第121話 11歳(春)…猫メイド
レイヴァース先生になったことで、おれの名前を呼ぶ奴は訓練校に誰一人として居なくなった。
いや、そもそも居なかったが、これが決定的となり、これ以後、誰もおれを名前で呼ぶ奴は現れないだろう。
名前を呼ばれ慣れるために来たんだが……。
「しょっぱなに名前を呼ばれてキレちゃいましたからねー。わざわざ名前を呼ぼうなんてチャレンジャーはいないでしょう」
釈然としない心持ちでいたところシアにそう言われた。
くそっ、なんてこった。
それもこれもあの――、なんだっけ、なんとか伯爵家のあいつがつまらん絡み方をしてきたせいだ。
そういえばあいつ、あれから訓練校に来なくなってしまった。
ちょっと悪いことをしたかなと思う。
△◆▽
まったく想定していなかった先生役だが、冒険の書を遊ばせるのは慣れたものだったし、読み書き計算を教えるのも弟のクロアにずっとしてきたことだったので、なにから始めたらいいかわからないという状況にはならずにすんだ。
先生役をなんとかこなし、何日かぶりにシアとミーネをともなって料理店で昼食をとる。
そのあとミーネは訓練校にとんぼ返り、シアにはひとつ仕事を頼んだのでそこで別れる。
「すんごいめんどくさそうなんですけど……」
「がんばれ」
シアに頼んだのは妖精鞄の容量の確認だ。
やることは単純。
郊外の川へ向かい、そこで水を妖精鞄の限界まで流しこむ。
それからバケツに一杯ずつ水を出し、何杯分あるか数えるだけだ。
「べつにそこまで正確に把握しておかなくてもいいじゃないですか。さてはあれですね、わたしやミーネさんが居ない状況にして、メイドのみなさんとキャッキャウフフするつもりですね!」
「お姉ちゃんにどんな称号がついたかセレスに手紙書こうか」
「ちょ!?」
「じゃあ後でな」
「うぅ……。はい、行ってきます……」
説得の結果、シアはめそめそしながら郊外に出掛けていった。
△◆▽
「訓練校に入学したと思ったら先生になってるとか、ニャーさまはすごいですニャー。尊敬しますニャー。……ふぁ」
仕事部屋にあるソファにでろーんとうつぶせに寝転がり、猫メイドのリビラは本当にすごいと思っているのかいまいちわからない調子で言うと最後にあくびをしてもぞもぞした。眠そうだ。
最初は旦ニャさまだったのが、いつのまにかニャーさまに。
つまりリビラは自分の状況を説明すると「ニャーはニャーさまのメイドだニャー」となる。
ニャー多すぎだ。
メイド学校に戻ったおれはまずメイドたちにおやつを作り、それから本格的に仕事にかかった。
本日の御付きメイドは現在ソファでくつろぎまくりのリビラ、そして机で作業するおれの傍らに立ち、描いた発明品について商人の視点でアドバイスをしてくれるサリスの二人である。
「……体の重さを量るための物ですか……」
サリスは複雑な表情で体重計のイメージ画、そしてその有用性についての記述に目を通す。
「身長や年齢によって、だいたい基準となる体の重さってのがあるからな。太りすぎにしろ、痩せすぎにしろ、基準からずれすぎているのは体によくない状態だ。そこのところを自覚してもらうための道具なんだが……、まあ一般への普及は難しいだろうな」
「では主に貴族向けということですか?」
「ひとまずは。どれくらいの価格になるか、試作品を作ってみないことにはわからないが……、おそらくは高価な物になるだろうし」
「手軽に自分の重さが量れるのは……、そうですね、貴族たちの話題になるでしょう。一度話題になれば、自分だけ持っていないというわけにはいかないのが貴族ですから……、ふむ……」
サリスは真剣に体重計の商品価値を考えているが、おれとしては試作品が作れさえすればそれでよかったりする。おれが心配しているのはおやつをむさぼり食うメイドたちの体重なのだ。
「まず試作品を作って、それを試して考えようと思う。メイドのみんなにも協力してもらって」
「え。……あ、いえ、失礼しました。なんでもありません」
一瞬、サリスが嫌そうな声をだしたがすぐに取り繕った。
やはり体重は気になるところなのだろうか?
