第四話 二日目 その②
「――はい、というわけで、奏ちゃんたちからお話があるそうなので皆注目!」
のりちゃん先生がそう言って生徒の注目を集める。
決意むなしく、授業を全て寝て過ごしてしまったあたしであった。
が、それとこれとは関係のないことだ。
今はとにかくみんなに聞いてみよう。
あたしは教壇に立ってみんなを見回す。
「ハッハッハ、人がご――」
「アホなことやってんじゃねえ。もうそのネタは出し尽くされてるんだよ!」
痛い……近くにあった出席簿で頭叩かれた……。
ほんと宮ちゃんって乱暴なんだから。
「ごほん、えー、みなに集まってもらったのはほかでもない。重要な話があってのことであります」
お、おお……、壮観だよ……。
皆があたしに注目してる。
あたしは由良ちゃんに目配せをして。
「それでは、由良隊員、続きをお願いしようか」
「かしこまりました、奏隊長! では僭越ながら、この私めが話の続きを――」
しびれをきらした宮ちゃんは、機嫌悪そうに腕組して、遮るようにして言った。
「ああ、みんなごめんな? うちのバカ二人の子芝居につき合わせちゃって」
なにさ、さっきまで宮ちゃんだってノリノリでやってた癖に。
少しいじけるあたしに反して、何故か由良ちゃんは嬉しそうにしている。
気になったあたしは声をひそめて聞いてみた。
(なんで嬉しそうにしてるの?)
(私ね、こういうちょっとおバカなことやってみたかったの!)
ああ、バカなことしてるって自覚はあったんだ。
それにしても変わった子だよね、由良ちゃんって。
「おい、うちが一生懸命話してるのに、そこでコソコソと何話してんだ……?」
(宮ちゃん、ファイト!)
「いや、今小声にする必要ないからな?」
(宮子ちゃん、ファイト!)
「由良……うちの話し聞いてたか……? まあいいやもう……」
あたしたちは、緊張してるであろう宮ちゃん向けてエールを送った。
その甲斐あって、どうやら緊張はほぐれたようだ。
「というわけで、うちらは部活を立ち上げようと考えてるんだが、なにか助言してくれる人いないか?」
クラスはざわつき、みな何かを考えているようだ。
近くの人と話し合ったり、紙になにかを書き込んだり。
はたまた、つまらなそうに窓の外を眺めている人もいたり。
ん?
つまらそうに窓の外を眺めている……?
やや、あの子絶対なにも考えてないよね。
あたしは名前も分からぬその子目がけて。
「そこのあなた! さてはいま、『はやく終わんないかな……』とか考えているな!」
皆の視線は一気にその子に集まっていく。
そこでようやく、ハッとしたその子はあたふたとし始める。
「わ、わたし!? いやいや、そんなことないよ!」
なるほど、わたしキャラか……。
私とはせず、あえてわたしと平仮名表記することで、私キャラの由良ちゃんとの混同を事前に防ぐとは。
この子、できる……?
「よし、四人目の部員は君に決めた!」
「ちょ、ちょっと! 勝手に巻き込まないでくれ! だいたい、何するかも決まってない部活なんて誰がどう考えても入らないだろ!? わたしは脚下だ!」
断固拒否だね……。
仕方ない、ここは由良ちゃんの出番だ。
言葉なんていらない。
そんなものなくとも、あたしと由良ちゃんは分かり合える。
由良ちゃんは、「ラジャー!」と勢いよく駆けていき、説得を開始する。
「あなたお名前は?」
「え、え? あ、えっと、深瀬凛ですけど?」
「そう、じゃあ凛ちゃんって呼ぶわね? それで凛ちゃん、もし私たちの部活に入ってくれたら色々と良いことがあるわよ?」
「え? 良いこと……? よく分かんないけど、わたしは別に――」
「そんなこと言わないで凛ちゃん……、私はあなたと……あなたと青春がしたいの! だからお願い!」
クラスは静まり返り、みな一様に凛ちゃんの返事を固唾をのんで待つ。
なんていうか、公開告白みたいになってるよね、これ。
あたしはここまでやってくれとは言ってないんだけどな……。
でもまあ、結果オーライだよね。
「ごめんなさい……」
ため息が一斉に、あちらこちらから聞こえてきた。
勧誘改めて告白が失敗に終わった由良ちゃんはといえば、それはもうこの世の終わりみたいな顔をしていた。
ナイスファイト、由良ちゃん……。
あたしは心の中でそう健闘をたたえる。
きっとクラスメイトたちも、同じような気持ちでいることだろう。
が、一人だけまったく違った反応を見せた人が一人――
「あれ? 凛じゃんかよ? お前ここの高校通ってたの?」
え、もしかして二人は知り合い?
