第141話 11歳(春)…異変
満足な食事がとれたおかげで四日目の生徒たちは少し元気を取りもどしていた。
きつい状態での行進には変わりないが、野営ポイントまで辿り着けたらまたまともな食事がとれる――と、それだけを心の支えにして生徒たちはひたすら歩いた。
行進は何事もなく続き、本日の野営ポイントまで辿り着く。
見晴らしのよい原っぱで、もしこれが一泊程度のレジャーであれば気分良くすごせるのだろうが現実は過酷な遠征の真っ最中。
とは言え、すでに六日をかける強行軍の折り返し一日目、そう思えばわずかだが気力が湧いてくるものだ。
明日、明後日と乗り切ればこの苦行は終わる。
だがそこで事件は起きた。
△◆▽
「……一人戻ってこない?」
おれが夕食の準備を始めていると、サーカムがやって来て薪を集めに行った生徒が一人行方知れずになっていることを伝えてきた。
猛獣、魔物、うっかり怪我して動けない、想定される状況はいくつかあるが、ともかく冒険者の二人――、ラウスとメアリーに捜索に行ってもらうことにするとサーカムは言う。
とそのとき――
「ご主人さまーッ! ご主人さまーッ! ちょっと問題でーす!」
離れたところからシアの呼ぶ声がして、ふとそちらを見やる。
「あれ?」
シアは一人ではなく、その背には一人の生徒――、つい今々話題にあがっていた生徒を背負っていた。
シアはひょいひょいとやって来て、背負っていた生徒をごろんと地面におろす。
生徒は――、なにやら怯えた様子だ。
「コボルトに攫われそうになってたので、ちょっとぶっ殺して救出してきました」
『コボルトッ!?』
その場にいた者たちが一様に驚いた声をあげる。
コボルト……、人型わんわん。
やや賢く、亜種くらいになると人の言葉も話す。
犬なので鼻がきく。耳も良い。
強さ自体はそこまで警戒するほどではないが、基本的に群れで活動する魔物なので見かけたら注意が必要だ。
「それでですね、ちょっと気になることがあったんですよ」
「気になる?」
「わたしコボルトに遭遇するの初めてなんで心配しすぎなのかもしれませんが、やけに賢かったような気がするんですよね。あ、数は四体でしたよ。それで――」
と、シアはその時の状況を説明する。
悲鳴のようなものが聞こえた気がして、ちょっとそちらへ行ってみたらコボルトに抱えられていく生徒がいた。
これはまずいと、まずは生徒を抱えるコボルトの首を刎ねた。
「そしたらですね、残りのコボルト二体がわたしに向かってきて、残り一体はすぐに逃走を始めたんです。まあ、二体ポポーンと首刎ねて、逃げる一体もポーンと刎ねてきたんですが」
シアが言うと救出された生徒は「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。
これ、コボルトじゃなくてシアに恐怖してんじゃないか……?
「コボルトってあんな即座に状況を判断して動くものなんですか?」
「ありえん」
そう言ったのはサーカムだ。
「三体とも逃げる、一体になったから逃げる、そういう行動ならわかるが……、一体を逃がすために二体が足止め?」
「よく訓練されてる、なんてことはねえんだろうなぁ」
捜索の必要がなくなった冒険者二人がやってくる。
ラウスが嫌そうにそう言い、それにメアリーが続く。
「訓練の成果、なんてわけないしー、ってことはよっぽど命令が行き届いてるってことだね。いや、それ以前に、その命令を忠実に実行できるだけの賢さがあるってのが問題かな。コボルトは亜種でもなければそこまで賢い魔物じゃない。ってことは……、いるね。群れを底上げしちゃうのが」
メアリーが暗に告げる。
王種がいると。
コボルト王種も、ゴブリン王種のように群れを強化する特性を持っていると判明している。例外もあるようだが、基本的には群れを強化してしまう個体が王種と判断される。
おれは夕食の準備を続けながら尋ねる。
「あ、ちょっと教官にお聞きしたいことがあるんですけど」
「なんだね?」
「これ、遠征訓練の一環だったりしません?」
「いやいやいや、それはない! もし――、もしこれが訓練の一環だったとしたら、私は校長の髭を引っこ抜いて見せよう!」
ふむ、マグリフ爺さんの長いお髭が引っこ抜かれる事態であればいいのだが、どうやら現実はそうもいかないようだ。
「これは純粋な遠征訓練だ。もし討伐も兼ねた訓練だったら、付添の冒険者を最低でもあと六人は雇う。生徒二人に対し冒険者一人という感じでな」
