第一話 一日目 その①
「はーい、それじゃあみんな? 静かにしてねー」
眼鏡をかけて、ゆるい雰囲気を纏った先生がそう言った。
その言葉を皮切りに、生徒は一斉に静まり返る。
「私はこの一年一組の担任の、沢井のり子です。まだ教師になったばかりだから、分からないことも多いと思うけど、ぜひみんなと一緒に成長していければな、と思います。よろしくね?」
カッカッカッ、と黒板に自分の名前を書き連ねていく。
やがて書き終わり、くるりとこちらを向いて。
「まあ、堅苦しい挨拶はこのへんにしておいて……、それじゃあ自己紹介をしてもらいましょう!」
意気揚々と言って、当然のごとく、出席番号一番から自己紹介が始まった。
そして、順調に進み、やがてあたしの番が。
うぅ……緊張する……。
何回もこのやりとりをしてきたというのに、いつまでたっても慣れないものだ。
ガタンと勢いよく立ち上がり。
「しゅ、出席番号16番の、浪川奏です! 趣味は、えっと、友達とおしゃべりすることです!」
ここでどっと笑いが起きる。
「え……? あ、それから……、特技はお喋りすることです!」
教室には笑いの渦が巻き起こる。
あれ?
あたし変なこと言ったかな?
「それで、部活はまだ決まってません! よろしくお願いし――って痛ったぁ……」
盛大にお辞儀をすると、勢いあまって机に頭をぶつけた。
ああ……入学早々ドジしてばかりだ、あたし。
すると、担任の沢井先生はフォローを入れ始める。
「あ、あら……浪川さんは元気があっていいわねえ? ほら、皆さん拍手!」
あちらこちらでパラパラと拍手が。
「えへへ……どうも……」
とてつもない恥ずかしさから、今すぐにでもこの教室を飛び出してしまいたい衝動に駆られる。
とはいっても、そんなことするわけにはいかないので、じっと座ってホームルームが終わるのを待った。
「――はい、それじゃあ、自己紹介も終わったので、今日はこれで終了です。明日から普通に授業があるので、準備を忘れないでくださいね? ほら、浪川さん? いいですか?」
突然名前を呼ばれたことで、思わず変な言葉が。
「ひゃい!」
沢井先生はため息をついて。
「はあ……私はあなたのことが凄く心配だわ」
「あ、あはは……、その、すいません……」
こうして慌ただしく、あたしの高校生活初日が終わ――らなかった。
話しが終わってすぐ、後ろの生徒がツンツンと肩に触れた。
振り向けばそこには、茶色い髪色をした女の子が。
いや、というか、ここは女子校だから女しかいないんだけどさ。
「浪川さん、だっけ? 君超おもしろいね! うちは二色宮子、よろしく!」
カチューシャで前髪を掻き上げているので、どんな表情をしているのかがよく分かる。
屈託のない笑顔で手を差し伸べてきた。
「あ、奏って呼んで? よろしくね」
その手を軽く掴んで握手を交わす。
「お、いきなり呼び捨てにしてもいいのか? そんじゃ、奏って呼ばせてもらうわ。ああ、それじゃあ、うちも宮子でいいよ」
そう言って強い力で、あたしの手を握り返す。
あ、あのすいません……、痛いです……とは言えず。
「う、うん分かった。じゃあ宮子って呼ぶよ……」
「りょーかい。ん……? なんか顔色悪くない?」
「いや……そんなことない、かな? 宮子の握る力が強すぎるとかそんなんじゃなくて」
「なんか言った? 悪い、よく聞こえなかったわ」
「ううん、なんでもないよ!」
なんだろう、別に脅されてるわけでもないのに、本音を言い辛いんだけど。
宮子はドスンと椅子に座ると、男みたいな座り方をして言った。
「なあ、奏? お前って部活決まってないんだろ? どうすんの?」
「ううん……どうすんだろ? まだ分かんないや」
すると宮子は眉をひそめて。
「おいおい、まさか帰宅部になんてなろうってんじゃないだろうな? 華の女子高生だぞ? 部活ぐらいちゃんと入んないと、なあ?」
「そこまで言うなら、宮子はもう決まってるの?」
すると、明らかに動揺した素振りを見せ、遠い目をしながら言う。
「あ、当たり前だろ……?」
やや、これは嘘をついてる目ですね。
あたしは意地悪く、さらに探りをいれていく。
「へえ? じゃあ何部入るの?」
「……そ、そうだな……、文芸部、とか?」
なぜ疑問形?