体重計の仕組みをシアに教えてもらったとき「また罪な物を……」と嫌そうな顔してたしな。
「じゃあ今日のお仕事はこれくらいにするよ。慣れない教師役の初日だったから、ちょっと疲れた」
ひと息ついたとき――
「ニャーさまニャーさま、ニャーはどんなことに向いているかわかりますかニャ?」
ふとリビラが尋ねてくる。
ダレているのは相変わらずだが、尻尾が起きあがってにょろり、にょろりと動いている。
生徒たちに向いていそうな武器を勧めていたら先生になっていたと説明したので自分も聞いてみようと思ったのだろう。
「うーん、もっと仲良くなれたらわかるかも」
メイドたちとは仲良くなってきたが、まだ〈炯眼〉で看破できるほどではない。
わかるのは名前と〈メイド見習い〉の称号だけだ。
しかし、例え看破できるようになったとしても、ちゃんと相手のことを知ろうと思ったら会話のなかで教えてもらうしかない。
王都に来てしばらくは忙しない日々だったので、メイドたちとゆっくり会話する機会がもてなかった。
そろそろ落ち着いてきたことだし、会話するよう心がけたほうがいいかもしれないな。
「そう言えばリビラはどうしてメイドになろうと思ったんだ?」
「ニャ? ニャーは家出してここまできて、うろうろしてたらこのメイド学校を紹介されたからニャ」
リビラって野良猫――、ではなく家出少女だったのか……。
うーん、そのあたりのことを尋ねるのはまだ早いだろうな。
「おれって獣人族と会ったのはリビラが初めてなんだが、人族との違いは耳と尻尾くらいなんだな」
「まあぱっと見ではそうですニャ。細かいところは……、歯とか爪とかも違いますニャ。あと、基本的に獣人は身体能力高めニャ。でもやっぱり一番わかりやすい違いとなると耳と尻尾ですニャ」
なるほどなー。
おれが獣人について知っているのは両親からの大雑把な話、それからシャロ様の論文――、学問的な知識だけだ。
獣人の始まりはそれぞれの動物、その覇種の誕生に起因する。
覇種とは王種のさらに上位にある特殊な個体だ。
猫で例えるなら通常種が家猫、亜種が山猫、王種がトラとかライオン、覇種がドラえもん、こんな感じだろうか。
覇種はあまりにも特殊すぎ、孤立した存在とされている。
その種の精霊とも言われるようだ。
そんな覇種はやがて神の模倣か人の姿をとるようになり、その姿は実に美男・美女だったという言い伝えだけが残る。
そして……、その美男・美女とチャレンジ一年生したのが人族。
こうして最初の獣人が誕生したというわけだ。
話が言い伝えになってしまっているのはそれぞれの祖である覇種が邪神に特攻してみんな死んでしまったからである。残念な話だ。
「猫の獣人ってみんなリビラみたいにのんびりな感じなのか?」
「その通りだニャ。みんなこんな感じだニャ」
「いやあのリビラさん、いきなり嘘は良くないですよ? ご主人様が信じてしまうじゃないですか」
サリスがあきれたように訂正する。
「猫種の方は、多少はのんびりしていますが、リビラさんほどではありません。と申しますか、ここまで堂々とだらしない状態でいる方はリビラさんが初めてです。ご主人様がなにも言わないのでそのままにしていましたが……、よろしいのですか?」
「うん。それもまたメイドの個性だ」
ただ画一的な礼儀作法を叩きこむだけではロボットを製造しているようなもの。おれの理想は礼儀作法を一通り身につけて、それでいて自分の振る舞いたいように振る舞うメイドだ。
ただの仕草も身につけた礼儀作法を踏まえてとなると、自然に昇華されて目を引く華が生まれる。
おれは漠然とした表現で二人にそう説明する。
「だからリビラはそれでいいと思うんだ。と言うか……、リビラってだらしなくしているようで仕草はきれいなんだよな。ちゃんとティアナ校長の指導が身になっているんじゃないか?」
「さすがだニャー。まったくニャーさまの懐の広さ、慧眼、その思慮深さにニャーは恐れ入るばかりニャ。ニャーさまの偉大さはニャーの五臓六腑にしみわたるニャー」
なにやらうっとりとして言うリビラ。
「なあサリス。リビラはあれか、もしかして仕事前に一杯ひっかけてきているのか?」
「いえ、あの、そういうわけではないんですが……」
サリスはひたすら苦笑いだった。
※誤字の修正をしました。
2017年1月26日
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31




