情報を整理する。
親父さんはリビラに黒騎士を断念させるため、誰かに嫁がせようと考えている。
最初はリクシー王子だった。
婚約話は提案程度で結局はうやむやになったが、ここでひょっこりおれ登場。そこでリクシーはおれが親父さんの次のターゲットになると予想した。
リクシーはなんとなく察していたのではないか。
要はある程度信頼の置ける相手なら婚約相手は誰でもいいのだと。
となると婚約話が出てきてもおかしくないこの状況は王子の仮説、その実証でもあるのか。
ふむ、黒騎士にさせないための方法は他にもあるだろうに、わざわざ一度は大失敗した結婚で攻めるあたり、親父さんにとってはなにか特別な意味があるのではないだろうか。
親父さんは今し方、わざわざ危ない職を目指す必要もないだろうと言っていたが、その親心がどうして婚約を勧めるといった行動になってしまっているのか。
婚約――、結婚――、こっちの世界だと、おれたちくらいの年齢で親元から離れて嫁ぐといった話も――……、ああ?
「あの、一つ質問してよろしいですか?」
「ん? 何かね?」
「どうしてリビラ嬢を遠くに置きたがっているのですか?」
「――ッ!?」
アズアーフの表情に微かな驚きがあった。
しかし――
「いや、別に距離を置きたがっているわけではないよ。ただ、娘というものはいずれ父親の元から去っていくもの……」
落ち着いた声で答えられる。
だが、何の話と怪訝な顔をするならまだしも、これでは否定しているようで肯定しているようなもの。
それは親父さんも気づいたか――
「すまないが、これからもあの子の面倒を見てやってくれ」
話を切りあげるようにそう言い残し、踵を返して立ち去っていった。
「うーむ……」
リビラがメイド学校にいる状況、それは親父さんにとって望ましい状況だったのかもしれない。
となると気になるのはその状況を作ったバートランの爺さんだ。
爺さんはアズアーフの意を汲んでリビラの弟子入りを拒否し、黒騎士と関係の薄くなるメイド学校に放りこんだのではないか?
「まあ、戻ったら聞いてみるか」
一人になったおれはもうここにいても仕方ないので部屋へと戻る。
歩きながら、我が子を遠くに置かなければならない理由について少し考えてみたが、はっきりとした答えはでなかった。
「あ、戻ってきた! 早く早く、用意できてるわよ!」
部屋へ戻ってみると、皆はすでに準備万端で冒険の書の再開を待っていた。
「ダンナー、兄貴に妙なこと言われなかったか?」
「妙ではないとは思う。うん」
ではさっそく冒険の書を再開といこうとしたが――
「ご主人さま、ちょっと具合悪かったりします?」
ふと、顔を覗きこむようにしてシアが言う。
「べつに。ただちょっと肉の食べ過ぎで調子がな」
「そうですか、ならいいんですが」
そう言ってシアはすんなり引き下がる。
うん、具合が悪いなんてことは特にないのだ。
ただ少し、余計なことを考えただけだ。
※誤字を修正しました。
ありがとうございます。
2018/12/12
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/22
※さらに文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/02/09




