第113話 11歳(春)…「悪魔の箱」誕生秘話
「ほわー……」
完成した、そびえ立つハニートーストを前にしてミーネは武者震いをしていた。
焼いたパンの芳ばしい香りと、リカラの甘い香りに意識を持って行かれ、ミーネの目にはもうハニートーストしか映っていない。
完成したハニートーストはミーネに一斤まるごと。
もう一斤はティアナ校長のために一人分切り分け、残りはメイドたちの分である。
ティアナ校長の分はシアに持って行かせた。
広い食堂の大きなテーブルに、でーん、でーんとそびえ立つ二つのハニートースト。
集まったメイドたちが食い入るように見つめている。
「えっと、これから世話になるから、ちょっとしたお近づきの印に作ってみたんだ。温かいうちにめしあが――」
「いただきます!」
おれが喋り終わるのを待たずミーネは食べ始めた。
握りしめたフォークを四角くカットされた内側のパンにズガスッと突き刺し、ソフトクリームを乗せてその大口に放りこむ。
「もごごんごっ! もごごごごごんっ!」
「いやだからな、食べてから喋ればいいから。それくらい待つから」
目を見開き、ミーネは懸命になにか伝えようとしていたが相変わらず何を言っているかはわからない。
「んく。これすごいわよ! あなた食べたことある!?」
「いや食べてない物を用意はしねえだろ」
「あ、そっか! でもこれ――、えっと、まあいいわ。後でね!」
ミーネはなにか言おうとしたが食べたい気持ちが優先されてどうでもよくなったらしく、ハニートーストを猛然と征服しにかかった。
一心不乱にもりもり食べる。
「……まあ不味いわけがないもんだからな」
上品なスイーツとは違い、これは単純明快に美味しいという代物。
脳が痺れるような旨味の――、そしてカロリーの爆弾だ。
おそらく悲鳴をあげるようなカロリー数値だろうが、ミーネはやたら活動的だし、たまにならこれくらい平気だろう。
メイドたちにはみんなで一斤弱だから問題ないはずだ。
ミーネはお気に召したようだが、さて、メイドたちはどうだろう。
おれはミーネの席から少し距離をあけて集まっているメイドたちの方を見やる。
ハニートーストはもうなかった。
「ないか。……、ん? ない!?」
思わず二度見したが、ついさっきまでそびえ立っていたハニートーストは跡形もなく消え失せていた。
メイドたちの前にある取り皿にも欠片すら残っていない。
おれちゃんと用意したよね……、などと一瞬考えるが、もちろんちゃんと用意した。
ならばメイドたちが食べたのだろう。
恐るべき速さでもって。
『………………』
そしてメイドたちはというと、誰もが神妙な顔をしてミーネを――その前にあるハニートーストを食い入るように見つめていた。
ミーネはそんな熱視線などつゆ知らず、ひたすらもりもり食べ続けている。
割合でいうとすでに半分ほど――、こちらもかなりの速度だ。
残す気はまったくないようである。
「なあ、あんちゃんあんちゃん、あたいもっと食べたいな」
「ジェミも。食べる。もっと」
そう言ったのは並んで座るティアウルとジェミナ。
その瞬間、他五人のメイドの視線がさっと二人に集まり、それからおれへと移った。
見事なシンクロだった。
「え、えっと、じゃあもう一つ作ればいいかな?」
気迫すら感じさせる視線を受けて、おれはちょっと気圧されながら尋ねた。
するとアエリスが口を開く。
「それだけあれば充分でしょう。ですが……、ここはもしものことを考えて、二つあったほうがよろしいのではないでしょうか?」
断固とした決意を感じさせる、キリリとした表情で言った。
なんでそんな大袈裟に言うのよ……。
じゃあ二つで――、とおれが確認を取ろうとしたとき、ヴィルジオが続く。
「確かにその通りだ。しかし、世とは奇なもの、それを考慮してここは三つあったほうがよいのではないか?」
要はもっとほしいというだけの話なのに、どうしてそんな重大事項みたいに……。
たくさん食べたいなら、ちびっ子二人みたいに普通に言ってくれ。
「私まるまる一個食べられそうです、なら四つですね」
リオは潔かった。そして貪欲だった。
「結局、何個欲しいって話になるんニャー?」
なんでもいいから早くしろ、という面倒くさげな表情でリビラがまとめに入った。
早く食わせろということらしい。
そこでサリスがさっと立ちあがる。
「ではこうしましょう。平等に一人一つずつ」
パンが足りないよ! ソフトクリームも足りないよ!