だいたい――
「いや、宮子に文芸部は似合わないでしょ? 本とか好きなの?」
「ちょ、お前それは失礼だろ!? うちだって本の一つや二つぐらい読むさ!」
「ふーん。ちなみにどんな本?」
頬を指でかきながら、宮子はばつの悪そうな顔で。
「ま、漫画とか?」
「ぷぷ、やっぱりね。そう言うと思った」
「な、なにさ! 漫画だって立派な本だろ? ふん、うちはもう意地でも文芸部に入ってやる!」
いやいや、あたしは別に、そういうつもりで言ったんじゃないんだけどなあ……。
両手をぶんぶんと振り回し、頑なに文芸部へと入部を決意する宮子であった。
「じゃあさ、ちょうど新歓やってるみたいだし、色々見てみようよ?」
さきほどまでの態度は一変して。
「ほほう……お主、ドジっ子の割には、なかなか良いこと言うじゃないかい? てっきり頭の中までパッパラパーなのかと思ったよ」
「そんなことないもん! 確かに頭に机ぶつけたり学校で走って怒られたりしたけど、そんなことないもん!」
「いや、普通ぶつけるのは、机に頭じゃないのか……? それからさっそく走って怒られたんかい……」
うぅ……揚げ足を取られた。
こんな見た目が明らかにバカそうで、人当たりが良いのが取り柄だけな宮子にバカにされた。
「おい、漏れてんぞ? 心の声が……。だいたい、見た目がバカそうってどういうことだよ?」
いけない、いけない。
ついうっかり、本当にうっかりと口にだしていたようだ。
「だって……、宮子は茶髪だし、不真面目そうだし、カチューシャだし……ねえ?」
「この世界のカチューシャを愛する全女性に謝れ。ていうか、茶髪だからって頭悪いとは限んねえだろ? そもそもうちがバカだとしても、うちと同じ高校に通ってる時点でお前も同類じゃないか」
ハッ!
……それは盲点だった……。
宮子に論破されて、愕然といているあたしに更なる追い打ちが。
「それにさ、見た目だけに関して言えば、奏のほうがバカそうだぞ?」
バカそうだぞ――バカそうだぞ――バカそうだぞ――
頭の中で、何度も宮子の言葉がエコーする。
「いやいやいや! それはない絶対にない万が一にもない!」
「もうやめようぜ? こんなの不毛な争いだ」
諭された……宮子に諭された……。
もう立ち直れない……あたし。
「なに落ち込んでるんだよ……? そんなことより、新歓見に行こうぜ」
「ああ、そうだった! よし、行こう行こう!」
「立ち直り早いな、おい……」
宮子と一緒に校舎をグルグルとまわる。
ダンス部に陸上部、まあこの辺は王道として――
「こんにちは、猫耳研究会です! 一緒に猫耳について語り合いませんかあ?」
「あ、いえ、間に合ってます……」
あたしはすげなく答える。
隣を歩く宮子を見れば、唖然とした表情で固まっていた。
まあ、その気持ちは分かる。
どうしてこんな部活が認められているのだろうか。
こんな活動を認めた校長先生って変な人なのかも、ってあたしでも思う。
肩を軽く、ポンと叩いて。
「宮子……この世には不可解なことばかりだね……?」
ようやく正気を取り戻した宮子は。
「そうだな、奏。もしかしたら、うちは入る学校を間違えたのかもしれない」
やめて、あたしまでそんな気がしてきたよ……。
いや……そんなはずはない、あれはきっと何かの偶然だ。
そういうことにしておこう。
「スクール水着部ですよー! 旧スク以外は認めない、なんて思ってる方は、ぜひともうちの部に!」
聞こえない、聞こえない。
「絶対領域について語り会う部です。パンツなんかただの布きれ、至上なるは絶対領域! そう思ったなら、我が部に入部することを強くお勧めしますっ!」
聞こえない、聞こえない。
「カレーライス同好会でーす! カレー好きはぜひ一度足を運んでみてくださいねえ?」
聞こえない、聞こえない。
「インドカレー研究会ですっ! どうですか、そこのインド人みたいな顔したお二方? 君たちなら我が部のエースになれるよ!」