いやいや、そんなわけが――
「う、うう……どうして同じクラスにいるのに気づかないんだよぉ……宮子……うわああん!」
さきほどまでの困惑の表情は一変し、今度はいきなり大声を上げて泣き出してしまった。
にしてもうん、ほんとそれだよね。
同じクラスにいて気づかないなんて最低だよ、宮ちゃん。
「宮ちゃんのお友達……?」
心配そうな顔で由良ちゃんは聞いた。
「友達っていうか、幼馴染」
「「「……え……?」」」
すると教室中はツッコミの嵐に包まれる。
「おい宮子! お前その子と幼馴染のくせに、今の今まで気付かなかったのか!?」
「ああ、まったく」
「いくら入学したばかりとはいえそれはないでしょ!? 実は知ってて言ってるんだよね!? これは冗談かなにかよね?」
「いやいや、まじで気づかなかったんだってば」
「幼馴染とか言ってるけど、実はそれが冗談とか?」
「うーん? そうだなぁ……、うちと凛は幼稚園入る前からの知り合いだぞ?」
「めちゃくちゃ幼馴染じゃん!?」
「だからそう言ってるだろー?」
迫りくる言葉の数々をさらりとかわし、平然としている宮ちゃん。
やっぱり、宮ちゃんって無神経なのかな?
そんなふうに考えているあたしをよそに、宮ちゃんは凛ちゃんのもとへと歩み寄っていく。
そして、目の前につくと――
「あっはっは! なに泣いてんだよ? 相変わらず泣き虫だな、お前?」
「ひっく……だって、だってぇぇぇ……宮子が酷いこと言うからじゃないかぁぁぁぁ……!」
机に突っ伏して泣きじゃくり、明らかに収拾がつかなくなっている。
そこでようやく、しばらく空気になっていたのりちゃん先生が登場して。
「はいはい、いちようこの時間はホームルームの一貫として使わせてあげてるのよ? そんな茶番はお家に帰ってやりなさい?」
ここにも無神経がいた!?
いま茶番って言ったよね、この人?
類が友を呼ぶが如く、無神経が無神経を呼んだ!
「なんかもう、ホームルームって気分じゃないから今日はもう解散。はい帰って帰ってー」
うわあ……すごい適当……。
ていうかキャラ変わっちゃってるよのりちゃん先生……。
わけの分からぬままホームルームが終わり、パラパラと生徒は帰宅していく。
「なあ奏、ちょっくら残って部活について話そうぜー」
「あ、人でなしの宮ちゃん。そうだね、少し話し合おうか」
「おい、うちのどこが人でなしなんだ……?」
「幼馴染の凛ちゃんに気づかないとことか?」
「うぐっ……」
あたしの思わぬ一言に動揺を見せた。
なんだ、この反応から察するに、宮ちゃんもそれなりに気にしてはいるのかな。
「あ、もちろん由良ちゃんも!」
誘って欲しそうにこっちをチラ見していたので、すかさずあたしはそう言った。
別に由良ちゃん一人を省いたりする気はないのに。
でもきっと、あたしの方から誘って欲しかったんだよね。
確かに自分から言い出すのって恥ずかしいし。
すると、満開の桜を見つめるように、愛おしそうに由良ちゃんは言う。
「うう……、放課後にお友達に誘われるなんて……夢のようだわ……」
もしかして由良ちゃんって、さみしい人なのかも。
「外国にいた時は、こういうことする友達はいなかったの?」
深い意味はないけど、あたしはそう聞いてみることに。
「そうねえ……、やっぱりわたし、あっちの人たちからしたら外国人だったから、少し距離をおかれていたっていうのかな? あまりそういうお友達はいなかったわ」
え、意外かも。
まだ会ったばっかりだけど、由良ちゃんが優しくて良い人だってことぐらいは分かる。
ちょっとフワフワしてるとこあるけど、けどそれも含めて由良ちゃんの良いところだし。
「そっか。でも、これからはあたしたちがいるからね? あたしはそんなさみしい思いをさせないよ!」
あたしはパチッと、ウインクを決めた、つもりだったんだけど――
「嬉しいわ! ところで、いきなり両目をつむってどうしたの? 花粉症、かしら?」
「違うもん! 花粉症じゃないもん! 今のウインクだもん!」
「今のはどう見てもウインクじゃないだろ……」
横から宮ちゃんが口出ししてきた。
あたしは頬を膨らませて。
「どうせ宮ちゃんもウインク出来ないくせに……」
行儀悪くも椅子に立ち上がって。
「ふん、うちにだってウインクぐらいできるわ!」
「証拠は……?」
「証拠? ほら!」
可愛らしくピースなんかしちゃって……。
けどそのウインクじゃ、あたしと変わらないんだけどな。
仕方がない、ここは一つ、おだてておこう。
「わあー、すごいねー宮ちゃん」
「せめてもう少し感情こめてくれ」
「うっわぁぁぁぁ! すっごいよ宮ちゃん!」
「それはそれでムカつくな」
どっちだよ!
