第16話 4歳(夏)…弟の誕生
両親の英才教育は継続されたが、さすがに冬の森での訓練は体がもたないと判断されて中止された。そのかわり、冬のあいだは部屋や庭先で学べることを叩きこまれた。さまざまなロープの結び方、ナイフの使い方、ナイフを使って木を削り道具を作る手順、火のおこし方などをひたすら練習し、自然にこなせるようになるまでくりかえした。
春になって野外訓練は再開されたが、ローク父さんはときどきでかけて三日ほど家に帰らないようになった。というのもこの森の屋敷から近くの町にでかけ、リセリー母さんを診察してもらうための医者を連れてくる仕事ができたためだ。
おれの弟妹は順調に育っているらしい。
出産の時期は秋ごろ、とのこと。
やがて夏の終わりにさしかかったころ、父さんは依頼していた産婆をつれて町からもどってきた。母さんが産気づいてから町へいっても間に合うわけないので、産婆には事前にここで生活していてもらうということらしい。
「おやおや、大きくなったねぇ」
年齢は五十歳くらいだろうか、恰幅がよく快活そうなおばさんだ。
産婆はおれの頭をがしがしなでながら言う。
「あんたは初泣きがすんごい大声だったからね、よく覚えてるよ」
ああ、神を呪ったときのあれ……。
なるほど、ってことはおれを取りあげたのもこの人なわけか。
「あたしの名前はハンサっていうんだけどね、まあお婆ちゃんと呼んどきな」
お婆ちゃんというほどの歳ではないように思うが……、こっちだと平均年齢とかの関係でこれくらいでお婆さんなのだろうか? まあ本人が言うんならそう呼ぶが。
「おばあちゃん」
「あいよ!」
ホントに軽快な人だなおい。
「あの、弟か妹を、よろしくおねがいします」
「ほわ!?」
おれがお願いをしたらハンサ婆さんが驚いた。
はて、妙なことはいってないと思うが……?
「あんたいくつだっけ?」
「よっつ」
「四歳か……、あたし産婆やって何十年だけど四歳の子に頼まれたのは初めてだよ」
あ、そっか、この人は普通の子供にくわしい人だ。
そりゃおれの違和感に気づくか。
「はぁー、普通これくらいの子は出産とかよくわかってないのに、この子ったらあたしの仕事までなんとなくわかってんだね。凄いねぇ、将来が楽しみだね」
そう言って、ハンサ婆さんはまたおれの頭をがしがしとなでる。
「まかせときな! あんたの弟妹はあたしがなんとしても無事に取りあげるからね!」
頼もしいお言葉だ。
出産とか、おれじゃ本当になんの手伝いもできないからな、この人に頼むしかない。
どうかおれの弟妹――希望を、頼みます。
△◆▽
さて、こうしてハンサ婆さんを迎えての生活がはじまったわけだが――
「いやいやいやおかしいから! あんたら四歳の子をどんだけ鍛えようとしてんのよ!?」
数日で両親の自覚なきスパルタ教育が発覚することになった。
「リセリー、あんたの魔法の話はもうなに言ってるのかさっぱりだし、ローク、あんたはまだ幼い子を森に放りだしてくるとか無茶すぎだよ」
母さんの授業は相変わらずだったが、父さんの訓練は予想通り独力帰還にランクアップをはたしていた。さすがに身をひそめて見守っているらしいが。
たぶん次は父さんとのハイド&シークだろうな。
「いやまあ、この子がそれをこなしちまってるってのもあるが、普通、これくらいの子はやっとこさ喋りはじめたくらいで、それだってよーく聞いてないとなんのことを言いたいのかわかんなかったりするくらいなんだ。それに我が侭をはじめる頃でね、ことあるごとに駄々をこねて駄目となると泣くんだよ。なのに、あたしここに来てからこの子が泣くところまだ見てないってのはどういうことだい」
ハンサ婆さんがため息をつく。
「この子が凄いのはわかる。だから色々教えこみたくなるのもね。でもこれくらいの子は好き勝手に遊ぶのが仕事なんだ。だからこの子が自由に好きなことをする時間をちゃんと残しておかないと駄目だよ。そうだね、昼までの時間を交代で教えるようにして、昼からはこの子の好きにさせてやりな」
このハンサ婆さんの提案を、両親は素直に承諾した。
この人は人生の先輩でもあり、子育ての先輩でもあり、そしておれを取りあげた恩人である。そんな人にガツンと言われてしまっては、両親もしたがわざるをえない。
というかすんなり納得するあたり、詰めこみすぎってうすうす気づいてたんじゃね?