「カレーライス同好会とインドカレー研究会って一緒じゃダメなんですか……? 分けてる意味が分かりません……。それとインド人みたいな顔って初めて言われました。それじゃ」
しつこい部活の勧誘を退け、あたしたちはふと立ち止まる。
宮子は神妙な面持ちでこう言ったのだ。
「なあ、奏……。やっぱり……うちら入るとこ間違えたんじゃないか、これ?」
残念だけど、そうみたい。
新しい高校生活に、期待と夢と希望を馳せていた新入生の心は、もう既に折れ掛かっていた。
「帰ろっか……」
力なく言ったあたしの言葉に、宮子も頷いてトボトボ帰宅を開始する。
「あら、あなたたちは……?」
突然聞いたことのあるような声があたしの耳に。
この声どっかで聞いたことあるような……。
そう思ったあたしは、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「あ、先生」
「あ、やっぱり。浪川さんよね? それから――」
あたしの隣をじっと見つめる先生。
恐らくこれは、宮子のことを見ているのだろう。
そしてこの感じから察するに、名前が分からず困っているのでは。
「あ、二色っす。ども」
運動部のような口ぶりで簡単な挨拶を済ませる宮子。
「ああ、そうそう二色さん。ごめんなさいね? まだ名前が覚えられなくて……」
入学初日から、生徒の顔と名前を全て一致させられる先生などいないだろうに。
でもこれが、先生になり立て故の、ってやつなのかな。
機嫌を損ねるような素振りを見せず、宮子は言う。
「あー、全然平気ですよ。ていうか、二色じゃなくて宮子でいいですよ」
「そう? なら宮子ちゃんって呼ぶわね?」
なに、宮子だけ呼び捨てとはいただけない。
あたしはグイッと前に出て。
「それならあたしも奏って呼んで下さい!」
そう告げると、何故か二人してあたしを見た。
「いや、別にそこで張り合わんでも……」
「そ、そうかしら? なら奏ちゃんって呼ばせてもらうわ」
宮子は頭のところで腕を組みながら言う。
「ていうかさ、のりちゃん先生? なんでうちの学校って変な部活多いんですか?」
のりちゃん先生?
ああ、そういえば沢井先生って下の名前のり子だっけ。
よし、それならあたしものりちゃん先生って呼ぼうっと。
「の、のりちゃん先生? ま、まあいいわ……。えっと、うちの学校には変な部活が多い、だったわよね?」
少しの動揺を見せたものの、すぐさま切り替えて言った。
「そうそう。さっきからわけのわかんない部活に勧誘されまっくてさあ……もう散々な目にあったよ……」
「先生にタメ語!? ま、まあそれもいいわ……。そうねえ、確かにうちの部活はちょっと変わってるかもね」
「でしょでしょ? のりちゃん先生もそう思うでしょ? そんでさあ、うちら困ってるんですよー」
敬語になったりタメ語になったり、宮子って不思議な子だな。
ぼーっとそんなことを考えているあたしをよそに、話は進んでいく。
「困ってる? それはどこの部活に入るか悩んでる、ってことかしら?」
腕組みをやめ、今度はカバンをブンブンと振り回しながら言った。
一方、のりちゃん先生は困ったような表情を見せていた。
なんだろう、こうしてみると、恐喝してる生徒と、それに怯えてる先生みたいな構図になってる。
「その通りっす。なんてゆうかこう……ビビビっとくるもんがないんですよ。この部活に入ってこういうことしたい、みたいな。なあ、奏?」
「ん? ああ、そうそう! ビビビっとね!」
「お前ほんとに分かってんのか?」
怪訝そうな顔であたしに詰め寄る。
「や、やめて! 恐喝ならのりちゃん先生にして!」
「恐喝? 何の話だよ? ったく、まあアホな奏は放っておいて、とにかくそういうことなんですよ」
咄嗟に身構えたあたしであったが、そんなあたしを無視して二人は話す。
うん、やっぱり宮子ってなんか怖い。
女の子らしくないし、むしろ男の子と接してるみたいな感じ?
