第139話 11歳(春)…遠征訓練2
山を越えると言っても、それは山岳地帯のような登山家が往く険しい山々ではなく、小山の連なる丘陵地である。
しかしそこは人の手の入っていない山野。
自然豊かな森。
これに突撃してピクニックと言えるのはおれが知る限り父さんくらいのものである。
とは言えこの訓練は闇雲に原生林に突っこみ、道を切り開きながらの進行を要求されるほど過酷なものではなかった。
森には朽ちかけた道があった。
これまでの訓練生たちが通り、踏みならした痕跡としての道。
意識してよく目をこらせばだが、腐葉土がわずかに窪んで平らになった一条の道が森の奥へと続いているのがぼんやりとわかる。
道幅は人がぎりぎり二人並べる程度のもの。
一行は一列に並んでひたすら森の奥へ奥へと進んでいた。
遠足のようなものじゃよ、とマグリフ爺さんは言った。
最初は確かにそうだった。
生徒たちも楽しげで、本当に和気藹々とした雰囲気だった。
が、二日目の現在。
生徒たちの顔にはすでに疲労が見られる。
初日の疲労は地面にごろ寝では癒えるものではなかった。
毛布を敷いたとしてもデコボコとした地面は寝やすいとは言い難いし、簡易の天幕を張ったとはいえ完全な野外なのだ。つい寝込みを襲う何かを想像してしまい身も心も安まりきらない。
すでに初日のほがらかな雰囲気は消えうせ、生徒たちは足取り重くとぼとぼ進む。
ときおり文句を言う者もいたが、それが周りに広まるようなことはなかった。
この行進があと五日も続くことに愕然とし、悲嘆にくれてそれどころではなかったのだ。
なのに――
「あなたの作るチョコレートってほかのと違うわよね。んー、なんて言うか、優しい感じ? 味は薄めだけど、柔らかくて甘いって感じがするの」
伯爵家のお嬢さまはまだまだ余裕だった。
どう考えても山歩きには向かないあのいつもの服装で、でっかいバックパック背負ったまま平然としているのである。
それは二日目が終了し、三日目になっても変わらなかった。
おれはみっちり訓練を受けたので平気なのは当然。
シアは霞を喰う仙人なので平気なのもまあわかる。
しかしミーネが平然としているのがわからない。
「おまえ……、なんで平気なの?」
三日目の行進は静かなものだった。
それはまるで葬列のようにしずしずと、しずしずと。
ときどき変なテンションになって大笑いが始まるも、すぐに静まってまた葬列へと戻る。
生徒の誰も彼もが疲労の濃い顔をしており、たった三日で頬がこけてきてしまっていた。もう身なりに気を使う余裕などなく、みんなだいぶ薄汚れてきていた。いまだ綺麗なままでいるのは特別な服を着ているシアとミーネだけである。
「ふぇ? なんで平気って?」
「いや、おまえ元気すぎるだろ。おれもあんまり体力使わないよう控えめな活動を心がけてるのに、おまえ本当にいつも通りだろ?」
いくらバートランの爺さんと遠征訓練をしたことがあるとしてもちょっと異常である。
「よくわからないけど、なんかどんどん元気が湧いてくるのよね。たぶん楽しんでるからじゃないかしら。ほら、一昨年……、ね?」
「あー……」
そう言えばこいつ遊戯の神から加護もらってたな。
遊び楽しむ者に幸あれ――、ってか?