「この辺りにコボルトがいるといった情報もなかったんですか?」
「念のための調査もしたんだ。一週間ほど前の話だが……」
サーカムが渋い顔で言い、ラウスが唸る。
「んー、つーことは注意深く潜んでいた、もしくはどっかから流れてきたって話になるわけだな?」
「ラウスさん、調査に来た人たちに見つからない奴らがこんなあっさりと見つかっちゃうってのはおかしいっす」
「ってことは流れてきた、か」
「こんなわりと王都に近いところに、です?」
コボルトたちが賢すぎる。
ならば王種がいる可能性はかなり高い。
王種がいるならその群れはそれなりの規模であると推測できる。
――が、賢いコボルトたちがどうしてわざわざこの地域へと流れてきたのかがわからない。
魔物にとっては王都もなにも知ったことではないのだろうが、それでもここに辿り着くには人里を縫うように避けながら移動する必要があったはずだ。
「人目につかないよう慎重に、わざわざ人里の多い地域へやってきたって……、わけがわからんな」
「なにか目的地とか、あるんですかね?」
メアリーが言うと、サーカムとラウスはますます眉間に皺を寄せて首を捻った。確かに目的地への移動中ということなら疑問は解消されるが、同時に、その目的はどこだという話になる。
「目的地って……、どこだ?」
「それはわかんないっすけど……」
言ってみたメアリーもそのまま言葉を濁す。
本当に思いつきで言っただけらしい。
気づけば生徒たちはおれたちの回りに集まり、不安げに大人たちの話し合いを見守っていた。
確かにもう野営の準備どころではない。
そんな集まった生徒の中にあって、いつもと変わらない様子のミーネがずいっと中央――、おれに身を寄せてくる。
「西じゃないかな?」
「は? 西って……、コボルトが向かう方向か?」
「うん。もしかしたら全然関係なくて、私の勘違いかもしれないんだけど」
「どういうことだ?」
「何となく思い出したの。仮冒険者証をもらいに行ったとき、私って掲示板の依頼見てたでしょ? そのとき家畜が消えたから調査してほしいってのがあったじゃない。それってコボルトたちだったんじゃないかなって思ったの。本当になんとなくだけど」
「本当になんとなくだな。だがその依頼のあった場所はここから東にあるんだな?」
「うん、だから西じゃないかなって」
「……なんとも判断に困る考えだが……、もし西としたら?」
「人里は避けてるんだから、王都ってことはないと思うわ。いくらなんでも辿り着く前に討伐されるはずだし。そうなると王都の向こうって……、あ、レイヴァース家?」
「縁起でもねえこと言うな。父さんが泣くだろうが」
コボルトの目的地――、あるとすれば気になるところだが、例えそれがわかったところでこの状況が好転するわけでもない。
今は考えることがべつにある。
いや、考えなければならないことが――、か。
まずコボルトへの対策を練らなければならない。
仲間が戻らないならば捜索くらいするだろう。
殺されていることに気づいたら相手くらい捜すだろう。
そして――、群れの存在を知ってしまった者たちを始末しようとするだろう。
希望的観測をするならば、たまたま適切な行動を取ったように見えたただのコボルトたち、というのが一番ありがたい。
しかし最悪を想定するならば、その群れは王種に率いられ、数体の亜種と数多くの通常種によって構成される危険度の高い――、ランクで分類するならばB以上の群れとなる。
対してこちら。
教官一名、見習い教師一名、冒険者二名。
そして冒険者見習い二十一名。
内二名はランクBに相当する戦闘力を有する。
「…………」
おれは静かに考える。
夕食の準備を続けながら、この状況を好転させられるような妙案はないものかと。
※生徒の人数間違いを修正しました。
2018年2月23日
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/21
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/05
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/04/13
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/05/31




