第151話 11歳(春)…九日間の男の子
寝室のベッドで目を覚ますと不思議と気分がよかった。
何か良い夢でも見ていたのかもしれない。
残念ながら内容はさっぱり思い出すことはできなかったが、幸せな気分だけが温もりのように残っていた。
「んー……、ん? 何やってんだこいつ?」
横向きの体勢から体を起こすと、背中側に並ぶように寝ていたシアに気づいた。口が半開きの間抜けな寝顔である。よだれがてろんと垂れているのがよけいに間抜け具合に拍車をかけていた。
「――いや、ちょっと待て。あれ? あれぇ?」
不意に違和感を覚え、眠る前の記憶をたどろうとする。
すると思いだせたのはコボルト王を討伐した直後までで、その後の記憶は断絶しており、あの後どうなったのかがまったくわからない。
おれはあそこで意識を失いでもしたのだろうか?
気絶したまま王都に運ばれてこの自室で寝かされていた?
とすると――、森から目的地のカダックへ、それから王都へと、少なくとも三日、四日は眠りっぱなしだったことになる。
だがそれほど長く眠り続けたにしては妙に清々しい気分だ。
体の調子もよく、意識の混濁もない。
ちょっと昼寝をして目を覚ましたような快適な状態である。
「んー……」
シアを叩き起こして話を聞こうと考えたが、やけに気持ちよさそうに眠っているので起こすのは躊躇われた。何日経過しているのかはわからないが、おれの感覚ではついさっきまでこいつは王種と死闘を繰りひろげていたのだ。
眠らせておこう。
話はメイドたちに聞けばいい。
シアをベッドから床に転げ落とすのはやめ、おれはシアを起こさないようにそっとベッドから降りる。
と――
「……うーん?」
おれのわずかな動作が伝わりシアが目を覚ましてしまう。
「……ごしゅじんさまー、どーしましたかー?」
まだちょっと寝ぼけたような様子で、顔をもにゅもにゅしながらシアが言う。のそのそと体を起こし、ぺたんとした女の子座りでベッドに鎮座する。
「お腹がすきましたか? それとも、おしっこ出ちゃいます?」
「え?」
尋ねられたことにちょっとびっくりする。
なに言ってんのおまえ……。
あ、もしかして寝ぼけておれをクロアと勘違いしているのか?
そう考えると今のシアの状態に納得できた。
シアは普段の百面相ではなく、ただただ優しい微笑みを浮かべている。クロアやセレスが懐いてしまうのもなんとなくわかる。
「あー、いや、お腹はすいてない。……あれ? 何でだ?」
何日も眠り続け、何も食べない状態だったのに空腹感がない。
不思議に思って首をかしげたところ――
「あれ!?」
シアが驚いたような声をあげた。
「あれ!? あれ!? ご主人さま!?」
「お、おう。おは――」
「にぎゃあああぁぁ――――――――ッ!!」
おはようと言いかけたところでシアが奇声を発し、ベッドから飛び降りたと思ったらそのまま跳躍――、窓をぶち破って飛びだした。
「おおぅッ!?」
ちょっと待ておまえどうした!?
が、問いかけようにもシアはすでに居ない。
ここ二階なんだけどとは思ったが、シアなら特に問題はないか。
驚いたまま窓に寄ると、シアは奇声を発しながらメイド学校の敷地からすごい勢いで飛びだして行くところだった。
「いや、ホント、何がどうした……」
おれをクロアと勘違いしていたことを恥ずかしがった?
それにしても大袈裟すぎるような……。
「わからん……」
何がどうなっているのやら。
困惑しつつもおれは遠征訓練がどうなったのか誰かに聞こうと部屋から出る。
すると廊下をやってくるサリスを見つけた。
「ご主人様、シアさんの悲鳴が聞こえましたがどうしたんですか?」
「あ、えっと……」
答えようが無くて言葉につまる。
そんなのシアに尋ねてほしい。
「お昼寝に飽きたからって、ご主人様がなにか悪戯をしたんじゃないですか? 駄目ですよ、あんまりシアさんをからかっては」
「……?」
妙なことを言われて思わず困惑する。
サリスはまるで年下の子供をたしなめるような口調で言い、それからおもむろにおれの頭に触れた。
手のひらで髪を押さえ、それからぱっと離す。
押さえて、ぱっと離す。
「む、すごい寝癖になってますね……。来てください、直してあげますから。あ、身だしなみを整えられたらおやつにしましょうね」
にこにことしながらサリスはおれの手をとって連れていこうとするのだが、おれはますます混乱して立ちつくすばかりだった。
何かがおかしい。
シアもサリスもその口調や行動が記憶と食い違う。
おれが寝ている間に革命でも起きたのか?