もう知らない、宮ちゃんなんて知らないもん。
「なにやってるんだ……? お前ら……?」
声がした方に振り向くと、そこにはすっかり立ち直った凛ちゃんの姿が。
「あら、もう平気なの?」
先に反応したのは由良ちゃん。
両手をあわせて、いかにも心配しているような素振りを見せている。
「あ、ああ。もう大丈夫。ごめんね、心配かけちゃって」
「ううん、そんなことないわ。でも良かったぁ……、いきなり泣きだした時は、どうしようかと思ったもの」
「そ、そのことはもう忘れてくれ……」
毛先をクルクルとさせ、恥じらう凛ちゃん。
これは……女子力が高い!
「ったくー、高校生にもなって泣きじゃくるなんて、幼馴染として恥ずかしいよ、うちは」
机にまたがってお猿さんみたいな恰好してる宮ちゃん。
これは……女子力が低い!
「ほんのさっきまで、その幼馴染の存在に気づかなかったお前が言えた立場か!」
「う……、あ、あれは……そう! 冗談だよ冗談! 幼馴染ジョークってやつ?」
「アメリカンジョークみたいに言うな、アホ宮子。それで? これから何かするのか?」
宮ちゃんはキーキーと叫んで。
「なにさ! アホって言うほうがアホなんだぞー?」
「ということは、アホ凛ちゃん、かしら?」
笑顔でさらっと凛ちゃんの悪口言ったよ、この人。
「おう、由良は分かってるじゃないか! こいつはアホ凛ちゃんだぜ、って痛ったあ!?」
どこから持ち出したのか、凛ちゃんは黒板消し、しかも黒板消しの角で頭を叩いていた。
うわ、今のは痛いよ……きっと。
お、もう一発。
「お前はいつもいつも、そうやってわたしのことバカにして! いい加減大人になれよな……」
なんだろう、今の台詞すごいピンとくる。
確かに宮ちゃんって子供っぽいところあるよね。
うん、そろそろ大人になるべきだよ、宮ちゃんは。
「なに頷いてんだ、奏? いまのはお前にも当てはまることだぞー?」
頭をさすりながら宮ちゃんは言う。
そして凛ちゃんはため息をついて。
「結局お前たち何してるんだ?」
「作戦会議だよ、凛ちゃん!」
「作戦会議? さっきの部活がどうとかの話しの続きか?」
「そうそう。これからのあたしたちのあり方について!」
「まあ! 何だか楽しそうなお話ね!」
楽しそうにピョンピョンはねている。
お、宮ちゃんに続いてここにも子供っぽい子発見。
「先に言っておくけど、わたしはお前たちには協力しないからな?」
そうして早くもカバンに手をかけ、帰り支度を始めていく。
「待て待て、凛はもう部員決定だから」
「わたしの意見は無視か!?」
「うん、凛には決定権も拒否権もないぞ?」
「わたしは絶対に嫌だ!」
「じゃあもう学校で会っても話しかけてやんないからなー?」
「それは困る!」
おお、これが幼馴染の熟練されたやりとり。
あたしや由良ちゃんの入る余地がない。
「まあまあ、とりあえずそこに座りましょう?」
余地があった!?
「え? あ、ああ。そうだな……」
もしかして凛ちゃんって押しに弱い性格?
