第12話 3歳(夏)3
リセリー母さんからシャロ様の話を聞くうち、ふと疑問が生まれた。
シャーロット・レイヴァース。
類い希なる才能をもち、後世に多大な影響を与えた人物なのだが、導名を名乗る以前の名前が不明なのである。母さんも知らないし、その名が記された書物も存在しない。
「師匠は知っているらしいんだけど、シャーロットから絶対に誰にも言うなって念を押されたらしいわ。あの師匠がうっかりでも絶対に口にしないんだから、かなり脅されたのね……」
これって……、とおれは考える。
もしかしてシャーロットはおれと同じような転生者というだけでなく、その名前にペナルティを負わされた同じ立場の人間だったんじゃないだろうか。
もしそうならば、シャロ様は導名をえるために数々の偉業をなしとげていったということになる。打算的といってしまえばそれまでだが、もしそれが真摯に世のため人のためのおこないであろうと結局は自分の満足のため、同じ打算にすぎない。
むしろ、おれだけが理解できるその強烈な衝動に突き動かされ、その願いをかなえたシャロ様には素直な感動をおぼえる。同じ苦しみを知るおれだけが、シャロ様の偉業の本当のすごさを理解できるのだ。
母さんはシャロ様がどんなすごい人だったか、そのエピソードをいくつも話してくれる。
ただ、それを追走しなければならないことを考えると、ちょっと頭が痛い。
なにしろ同胞であるおれからしてもシャロ様は普通じゃない。
かなり才女っぽいのだ。
たとえば魔物に関しての考察。
それまで魔物は、魔石を体内に持つ生き物、くらいの認識でしかなかった。
ゲームになれているからか、おれも魔物は魔物としてそこに疑問をもたない。
けれどシャロ様はそこに答えをだした。
魔物とは〈魔素の生物濃縮〉の結果である――、と。
これはあっちの生物濃縮についての知識があったから気づいたことだと思うが、だとしても魔物は魔物、と思考停止せず、そこに気づくことが非凡であると思う。
生物濃縮ってのは確か化学物質が食物連鎖の上位捕食者にどんどんたまって濃縮されていく現象のことだ。たぶん日本人ならどこかでこういった話を聞くだろう。なにしろ日本はかつて公害病――水俣病をひきおこし、その原因である水銀汚染の恐ろしさを世に知らしめたのだから。
工場から化学物質が処理されないまま排水と一緒に川へ流される。その化学物質を水中にいる膨大な植物プランクトンが取りこみ、それを大量の動物プランクトンが補食、その動物プランクトンをたくさんの小さな魚が補食し、小さな魚を大きな魚が補食する。この過程をへて化学物質は高濃度に濃縮されていく――これが生物濃縮だ。
シャロ様はこれを魔素におきかえた。
つまり魔物とはこの世界にみちている特殊な魔素というものによる、自然の公害病を発症し変異をおこした存在であり、その状態で安定してしまったものの子孫である――シャロ様はそう結論づけたのだ。
シャロ様の発表した論文は膨大だが、この〈魔素の生物濃縮〉はそこにふくまれない。シャロ様が未完として草稿のままほったらかしにしてあったものを、後の人間がシャーロット論文集を製作する際にみつけ、そこでようやく世にでたものらしいのだ。
未完の理由は魔石が体内に生成されない――例えば人のようなものはこの生物濃縮では説明できないから、ということだったらしい。
そして、なかには未発表論文集にすら収録されない話もある。
書面に走り書きすらされなかった考察。
シャロ様は喋りながら考えこむ癖があったようで、その話した内容は弟子のリーセリークォートが記憶し、そして母さんにはシャロ様とのなつかしい話として伝わった。
そのいわば口伝のような仮説のなかに、導名についての話があった。
導名とはなにか?
まさにおれが知りたいことドンピシャだ。
シャロ様が結論した導名。
それは神の座へといたる試練、もしくは儀式であるということだ。
導名というものは非常に特殊で、その資格を得た者が一度その名を決めると以後は誰にもその名前を名乗れなくなる。例えばシャロ様にあやかって生まれた娘にシャーロットと名づける、といったことができなくなるのだ。
この使えなくなるというのは、なにも「その名前は使用できません」といったアナウンスが聞こえてくるようなものではない。
実は名づけることはできる。
ただ、名づけても名前とその子が結びつかなくなるのである。
例えばそれは猫を犬と呼ぶようなものか?
いや、実際はそれよりもずっと深刻だ。
最初こそ違和感があるだろうが、猫を犬と呼びつづけていれば、その猫は犬という名前だと認識するようになる。しかし導名の場合はずっと最初の違和感がつきまとうのだ。
認識の阻害。
どうやら導名はそういった強制力を持つようだった。
それはなんというか……、おれの名前の逆バージョンのような感じだ。
きっとシャロ様も導名を調べるうちに同じことを思っただろう。
そして導名と同じように、使うことのできない名前というものがこの世界にはある。
それは神々の名前だ。
シャロ様はこれを同じよう、ではなく、同じものであると考えた。
魔素は意思に反応する。大勢の人々に影響をあたえ、その意思を一身にうけとめた場合その者は神格をえる。それが導名である、とシャロ様は考えたのだ。
世界規模でとりおこなわれる神をうみだすための儀式。
ただその説は神々を不可侵な座から引きずり下ろしかねない考えだったため、シャロ様は自粛して口外しなかったようだ。
知っているのは弟子のリーセリークォートと母さん、そしておれだけである。
それにしてもシャロ様、よくそんなこと考えついたなと感心する。
日本人ならなんとなく祖霊信仰とか、祭りあげて神とする、といった考え方は根付いているのだが、シャロ様ってたぶんキリスト教系だろうに。考察しても聖人あたりで思考停止するところをよくぞそこまで。
いや、神々を唯一神と考えず、高位天使と考えたらなんとかなるか?