ってかサリスよ、おまえも一個まるまる食べる気なのか?
それにジェミナとか絶対食いきれないだろ。
「話はまとまりました。ご主人様、七つお願いします」
「あの……、そんなにパンないです」
えっ、とメイドたちの顔が失望に歪む。
もんのすごーく歪む。
なんかごめん。
「二つ、あと二つは出来るから……、またそのうち作るから……」
そう言って、おれはそそくさと調理場へと逃げ込む。
喜んでもらおうとしたのに悲しませてしまった。
わけがわからん。
「ご主人さまー、なんか食堂のみなさん、妙な空気になってて恐いんですけどー、いったい何があったんですー?」
校長室へ行かせていたシアも食堂経由で調理場に逃げてきた。
おれは簡潔に状況を説明してやる。
「……やっちまいましたね」
「……やっちまったみたいだな」
ある程度おれが作ったものに慣れていたミーネなら丁度よかったのだろうが、メイドたちにはインパクトが強すぎたようだ。
そのため外面を取り繕うための理性が食欲にねじ伏せられてしまったらしい。
たぶんミーネだけまるまる一つで、さらに嬉しそうに食べ続ける様子を目の前にしていたのもまずかったのだろう。
「ティアナ校長ですら大はしゃぎでしたからね」
「え? 校長、大はしゃぎだったの?」
「ええ。まあまあまあまあ、と言い続けてました」
「なにそれ恐い」
そんなシアと反省会をしているうちにパンは焼き上がり、おれは急いで追加のハニートーストを拵えた。
まあこれでひとまず収まるだろうと、おれとシアで一つずつ持って食堂へと向かう。
「まあまあまあ、そんなに立派な物だったのですね!」
なんかティアナ校長が湧いていた。
湧いてはいたが、もうこれ以上どうしようもないので、おれとシアはメイドたちの前にそびえ立つハニートーストを置く。
『…………ッ!』
とたんにメイドたちが殺気だったのは気のせいではない。
なんと言うことだろう。
自分がより多く、よりたくさん、という食欲が昨日までの友を今日の敵にしてしまっている。
「あの……、シアさん、皆さんに、平等に、均等に、切り分けてあげたらいいんじゃないかなって思うんだ、おれ」
「わたしがです!?」
ちょっとの多い少ないで怨まれるやもしれん!
おれは恐くてそんなこと出来ん!
「うぅ……」
ちょっと泣きそうになりながらも、シアは細心の注意でもってほぼ均等にハニートーストを皆に配分した。
それでも二人前くらいはありそうなハニートーストだったが、瞬く間にメイドたちの口の中へと消えた。
ティアナ校長だけはゆっくりとまあまあ言いながら味わっている。
しかし――、あれだ。
こんな調子で食べたいだけ食べさせたら、メイドたちはぷくぷくになってしまうのではなかろうか。
好き好んでまるまる肥え太りたいわけはないだろうし、気づいたらなっていた、というのも可哀想だ。
ふーむ、体重計とか作ってみようか。
そんなおれのふとした思いつき。
それが後に女性たちの間で「苦悩の箱」やら「悪魔の箱」と呼ばれ、恐れられ忌み嫌われることになる体重計――、その発明のきっかけであった。
※誤字の修正をしました。
2017年1月26日
※表現の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/20
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/05
※文章を一部変更しました。
ありがとうございます。
2021/04/04
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/13




