第147話 閑話…ミネヴィアという少女
ミーネはぼんやりと思う。
きっと彼はわかってないと。
ミーネが彼に初めて会ったのは五年前。
魔法を習得させようと魔導師リセリー・レイヴァースのところへしばらく預けられることになった時だ。
レイヴァース家には同い年の男の子が居るとあらかじめ教えられたが、それはミーネにとって気にかけるようなことではなかった。
単純な理解として、ミーネは同年代の子たちでは楽しみを共有することが出来ないと思っていたからだ。
気づけば誰もが離れていってしまうので、きっとその男の子もそうだろうと当たり前のように思っていた。
そんな考えが覆ったのは彼に会ってすぐの話。
きっかけはなんだったか――、ミーネは彼と勝負することになり、そして生まれて初めて同年代の子供に敗北を喫することになった。
自分の方が剣の腕は上。速さもあった。
なのに気づいたら地面に転がっていた。
ミーネはそのとき不思議な感覚を覚えた。
自分を縛る窮屈なものがわずかに緩んだような、目に映るものがその色を増したような、世界が広くなったような、そんな錯覚を。
ミーネにとって彼と一緒の生活は楽しいものだった。
彼の作ったおもちゃは興味を引くし、お話は面白いし、作る料理は美味しかった。
彼は一人で作業をするのが好きなのか、一緒に居ようとすると不機嫌そうな顔がさらに不機嫌になる。
けれどそれでも、いつの間にか離れていった者たちとは違い彼は彼の場所にとどまったまま、嫌そうな顔をしながらも何にでもつきあってくれた。
彼は最初こそ勝負に勝ってみせたが、勝負を続けていくとすぐにミーネのほうが勝ち越すようになった。
とは言え、それで自分の方が優れているとはミーネは思えなかった。
なにしろ彼は何でも出来るのだ。
戦うことだけが得意な自分とは違い、彼は実にさまざまなことが出来る。だからこそ逆に、彼がそれほど強くないことにほっとする自分を発見するほどだった。
しかし、そんな安堵も長くは続かなかった。
彼は魔術者であり、その真の力を隠していた。
ミーネは魔術ありでの再戦を挑んだが、結果は惨敗――、そもそも勝負にすらならなかった。
彼に対し何一つ優位を持たないことに愕然としたミーネは部屋に閉じこもってみたが、結局は彼に釣りだされてしまってそのまま悩みもうやむやになる。
そのとき二人で話したことは今でもよく覚えている。
彼は本気で導名を目指しており、シャーロットに並ぶことを目標としていること。漠然とした夢ではなく、叶えるべき目標として。
そして魔術を身につけたときにミーネは思った。
彼は戦うことは好きじゃない。
ならば自分が剣となろう。
私が守ろう――、味方となろう。
そう密かに決意したミーネだったが、それから三年の後、再会して思い知る。
守られているのは自分の方だったと。
彼の作りあげた冒険の書はミーネの危うさを気にかけたからこそ生まれたもの。
遠く離れていても、彼は自分を心配してくれていた。
それを聞かされたときミーネは彼との差を改めて思い知らされ愕然とし、失望し――、けれども、それをうち消すほどの喜びに戸惑った。
ミーネは改めて強くなることを誓った。
導名へ挑む彼の剣に相応しくあろうと。
しかし、気持ちははやれど実感できるほど強くなれない自分がいた。
剣技も魔術も、成長はしているが何かが違う。
もっともっと先があるのに、そこに辿り着くためにどうしたらいいかわからない。
足踏みをするだけの日々に困惑しているうちに二年が過ぎ、再び彼と再会する。
すると彼の隣にはシアが居た。
話には聞いていたが会うのはそれが初めてだった。
ミーネはその日の内にシアと試合をし、まるであの日を再現するように地面に転がされて負けた。
同年代で純粋に自分より強い者がいたことに興奮したが、心の隅には悔しさがあった。
そして少しの寂しさも。
彼はシアを剣に選んでしまったのか?
いや、二人と一緒に過ごす内にそうではないことをミーネはなんとなく理解する。
授業の話で例えるならシアは彼にとっての左腕。
何かをするときにそっと支える手。
ならばまだ、右の腕は空いている。
剣を持つ手は空いている。
ミーネはぼんやりと思う。
彼はきっとわかってない。
危機的状況に陥ったこの遠征訓練。
真面目な表情で誰かのことを語り始めたとき、密かに鼓動が高鳴っていたことを。
彼はきっとわからない。
力を貸してくれと頼まれたとき、自分がどれほどの喜びに包まれていたかは、心が打ち震えていたかは――
△◆▽
ほんの一瞬、ミーネは立ったまま夢を見た。
それを現実に引き戻したのは――
「ガアアッ!」
すぐ目の前でサーカムに襲いかかる灰色のコボルトの声だった。
「くっ!」
コボルトは一瞬朦朧としたミーネを狙ったが、それをサーカムがかろうじて防いだ。
サーカムがいなければやられていた――。
そのことに気づいたとき、ミーネのなかに静かな怒りが生まれた。
まだここは意識を手放していい場面ではない。
にもかかわらず、自分は惚けていた。
自分はここが限界なのか?