言われた通りに椅子に座り、黙ってじっとしている。
「よし、みんな揃ったところで、第一回部活会議を始める!」
「おおー……」
あたしは思わず感嘆の声が漏らす。
どうしてか分からないけど、宮ちゃんには場を取り仕切る力があるんじゃないかな。
「内容はもう周知の通り、どんな部活をするかだ。なにか意見のある人はいるか?」
「はい、先生!」
「うちは先生じゃないんだが……、まあいいや。はい、それじゃあ奏」
「楽しい部活をしたいです!」
「うん、分かった。お前はもういいから、とりあえず黙って座っとけ? はい次!」
ん?
なんかあたし、軽くあしらわれた?
「はい、先生!」
「由良……うちの話聞いてた? うちは先生じゃないって。まあいい、まあいいよ。それで?」
「お友達と楽しく過ごせる部活動にしていきたいです!」
「はい次……」
宮ちゃんはげんなりとした様子で話を続けていく。
「おい、次は凛の番だぞ?」
「え、わたし? わたしは……その……別になんでもかまわない……」
「もっと大きな声で! やり直し!」
なんだか宮ちゃん威張ってるよね。
ちぇー、ちょっと話進めるのが上手いからって偉そうにしちゃってさ。
「や、やり直し……? だ、だからわたしは――」
「ふむふむなるほど、凛はうちと一緒の部活なら何でもいいって? あーもうよせったら! そんなこと言われなくても分かってるって!」
「先生! 凛ちゃんはそんなこと言ってないと思います!」
「それでだな、以上のことをまとめるとこうなるわけだ」
ひどい! いま普通にスルーされた!
やっぱりあたしのこと軽く見てるよ、宮ちゃんは。
ガシガシと後ろの黒板に殴り書きして、仰々しくも声を張り上げて言う。
「奏、由良、凛、これがうちの出した結論だ!」
……えーっと、これはどういうことかな?
しばしあたしは混乱していると、凛ちゃんが恐る恐る聞く。
「お、おい……? なんだ……この、青春部、というのは?」
そう、宮ちゃんが導き出した答え、それはつまり、この汚い字で書かれた、青春部、というものだった。
「なんていうか、色々と混ぜすぎじゃないかしら?」
「そうだよ宮ちゃん! これはあまりにも適当だとあたしも思う」
「いえ……、私は別に適当だとは言ってないけど……」
「由良ちゃん、これはどう考えても、どっからどう見ても、適当だよ!」
「だから、私はそういうことが言いたいんじゃないのだけど……」
もじもじと言い淀んでいる由良ちゃんは気にせず、あたしは凛ちゃんにも同意を求めた。
すると、「確かにそうだな」とだけ言って黙る。
うん、みんなの気持ちは一つなんだよ。
あたしたちは、宮ちゃんの意見には賛同できない。
「宮ちゃん、考え直そう」
よほど自信があったのか宮ちゃんは、「ええ!? まじで?」と意気消沈してしまう。
可哀想だけど、大まじだよあたしは。
「なあ、わたしがこんなこと言うのは筋違い、なのかもしれないけど、お前たちが新しい部活を作ることに固執してる理由は何だ? 別に今ある部活に入れば事足りる話だろ?」
「いや、確かにそうだけど……」
こればかりは言い返せないかな。
こう改めて言われてみると、あたしたちがやろうとしてることは間違っているのかもしれない。
この表情から判断するに、由良ちゃんも多分、あたしと同じように思っているのだろう。
何か上手いこと言おうとして考えてるけど、何も思いつかない。
「わたしはな、なにもお前たちの意見を鼻っから否定しようなんてつもりはないよ? だけど、やりたいこともないのに部活を作ろうなんていうのはおかしいだろ? きっと、今までに部活を立ち上げてきた人たちは、みんな一様に強い思いがあってのことなんだ。だから、な?」
そう言われては太刀打ちできない。
凛ちゃんは、あたしたちの考えを否定する気はないと言ってくれた。
けど結局は、今の話しの要素を細かく見れば、否定しているのと変わらない。
やりたいことがないから新しく作る。
聞こえはいいけど、実際のところはどうだろう。
そこにあたしたちの強い意志は、気持ちは、想いはあるの?
