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バイトとトラックと終焉

 寒さに震えて目を覚ます。むくりと起き上がると、部屋は紅い日差しで照らされていた。炬燵こたつの上にあるはずの眼鏡に手を伸ばす。ぼんやりとした頭をガシガシと掻き毟った。ふぁ……と欠伸を一つ零す。



 そこでようやく立ち上がる。見慣れた自分の部屋だ。炬燵の上は散らかっていた。開きっぱなしのノートパソコン。 積まれた漫画本とラノベ。食べかけのスナック菓子と、ゴミの菓子袋。汁がまだ残っているカップラーメンの器と、割り箸。



 炬燵の隣には汗が染み込んだ布団がある。周りには足の踏み場のないくらいに、ゲームと漫画、それに脱ぎっぱなしの服が散乱していた。我ながら汚い。最後に掃除をしたのはいつだったのかもう分からない。ま、いいか。


 小さな置き時計を見れば、時間は四時三十八分。もうそんな時間か。昨日は確かに遅くまで起きてたけど、こんな時間まで寝るとは新記録かもしれない。


そこまで考えて違和感を覚えた。何か忘れてる気がする。俺は慌ててスマホを手に取った。


「うわ、まずい……」


 バイト先から何十回と連絡が来てる。今日は昼からバイトだったのだから当然である。自業自得には違いないが、面倒臭い気持ちのほうが強い。


 とはいえ、一応二十九歳になった人間として、あ、いや、先週で三十になったんだった。


 三十になったら魔法使いになれると言ったの誰だよ。何も変わらないんだが。エロい魔法が使えるわけでもないしとんだ肩透かしである。いや、それより電話しないと。


「あ、もしもし」


 耳をつんざくような怒声が電話の向こうで吠えられていた。そんなに怒らないでよ。いや、俺が悪いんだけどさ。


 何時に来るんだと問われ、つい通勤所要時間を伝えてしまう。あえて遅めに言うべきだった、と電話を切ったあとに後悔した。そんなすぐには出たくない。


 というか、風呂入らねぇと。いや時間ないからいいやもう。遅れたらまた何か言われるし。


 一応シャツとパンツも含めて着替える。あまり変わり映えはしないがマシだろう。多分。


 一階にどたどたと降りてみれば、静かなもんだ。この時間は俺一人だから当然だった。


 誰かいたら送ってもらいたいところだが、そううまくはいかないようだ。気持ちを入れ直して外に出た。


「さむっ!」


 俺はすぐさま家に戻る。なんて寒さだ。ポテッとした体つきのせいで寒そうじゃなくていいよなと馬鹿にされたこともある。


 だが脂肪に意味はない。寒いものは寒い。早くも心が折れそうだ。電話するんじゃなかったと早くも後悔し始める。


 意気込むのに数分要する。はぁとため息をついて、俺はようやく外に出た。防寒対策はバッチリだ。ニット帽を被り、マフラーを巻いて、モコモコとしたコートを着込む。丸い体がさらに丸くなった瞬間である。全身真っ黒じゃなかったら雪だるまと言われてるところだろう。


 黒い手袋をはめて、ライダーさながらに自転車を何とか跨ぐ。キコキコと俺はバイト先であるコンビニへと向かった。


「お前もうクビ」

「ファッ!?」


 寒い中頑張って通勤した俺に待っていたのは、酷い通告だった。せっかく来たというのに。いやそうじゃない。


「ちょ、ちょっ、待ってくださいよ……」


 噛みながらも俺は店長にすがりつく。ここで何件目だと思ってるんだ。大学を卒業して就職に失敗し、何とかバイトをしては辞め、しては辞めでようやく此処に辿り着いたというのに。


 頭が眩しい店長。後光が差すかのような人だ。なのに、店長は裏であることをいい事に、溜まった鬱憤を思い切りブチまけてきた。


 端的に言えば、何度目の遅刻だということ。それも遅刻と片付けていい時間ではないこと。髪もボサボサで髭も剃ってない。接客業なのにやる気があるのかということ。


 いつまで経っても仕事を覚えてないし、連絡報告相談も不十分であること。後から入ってきた高校生、年齢イコール彼女いない俺と違い、彼女持ちの超イケメン野郎なんだが、そいつのほうがよっぽど使えること。


 そもそも次遅刻したら考えると通告はしたとのことだった。……え? マジで?