機能神を役割をになう天使にあてはめて。
それなら天界廻りによって天使となったエノクとか話があるからな。
まあこの辺のことは考えても詮無いことだ。
重要なのは、やっぱり多くの人々に影響をあたえることで導名は得られる、という一点である。敬意であろうと畏怖であろうと、神格をえられるだけの影響があればいいのだ。
とりあえずおれはその影響を名声値と名づけた。
△◆▽
リセリー母さんによる魔導学の授業はまず魔導学とはどんなものであるか、といったお話からはじまった。
魔導学とはなにか?
いってみればそれは魔術工学のようなもの。
じゃあその魔術とはなんなのか?
広義においてそれは魔素によっておこりうるすべて、であるらしい。
魔素が関係していたらなんだって魔術なのである。
つまり魔法も導名も魔物も、なんでもかんでも魔術なのである。
しかしこれではあまりに漠然としすぎているため、そこで狭義での話になる。
狭義においては、意思により指向性をもたされた魔素による現象、ということになる。
かなり狭い範囲、ぐっと魔術っぽい話になった。
そして工学はというと、それはぶっちゃけ「利用できるものはなんでも利用して役に立つようにしよう」という学問である。
つまり魔術工学――魔導学とは、それまで漠然としたものだった魔術を研究し、社会の利益となるような技術や発明品をうみだすことを目的とした学問なのである。
そしてその最初の成果、それが魔法だ。
魔法は現代魔術とも工学魔術とも呼ばれる。
その場合、魔術は古代魔術と呼ばれたり源魔術と呼ばれたりする。
魔法を見える魔法とした場合、魔術は見えない魔法と呼ばれる。
めんどくせぇ……。
その才能をもたないおれからすれば、そういった言葉遊びは退屈なだけである。
もちろん僻みだ。
魔法の才能があれば喜んで学んだだろうが、いかんせん使えるのは〈厳霊〉のみ。
そんなすてばちな気分もあるせいか、母さんが懸命に――ちょっと熱に浮かされたように説明してくれるのだが……いまいち身がはいらない。
それでもおれは漠然と、魔素がPC、広義の魔術がOS、魔法がアプリケーションソフトのようなものだと理解した。
こうやってわかりにくいことを、持ちこんだ知識のなれしたしんだものに置換しておおまかに理解できることが転生者としての強みなのかもしれないとぼんやり考える。
そのせいか、やる気はそんなにないもののそれなりに理解して知識は増える。
となると母さんはますます張りきり、おれにどんどん魔導学の知識を詰めこもうとする。
朝から晩まで魔導学。
昨日も今日も魔導学。
今日も明日も魔導学。
ウウゥオアアーッ!
いやちょっと母さんこれ、おれじゃなかったら拷問だよ!?
普通の三歳児だったら「もうヤダーッ!」って号泣ですよ!?
ああでも母さんめっちゃ嬉しそうだし!
ぐぬぬ……、どうしたら……。
そんな抑圧されていたおれを救ったのは、ほったらかされ、のけ者にされ、ずっとおれと母さんをうらやましそうに指をくわえて見ていたローク父さんだった。
「なーリセリー、俺もなんか教えたい。俺もなんかー、なんかー」
母さんの腕にしがみついてゆさゆさ揺する。
駄々っ子か。
「教えるってなにを教えるのよ?」
「そりゃー、ほら、色々訓練をな?」
「そういう訓練はもっと大きくなってからって話だったでしょ」
「魔法だってそうだっただろー」
「これは雷を制御するために必要な知識だからよ」
魔導学における地水風火の四大元素の本質は固体・液体・気体・離体という物体の状態変化であるとか……、いやまあ雷はたぶんその離体なんでしょうけど、それをこんな子供に覚えこませていったいどうしろというんですかね?
「それなら体も鍛えた方がいいと思うんだよ。ほら、シャーロットもなんかそういうこと言ってただろ。健全な精神が健全な肉体に宿ったらいいよねって」
「鍛えるって、まだ三歳よ?」
「本格的にはやらないよ。ただそろそろ出歩かせてもいいだろ? ずっと家にこもって座ったまま魔法の勉強ばかりじゃ体が育たないだろうしさ。森を散歩とかいいと思うんだが……」
そういえばまだ家の敷地からでたことがないままだ。
父さんの話を聞いて母さんは考えこむ。
「うーん、確かに私も師匠がふらふらする人だったからよく歩いたわね。近道とか言いだして遭難してしばらく野宿とか……、そうねぇ、私がけっこう体力あるのって、そういう経験があったからかもしれないわね」
父さんが過酷な生活をしてきたのはなんとなく感じていたが、母さんもなかなかのものだったらしい。
「わかったわ。じゃあこうしましょう。午前中はあなたが、お昼寝して、そのあとはわたしが受け持つの」
「お、そうだな。そうするか」
この話し合いにより、おれは午前中は体を動かし、午後からは知識を増やすことに専念することになった。
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/21
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/23
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/04
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/02/20
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/08/30