ないよね……そんなものあるはずがない。
あたしたちが求めるもの、それはきっと楽しさだけだ。
楽しみたいだけなら部活なんていらない。
「うちらやりたいことは悪い事、そう言いたいんだろ、凛は……」
重い沈黙のなか、ポツリとそんな言葉が漏れる。
「み、宮ちゃん! 凛ちゃんはそんなことが言いたいんじゃなくて――」
「ああ、分かってるよ!! 凛が言いたいことなんて……、けど、それでも、やっぱりなんか悔しい……。悔しくて、切なくて、辛いよ……」
「宮子ちゃん……」
由良ちゃんはじっと宮ちゃん見つめて、心配そうにしている。
恐らく、どっちの言い分も分かるが故に、どうしていいか分からないでいるのだろう。
そしてそれは、あたしにも言えることだ。
「なあ凛、正論ってのは、時に人を傷つけるんだよ……。間違ってなんかいないし、正しいのはお前のほうだ。けど……、じゃあうちらの気持ちは……! どうすればいいんだよ?」
「お、落ち着け宮子……!」
「ただ楽しく過ごしたい……そういう気持ちだけじゃ、ダメなの……? 本気で何かをやりたいやつらも、きっと最初はそういう気持ちだったんじゃないのかよ……?」
宮ちゃんの語るその様は、真剣そのものだ。
凛ちゃんは静かに立ち上がり、優しい声色で話し始める。
「なあ、宮子。わたしはお前のそういうところが好きだ。昔から変わらない、いつでも真っ直ぐで、一生懸命生きてるよな」
「……」
「遊び一つとってみても本気だし、まあ勉強とかは全然できないけどな? でも、わたしはそんな宮子のことが好きだし、憧れてるよ。だけどやっぱり、これだけは言わせてくれ……」
ゆっくりと歩み寄り、顔を近づけて。
「楽しいことイコール部活じゃない。結局お前たちのそれは、単なる遊びの延長線だよ」
そう……だよね。
浅はかだったな、あたし。
自分にやりたいことがないからって、宮ちゃんや由良ちゃん、それに凛ちゃんまで巻き込んで。
「ごめん……みんな……ごめんね……」
もうこの言葉しか出てこない。
「あたしのわがままに巻き込んじゃって、ごめんなさい」
「ち、違うわ奏ちゃん! あなたのせいじゃないわ!」
「そうだよ奏、別にお前だけのせいじゃないぞ?」
「でも……、でも……! あたしがこんなこと言い出さなかったら、きっと皆は、今ごろ部活も決まってたよ……」
あたしが生半可な気持ちで言ったばっかりに、こんなことになっちゃったんだ。
あたしが皆を惑わせて、迷惑をかけたんだよね。
「ごめんなさい……あたしもう帰るね……。もう、部活なんて作るのやめよ……」
それだけ言い残して、あたしは走って教室を出た。
逃げ出した、あたしは何もかも投げ出して逃げ出したんだ。
中途半端で最悪だよあたし。
溢れ出る涙を堪えきれずに泣きじゃくる。
みっともなく、大きな声を出してあたしは泣いた。
まだ帰宅していない生徒がちらほらと。皆あたしを見て驚いている。
けど、気にせずにそのまま廊下を走り抜け、無我夢中で駆けていく。
そうして――気づいた時には家に着いていた。
「……」
無言で家に入って部屋に引きこもる。
制服のままベッドに倒れ込み、温かい布団の温もりに身を任せて。
「最低だ、あたし……」
外はすっかり夕日に染まり、窓から漏れるその朱色の光は、まるで嘲笑うかのようにあたしを照らす。
こんな気持ちは初めて、夕日が不快に感じるなんて。
布団を被ってあたしは隠れた。
視界は暗転し、心は灰色に染まる。
それは真っ白で真っ黒な灰色、相反する二つの入り混じった色だ。
あたしの気持ちは矛盾だらけ。
自分でも知らない、分からない。
深い闇に堕ちていく。
このまま一生こうしていられれば――
「奏、今日も二人、帰り遅いって」
いきなり開け放たれた部屋の扉。
この声の主は、にい。
「……」
「電気、点けないのか?」
「うん」
「ケーキ、食べる?」
「いらない」
「そうか」
短い言葉で相づちを打ち、にいをあしらう。
「飯、七時な」
「ん」
ガチャリと閉める音が、この部屋中に響き渡る。
なんの音も聞こえない。
聞こえてくるのは、心臓の脈打つ音だけだ。
緊張してるわけじゃないのに、鼓動は早く、張り裂けそう。
「あたし、どんな顔していけばいいんだろ、学校」
ごろりと寝返りをして、そう独りごちる。
誰に話しかけてるわけでもない。
まあ、独り言なんだから、そりゃそうだ。
少しばかりの眠気が押し寄せ、再び目を閉じた。
と、そんな時に――
「なにかあったの?」
扉越しに、にいが話しかけてきた。
まだそこにいたのかと思い、布団から顔を出して、そちらを確認。
どうやら開ける気はないようだ。
扉は閉じられたままであった。
「別に」
「そう? でも、話聞いて欲しいんじゃないの?」
「そんなことない」
「でも、靴ちゃんと揃えてあった」
靴? 揃える?