遊戯の神は自分の加護はこいつと相性良さそうだなんて言っていたが、まさにその通りだったわけか。
「なるほどな」
「なるほどなってご主人さま、ミーネさんがこの状況を楽しんでいるってことに疑問はないんですか?」
話を聞いていたシアが突っこんできたが――
「んなこと言われても、ミーネは楽しんじまってるんだから疑問に思っても仕方ねえじゃねえか」
「まあそれはそうなんですけど」
後ろの方から「馬鹿な……」というヴュゼアの愕然としたような声が聞こえたような気がした。
△◆▽
朽ちかけた道と同じように、先輩たちが野営をした場所というのはそれなりに痕跡を残している。
「よし! 今日はここで野営をするぞ!」
森の中にぽつんとある開けた平らな場所に出たところでサーカムが皆を集めて言う。
そう宣言されると同時、生徒たちはその場にへたり込んだ。
荷物を下ろすこともせず、糸が切れたようにクシャッと座り込んで放心状態である。
本来であればすぐに野営の準備をするべきところだろうが、さすがにすぐ動き出せるような生徒はいなかった。
不整地を歩くのは体力を使う。
さらに脚部のあちこちに抱え始めた故障を堪えての行進だ。
足にマメが出来るなんて当たり前。
踵やら踝やら、ふくら脛やら膝やら膝の裏側やらが痛み、お尻の筋肉までやられ、ただ歩くことすらうまく出来なくなる。
ここまで疲労困憊となると、ちょっとした石や木の根といった障害物を避けるのも億劫になり、それどころか跨ぐつもりが足が思うように動かず引っ掛けたり踏みつけたりして転倒する者も出てくる。
まあ要するに、生徒たちはもう限界が近いのだ。
しかしだからといってこのまま休ませ続けるわけにはいかない。
なにしろ森の中では日が落ちるのは早い。
日が陰り始めたと思ったら一気に暗くなる。
懐中時計を確認してみると現在時刻は四時ちょっと前。
だらだらしていると野営の準備が整う前に日が沈んでしまう。
「こらこら! そのまま寝たりするんじゃないぞ! これからはこっちで食事を用意してやるが、自分たちの天幕、そして薪を集めてくるくらいはちゃんとやるんだ!」
さすがの死屍累々ぶりにちょっとした救済がはいる。
これまで生徒たちは自分たちが背負ってきた食料――、支給された食料を囓り囓りやってきた。
昼はアルファ化した小麦粉の固まりのようなパン、そして塩辛い干し肉で飢えをしのぐ。
晩は干し肉と野草を具としたスープ、そしてやはり硬いパン。
お世辞にも美味しいとはいえない、腹を満たすためだけの食事。
おそらくこの食事に一番辟易しているのはミーネだろう。
こっそりおやつを与えていなかったら、暴れ出していたかもしれん。
「なんで鍋を背負っているのかと思っていましたが、あれはこのためだったんですね。ここからは食事くらいまともな物を食べさせてやろうってことでしょうか? でも材料ないですよね?」
「だなあ。……もしかして料理はしてやるってだけで、やっぱりこれまでと同じような干し肉のスープか?」
おれとシアがぼそぼそ喋っていると、それを聞いていたミーネが何を思ったか――
「あ! サーカム先生! 料理はレイヴァース先生に作ってもらうのがいいと思うの! きっと美味しいの作ってくれると思うから!」
ぴーんと手を挙げてそう言った。
すると――、だ。
「……レイヴァース先生の料理……?」
「レイヴァース、先生がー、作ってくれるぅ……」
「食事ぃ……、レイヴァース先生ぇ……」
「……おぁー、レイヴァース先生、美味しいぃ……」
そのまま天に召されてもおかしくないような状態だった生徒たちが荷物を下ろしてのろのろと立ち上がり、ややふらつきながらもそれぞれ散開して薪を拾いに向かった。
レイヴァース先生、レイヴァース先生、言いながら……。
「ご主人さま、今わたしが連想してるものわかります?」
「おまえな……、呼ばれてるおれの身にもなれよ」
もはや生気のない顔をした生徒たちにレイヴァース先生と連呼されるのはちょっと恐かった。
サーカム教官はまだおれに料理を任せると決めたわけではなかったが、もう生徒たちがその気になって行ってしまったのでこれはもう頼むしかないと思ったのだろう、少し申し訳なさそうな顔で言う。
「レイヴァース先生、頼めるか?」
「善処します……」
味が不満だからと齧り付かれたりされないよう、なんとか頑張らねば……。
※文章を一部変更しました。
ありがとうございます。
2019/01/21
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/02/03