とにかくハンサ婆さんのおかげでおれに自由時間ができた。
△◆▽
そして秋――、いよいよ母さんが産気づいた。
事前にしておいた打ち合わせどおり、おれと父さんはてきぱきとお湯を沸かしたり、清潔な布を用意して部屋に運びこむ。
そして追いだされる。
あとはおれも父さんも祈るだけである。
落ち着けずうろうろと家の中や外を歩きまわる。同じように徘徊している父さんと何度も遭遇して男の子か女の子かの議論をかわし、そしてまた徘徊を始めるというまったく意味のない行動を続けること六時間あまり……
かすかに聞こえた。
ホギャホギャという産声が。
「――ッ!?」
部屋へ大急ぎですっ飛んでいく。
父さんはすでにいた。
だがまだ部屋には入れてもらえず、やきもきしている。
やがて泣き声がおさまり、しばらくしてハンサ婆さんがドアをあけてのっそりでてくる。
「元気な男の子だよ」
言って、父さんの背中をバーンと叩き、おれの頭をがしがしなでる。
「おおぉ、ありがとう! ありがとう!」
父さんはハンサ婆さんの手をとって振りまわすように握手すると、忍び込みでもするようにそーっとはいっていた。
「おばあちゃん、ありがとう」
「あいよ」
おれも礼をいって部屋へはいる。
ベッドで横になっている母さんのすぐ隣に、やわらかい白の布にそっとくるまれた赤ん坊がいる。父さんはかたわらにしゃがみこんで、うっとりした顔で二人目の息子を眺めていた。
生まれたての弟はちっちゃいおれからしてもちっちゃかった。
あとあんまり可愛くねえ。
いかん、これでは語弊がある。
違うんだ弟よ、可愛くないわけではないのだ。ただ生まれたてだからかなんかすごくむくんでて、手がしわしわで、眉もほとんどないし、目はほぼ閉じてるし、見た感じがなんていうかお迎えの近いお爺ちゃんっぽいんだ。マジで産まれたばっかりの赤ん坊なんて見るのはじめてだから驚いたってのもあるんだよ。
「ほーらクロア、お父さんだぞー」
父さんはさっそく呼びかけている。
もちろん弟のクロアはそれに反応できるわけもなく、両手をもじもじ、顔をもにゅもにゅさせるので忙しそうだ。
とにかく無事に産まれてきてよかった。
よかったよかった。
△◆▽
ハンサ婆さんは弟のクロアの状態が落ち着くまでもうすこしここにいて手伝ってくれるそうだ。クロアはまだ生活のサイクルが整っておらず、とにかく寝る、授乳、寝る、を数時間ごとにくりかえしている。母さんもそれにつきあって、クロアが寝たら仮眠、起きたらお乳をあげて、そしてまた仮眠という状態。もちろんそれも安定しておらず、おねしょすれば起きて泣き出すし、なかなか寝付かなかったりと不規則なのだ。
ちっちゃいとはいえ、ずっとクロアを抱えているのは大変な仕事である。肩がへんなこりかたをするそうだ。そこは父さんやハンサ婆さんが交代して母さんに休んでもらっていた。残念なことに、おれにできることは本当になにもなかった。無念。
産まれてから一週間もするとむくみもおさまり、なんとなくおれが知っている赤ちゃんぽい赤ちゃんになった。すべすべお肌のぷにぷにした赤ちゃんだ。ちゃんと瞼がひらいて瞳がみえるようになった。瞳の色は父さん似か? 髪の色もそれっぽい茶色だった。
よしよし、だいぶだいぶ育ったな。
なら、そろそろいいだろうか?
おれは両親やハンサ婆さんがはなれている隙にクロアにそっと囁く。
「グッバイ、サヨナラ、サイツェン、アディオス……」
あっちの言葉である。
もしかしたら弟もおれみたいな転生者なんじゃないかと思ったのだ。
とりあえず思いついた各国の言葉をいってみたわけだが……弟に反応はない。
杞憂だったか?
いや、まだ油断できない。
いきなりで戸惑い、転生者であることを隠しているかもしれない。
おれはそれからちょくちょく思いつくあちらの言語でクロアに喋りかけた。
そして――ある日、おれは気づいたのだ。
これって〈炯眼〉使えばいいんじゃね、と!
うん、すっかり存在を忘れてたんだ。
自分と両親に使って以来、二年くらい使う機会がなかったからしかたないよね。
では弟をちょっと調べてみよう!
《クロア・レイヴァース》
【称号】〈レイヴァース家の次男〉
【神威】〈善神の加護〉
【身体資質】……優。
【天賦才覚】……有。
【魔導素質】……有。
秘蹟はなかったが……才能ががががっ!
これはあれか、両親のいいとこ取りか。
やべえ、弟は天才だ。
下手すると数年後にはダメ兄貴として蔑まれるパターンだこれ。
よし、すごく可愛がっておこう!
もともと可愛がるつもりだったが、よりいっそう可愛がることにしよう!