なにを言ってるのかさっぱり分からない。
あたしは黙って言葉を待つ。
「俺は、お前の兄貴だ」
当たり前だよ。
さすがのあたしも、そんなことぐらいは理解してる。
「何十年間も、お前の兄貴やってきたんだ」
「にい……、何が言いたいの……?」
「お前がきちんと靴を揃えるなんておかしい」
「え……?」
「いつもなら、玄関に靴散らかしたままだろ?」
確かにあたしは、脱いだ靴をしっかり揃えるような性格じゃない。
いつもいつも、脱いだら脱ぎっぱなしだしね。
けど、それが何だと言うのか。
「それで……?」
「お前がそうする時は、だいたい何か悩んでる証拠」
「今日はたまたまだもん」
「お前が小三のころ、友達にイジメれてるとかで、お前が悩んでた時も同じだった」
「それだけじゃん」
「次は中二、テストで最下位の時も同じ」
「……」
「中三――」
「ああもうあたしの負けだよ! にいの言う通り、あたし今、ちょっと悩み事あるの!」
その話だけは恥ずかしいからやめて……。
依然として、部屋に入ることなく話を続ける。
「何があった?」
何があった、か。
今日の出来事を思い返す。
部活立ち上げを持ち掛け、クラスを巻き込んで、宮ちゃんや由良ちゃんや凛ちゃんを巻き込んで――
「あたしね……自分の都合をさ、友達に押し付けちゃったんだ。何も考えてなんかないのに、全部人任せにして、それで迷惑かけちゃってさ」
「最低だな」
甘やかすことなく、にいはきつい口調でいう。
けど、そう接してくれることで、落ち着くし安心する。
「ほんと、あたし最低だね……。でもね、それだけじゃないの」
「まだ何かやらかしたの?」
「そう……、あたしが原因で困らせたのに、その尻拭いもしないで、逃げてきた」
「うわ、ないわ」
やっぱり……にいの言葉はきついな。
ぐさりと心に突き刺さるようだ。
「それで? 何を悩んでるの?」
「ちゃんと最後まで……向き合って話せなかったことかな。それがあたしの今の悩み」
「どうしたい?」
「どうすればいいと思う?」
おうむ返しにあたしはそう聞いた。
考えるのを放棄したわけじゃない。
本当に、どうしていいか分からなくなり始めているのだ。
「謝ればいいと思う」
「そんなんでいいのかな?」
「さあ。とりあえず、謝って、もう一回話してみれば?」
「あたしなんかと、もう一回話してくれるかな?」
「意外とみんな、お前のこと心配してるかもよ? お前が思ってる以上に、お前は大切にされてるのかも」
いつものにいなら、こんな言葉を聞けることはないだろう。
いつもならきっと、「さあ」とか「知らない」、とかしか言わないはず。
「じゃあ、にいはあたしのこと大切?」
「さあ」
あれ、いつものにいに戻った?
「じゃあ、あたしのこと好き?」
「知らない」
ちぇー、つまんないや。
もしかしたら、そう言ってくれると思ったのにな。
「バカなこと言ってないで、そろそろ部屋から出てきたら?」
「バカなことじゃないもん! にいのバカ!」
「あっそ。じゃあ俺はもう行く」
そう言うと、階段を下りていく音が。
にいと話してたら、なんだか少し、気持ちが楽になった。
そうだよね……、落ち込んでても仕方ないもん。
明日ちゃんとみんなに話してみよう。
それから――
にいにお世話になっちゃったから、なにかお礼でもしようかな。
うーん……、肩たたきとか?
それとも、夕飯を作ってあげるとか?
いやいや、あたしは壊滅的に料理下手くそなんだった。
さすがに不味いものを食べさせるのは可哀想だ。
まっ、いいか。
とにかくお礼だけでも言っておこう。