 全く通告なんかされた覚えはない。だがそれを言っても、もう我慢の限界であると言われてしまう。今日来させたのも、仕事の為ではなく、クビの宣告と私物を持って帰らせるためとのことだ。


 やばい。俺はようやく事の重大さに震えた。慣れた土下座をしたところでもう遅い。俺の言い分は悉く無にされ、弁解も土下座ものれんに腕押しだった。既にこのコンビニに、俺の居場所はもうなかった。


 ロッカーに置いてあった、可愛いねんどろいどフイギュアを持って俺はコンビニを去る。


 その途中、レジに目を向けると、例の茶髪イケメン野郎は、同僚である可愛い黒髪女子と談笑していた。このイケメン野郎が、俺の天使に。怒りが湧く一方、そのイケメン野郎は俺を見て、「あ、お疲れ様です」なんて言ってきた。


 うるせぇ。俺はもうこの場所から抹消されたんだ。本来なら俺もシフトに入ってるのにと、イケメン野郎は内心不思議そうではある。が、俺はクールを装って言ってやった。


「おう、お疲れ」


 寒空の下で俺はまたキコキコと家に帰る。まさかこれで俺は、フリーターからニートという奴になったんだろうか。


 ジョブチェンジといえばカッコいいが、実質ランクが下がってるだけだから惨めなものである。


 この先どうしよう。俺は将来設計を立てながら一時停止して缶コーヒーを取り出す。ちょっとムシャクシャしてコンビニから拝借したものだ。


 裏の段ボールに積まれてたものだから、まだそんなに暖かくない。まぁ今は喉を潤せれば何でもいい。


 グビグビと飲み干して落ちついてみると、考えが少し纏まってきたような気がする。とりあえず当面の金がいるとして、家に帰る前に出稼ぎに向かった。


「…………」


 戦闘時間約一時間と十三分。俺の財布はただの皮キレになってしまった。パチスロなんてやるもんじゃねぇ。

 余計な寄り道をしてしまった。俺は大人しく家に帰ることにする。


 その途中、見慣れた交差点に差し掛かる。俺は赤信号で足を止めた。行きは急いでたから止まれの信号なんざ無視だったが、今はもうそんな気分じゃない。ゆっくり帰ろう。


 そう思っていた折、向かいに子供が一人確認出来た。そいつはゲームをしながらで歩いており、赤信号に気付いてないようだ。まぁどうでもいい。別に車も来て……いや、トラックが来てやがる。


「お、おい、戻れっ!」


 俺の叫びも気付かず、子供はゲームに夢中だ。大型トラックもスピードを緩める気配がない。このまま声を出し続けるだけでいいのか。


 そう考えると、俺の足は動いていた。自転車を倒して走り出す。何やってんだ俺。間に合うかどうか考えろって。無理だろ。こんなの。


 頭の中と体がバラバラになった感覚だった。それでも飛び出しちまったからにはもう遅い。助けるというより、もう自分が助かるにも、子供を引っ張ってスピードに乗ったまま向こう側に行ったほうが見込みはあると思った。


 いや、それでも間に合いそうにない。助けられずに自分も死ぬのか。足がもつれて転んだ俺の目の前で、猛スピードだったトラックが急ブレーキで止まった。


「馬鹿野郎。危ねぇだろうが!」

「え、あ、いや。……すいません」


 トラックは何事もなかったように走り去る。助けたはずの子供も、いきなり服を掴んだ俺に蹴りを入れて逃げてった。まぁ、子供も俺も生きてて良かったよ。やっぱ、慣れないことはするもんじゃない。