違う。
ここからだ。
「かわって!」
「ミネ――!?」
叫び、ミーネはかまわずサーカムの前に出る。
「グルァッ!」
灰色のコボルトが吠え、鋭い爪が繰り出される。
しかしミーネはその攻撃にそれほどの脅威は感じていなかった。
腕を振り回せる範囲での攻撃しか来ないことはわかっている。
速いには速いがシアよりは速くない。鋭くない。
その体勢を振りかぶりを見れば攻撃は読める。
コボルトの攻撃は両腕の薙ぎはらい、そして飛びつき、噛みつき。
速いだけで複雑な技は使えない。
蹴りすら出さないのだから、大した相手ではない。
ただ素早く、休むことなく続けざまに攻撃をできるだけ。
問題は――、とミーネはぼんやり考える。
思考がはっきりしないこと、体が重く普段通りに動けないこと。
コボルトの単純な攻撃を読み、前もって対処できるようにしておかないと躱すこともままならない状態であること。
ミーネはふらつき、その動きに精彩を欠きながらもコボルトの攻撃をやりすごす。
見ようによっては最小限の動きで攻撃を躱しているようにも思えるが――
「ミーネちゃんもうちょぉーっと堪えてね! お姉さん頑張ってこっちの奴やっつけてすぐ助けるからぁぁ!」
ミーネとは別に、メアリーはメアリーで茶色の毛並みのコボルトを相手取っている。
押してはいたが、とどめとなる一撃を決めかねている。
しかしそんなメアリーの心配とは裏腹に、ミーネは助けなど求めていなかった。
むしろこの戦いを邪魔されたくないとすら考えていた。
もう少し、もう少し。
あとほんの少しで二年間止まっていた何かが動く。
きっと、こいつを、倒せたら――
「――ッ!」
避けることに徹していたミーネが前に出る。
コボルトの右の薙ぎはらいをくぐり、次いで繰り出される左の爪は身を捻って外側へと位置をずらす。
剣になろうと想った、剣であろうと誓った。
ならば魔術は不要なのか?
違う――、違う。
魔術も必要、魔術が必要。
剣を振ること、魔術を使うこと。
これらは別のものでなく、むしろ分けて考えてはいけなかった。
剣が自分にとっての魔導師の杖である意味は?
剣だ、まずは剣だ。
自分がこの剣を振るためにあるならば、やはり魔術も剣を振るためにある。
剣を振って魔術を使うのではなく、剣をもった自分がより良く剣を振るために魔術はある。
ミーネはコボルトの腹部へと剣を走らせながら思い出す。
そう言えばそんな言葉を知っていた。
初めて魔術を使ったとき彼がそう名づけた。
別の言葉でシアからも聞いた。
魔を導くか、魔に導かれるか。
どちらかではなく、おそらくどちらでもある。
そんな状態を表せる言葉。
ならばこの剣はそう呼ぼう。
「〝魔導剣〟」
斯う在れと想い願い、その自身の体において行使される魔術――、人はそれを魔技と呼ぶ。
すれ違いざまに走らせた剣が灰色コボルトの胴を薙ぐ。
断ち切られたコボルトの胴が勢いのまま宙を飛ぶ。
ミーネはその手応えの軽さに驚いた。
まるで束ねた藁を斬り捨てたような軽さだ。
それにこの剣――、いつか触らせてもらった家宝の剣のように、自分に結びついてくる感覚と、これまでにない一体感が生まれている。
なにが起きた?
ミーネは困惑していたが――
「だっしゃああっ!」
メアリーの大声でハッとして意識を切り替えた。
まだ終わっていない。
今し方、仲間が葬られたことに動揺した茶色コボルトをメアリーが斬り捨てたが――、まだだ、まだ王種がいる。
しかし――
「……あれ? 体が……」
ミーネはすとんとその場にへたり込んでいた。
体に力が入らず、うまく立ちあがることが出来ない。
「ミネヴィア! もう充分だ! 休め!」
「そうよミーネちゃん、もう休んで休んで!」
サーカムとメアリーは大慌てでミーネに告げる。
「……そっか、じゃあ少し休むわ。あ、メアリーにちょっとお願いがあるの」
「なになに?」
ミーネ自身もかなり疲労していることはわかっていた。
だが同時に、初めて魔術が使えたときのような充足感があった。
足踏みの日々がやっと終わった。
やっと一歩が踏み出せた。
それがミネヴィアという少女の、強さの覚醒、その始まりだった。
※ミーネが剣の変化を感じる描写を追加しました。
修正前は変化に気づかず描写がいっさいありませんでした。
※誤字の修正をしました。
2017年1月26日
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/21