「あ、あの、サリスさん、ちょっとお尋ねしたいんですけども……」
「え?」
おそるおそる話しかけると、おれの手を引いて歩きだそうとしていたサリスがぴたりと動きを止めた。
サリスはしばしぽかんとした顔でおれを眺めていたが――
「ふん!」
繋いでいた手を即座に振り払う。
状況はまったく理解できないものの、その行動は「なに手ぇ繋いどんじゃボケェ!」と言われたような気がしてちょっと傷ついた。
サリスはそれから張り手のように手を突き出して言った。
「待った! ちょっと待った! やり直します!」
「へ?」
困惑するおれを置き去りにサリスはすごい勢いで廊下の向こうまで走っていき、角を曲がって見えなくなる。
と思ったら、何事もなかったかのように角から姿を現し、しずしずとお淑やかな感じでこちらへと戻ってきた。
「あ、ご主人様、お目覚めになられましたか」
「いやいやいやサリスさん、それはちょっと無理ですよ?」
本当にやり直されてびっくりだ。
もう誤魔化しようがないと覚ったか、サリスはくっと目を瞑り天を仰ぐ。
そう言えばサリスはちゃんとした自分しか見せたくないって母親から聞いたっけ。
どうやらすまないことをしてしまったようだ。
でも、おれ悪くないよね?
「ご主人様、今のやりとりは忘れてください」
「え、あ、うん、わかった。忘れる」
「ありがとうございます」
ふう、とサリスはひと息つき、それが意識の切り替えだったのだろう、そこにはいつものサリスがたたずんでいた。
「なるほど、シアさんの悲鳴の理由がわかりました」
「おれはまったくわからないんだけど、どういうこと?」
わかったなら是非とも聞きたい。
しかしサリスはすぐに教えてくれることはなく、ちょっと眉間に皺を寄せて考えこんだ。
「どう説明したらいいのでしょうか……、まずは順を追って話したほうがいいかもしれませんね」
「あ、そうしてくれると助かる。おれ、コボルトの王種を倒したところから記憶が飛んでるんだ」
「それは仕方のないことです。ご主人様はそれからずっと意識を失ったままだったんですから。シアさんとミーネさんの話を総合したものなのですが――」
と、サリスはあの後どうなったかを話してくれる。
コボルト王を討伐したあと意識を失ったおれは遠征訓練の目的地であったカダックへ、それから王都のここメイド学校へと運ばれた。
遠征訓練についてはあれからは何の問題も起きず予定通り終了したようだ。冒険者ギルドへの報告、そして後日行われた現場検証などはサーカム教官や冒険者のラウスとメアリーによって行われたらしい。
「それでご主人様の状態についてなのですが……、実は五日目に目を覚まされたんです」
「五日もたってたのか」
予想より長くておれは驚いたが、そこでサリスは首を振る。
「ご主人様が意識を失ってからすでに二週間経過しています」
「へ?」
一瞬言われたことの意味がわからず、おれは間抜けな声をあげた。
サリスは神妙な顔で続ける。
「ご主人様は王種に遭遇するという事態に陥りながらも、生徒たちを守ろうと必死に戦われました。それがどれほど危険で過酷であったか、それはミーネさんやシアさんの話でよくわかっています。メイドたちの誰もがです。本当です」
何でそんな大真面目な顔で、そんな前置きをするの?
「ですから、どうか落ち着いて聞いてください。ご主人様は意識を失われてから五日後に目を覚まされました。しかしそのときご主人様は――」
あ、何かすごく嫌な予感がする。
「心が……、幼い男の子になってしまっていたんです」
なん……、だと?
幼い男の子になっていた?
つまり幼児退行?
じゃあシアがクロアやセレスに話しかけるようにしていたのは寝ぼけていたわけではなく幼くなっていたおれに話しかけていたと?
なるほど、それで窓をぶち破って逃げたのか……。
おれが愕然として立ちつくしていると、心配したようにサリスが言う。
「あの、皆さんご主人様が大変な目に遭われたことはよくわかっていますから、幼くなっていたことについては気にする必要はないと思います。最初は戸惑っていましたが、すぐに受けいれて――」
「いや、いや、待った。ありがとう。うん、詳しく聞くとちょっと家に帰りたくなると思うから聞かないでおく。うん、ありがとう」
おれは即座に深く考えるのをやめた。
いけない。
これは知ってはいけないことだ。
なにしろ、もうすでに奇声を発して窓をぶちやぶって逃走したくなっている。これ以上――、例えば幼児退行していたおれがどんな振る舞いだったかなんて聞こうものなら……、恐ろしい。
「ありがとう。本当にありがとう、そして面倒をかけた。すまない」
「いえ、私たちはたいしたことないんです。お礼ならシアさんに言ってあげてください。シアさんは付きっきりでご主人様のお世話をしていましたから」
「そうか、じゃあ戻ってきたら感謝を伝えるよ」
「そうしてあげてください。――、では私はご主人様が元に戻ったことをみんなに伝えてきますね」
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2023/05/29