 今日は厄日かもしれないと思った。ネットでよく見る転生物語の導入部分みたいだ。あのままもしトラックに轢かれてたら、俺も異世界に転生してたのか。


 本当にそうなったら悪い気はしないが、あれは誰かの妄想だし、本当に死んでただろうな。


 転んだ傷と、子供に蹴られた痛みに耐えつつ、俺は帰路を変更した。またさっきみたいのには巻き込まれたくない。大通りは避けて、狭い小道を通ることにした。


 住宅街のなか、裏通りを自転車を押して歩く。さっき死なずに生きてたことを考えると、バイトがなくなったことくらい何でもないように思えた。親には下手したら殺されるだろうが、とりあえずネットで求人でも探さないと。


 あと十五分くらいで家に着く頃、俺の前にどさっと人が降ってきた。


「は……?」

「ちっ」


 突然人が現れたんだ。まずは驚くだろう。アニメとかだったら美少女が降ってきたいするんだろうが、残念ながら現実は正反対。


 黒服で人相の悪いおっさんだった。塀を降りたのか。


 ったく、危ねぇなぁ。何か文句でも言うべきかな。俺がそう思ってる間に、男は腰に手を回した。勢いよく腕を動かしたかと思った矢先、腹の痛みがさらにズキッと悲鳴を上げた。


「え……?」


 遅れてようやく、俺は蹴られた痛みとは違う痛みだと気付いた。何だこれ。何だよこれ。手を押さえると、ドロリとしたものが手に流れた。これ、血か?


「見られるとは運が悪いな。いや、運が悪いのはお前か?」

「おい、何やってんだ」

「おう」


 男は去って行った。俺はというと、あまりの痛みに立っていられなくなる。


 がしゃんと自転車が倒れ、その後に自分自身が倒れ込んでしまう。子供の頃に負った怪我とは全然違う。痛くて痛くて涙が出てきた。ちょっと待ってくれよ。これ、さすがにシャレにならないぞ。こんなとこで死ぬわけないよな。

 あまりの痛みと、死ぬかもしれないと思うとがちがちに震えて、涙が溢れた。


「勇ちゃん」

「あ……?」


 懐かしい顔だった。中学まで一緒だった幼馴染だ。久しぶりだな。元気にしてたか。ちょっと横になってて悪いな。最近は人の名前なんか覚えられないけどさ。ちゃんとお前は覚えてるぞ。俺が落ちちゃって高校は別になっちまったけど腐れ縁だったからな。

 けどお前変わってないな。黒髪でセーラー服ってお前学生みたいだぞ。



 あぁ。ごめん母さん。俺またバイトクビになっちゃったよ。でもまた探すよ。もうすぐ帰るからさ。待っててくれ。


 冷たいコンクリート。ごつごつして頭も痛い。けど、それも何だか慣れてきた。こんなとこで寝るなんて酔った時ぐらいだったけど、それに近いかもな。寒かった体も温かくなってきたし。力もなんだか抜けてきた。はは……、コンクリートが俺の血で赤黒いな。


 やっぱ死ぬのかな。俺。人生なんか、何とかなるって思って適当に生きてたよ。でも、こんなのってねぇよ。こんなとこで死にたくねぇよ。


「もっと、ちゃんと生きたかったよ……」


 視界にもやがかかったようだ。体は全然動いてくれないし。温かかったはずなのに、急に寒くなってきた。


 僅かに音だけが聞こえる。女性の悲鳴っぽいのと、何人かの足音だと思う。


 あぁ、これで俺助かるんだな。そうだよな。こんなとこで死ぬなんて、ありえないよな。安心したら何か眠くなってきたな。ちょっとだけ眠ろう。


 ほんのちょっとだけだ。次起きたら病室かな。

 ゆっくりと瞼を閉じて俺は、ひと眠りつくことにした。

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