「やりたいこととかないの? それがあれば、自然と部活も決まっていくでしょう?」
「やりたいことねえ……、あることはあるけど」
「そう? どんなことなの?」
自信満々に宮子は言う。
「部室を自由に使えて、先輩もいなくて、それでもって、漫画とかゲームとか好きなことがやりたい放題な部活!」
「自分の部屋でやりなさいよそんなこと」
おっ、のりちゃん先生あたしと同意見だ。
「ええー? でもさ、それができたら素敵だと思わない? のりちゃん先生だってそう思うでしょ?」
「それはもう部活とは言えないじゃない。はあ……あなたたちは部活に何を求めてるのよ、まったく」
あなたたち?
もしかして、あたしまでそうだと思われてる?
あたしは胸をポンと叩いて。
「心外です! あたしはそんなこと部活動には求めてないですよ!」
のりちゃん先生は眼鏡をクイっと持ち上げて聞く。
「あら、じゃあ言ってごらんなさい?」
「お菓子食べながら話したり、紅茶飲んで一息ついたり、みんなの心が休まる部活をしたいです!」
「食べて飲んでるだけじゃない。それは部活ではありません」
「ええ!?」
驚いた……、猫耳研究会とかカレーライス同好会が認められるのに、これはダメなんて。
「不公平です! 差別ですよ差別!」
宮子も同調し、あたしに続いて言う。
「そうだそうだ! 一年生だからってうちらのこと差別してるよそれ! 奏、やっぱりこの学校は間違ってる。いつだってそうだ。この世の中は間違ったことばかりだ!」
「そうだよ宮子、今こそあたしたちは立ち上がるべきなんだよ! いざ学校改革を――て痛いです先生」
手に持っていた出席簿で、あたしたちは順に殴られた。
「あのねえ、そんな不純な動機で改革なんかされたら、この学校が崩壊するわよ。いい加減に諦めて、どっかちゃんとした部活に入りなさい」
そう言い残してのりちゃん先生は立ち去っていった。
あたしたちはお互いに顔を見合わせて、そして――
「楓、やっぱりお前は最高だ。今日からうちの一番弟子として可愛がってやろう」
「師匠、ありがたい話ですが、名前間違ってます。奏です。楓じゃなくて奏です」
「そこに気づけるとはお主やるな。よし、今日からお前は、奏改め楓と名乗れ」
うん、話が通じないな、宮子は。
「勝手に改名されるのは嫌だけど、でもあだ名とかならつけてくれてもいいよ?」
そう言って、どうにか改名の危機を避けようとすると、宮子は顎に手を添えて考え始める。
「……そうだな、確かに友達だってのに、あだ名が無いのはおかしい。よし――」
人差し指を天高く突き上げ、仰々しくもこう言うのであった。
「お前のことは今日から、かなでっちと呼ぼう」
「ごめんね、それだと返って呼ぶの面倒だし、奏のままでいいや」
「ええ……? いいセンスしてると思うんだけどなあ……?」
わざとらしくこちらにチラチラと目配せさせ、何かを訴えてくる。
だがあたしも甘くはない。
嫌なものは嫌と、ちゃんと言える人間なのだ。
「それは絶対嫌だけど、じゃあ代わりに、あたしが宮子にあだ名つけてあげるよ!」
指をパチンと鳴らし、期待に満ちた眼差しで見つめる。
うん……この期待にこたえなければ。
一度大きく息を吸い込み、満を持して言った。
「宮ちゃん!」
「うちのと大して変わんないじゃんかよ!」
手に持っていた新歓のチラシを床に叩きつけ、盛大にツッコミを入れる宮ちゃん。
あれ、なんか響きがいいよ?
宮ちゃん……うん、やっぱりこれセンスあるよ。
「えへへ、宮ちゃん!」
「……ま、まあ……お前がそれ気に入ってるんなら、かまわないけどさ」
恥ずかしそうにそっぽ向いて、宮ちゃんはスタスタと歩いて行く。
あたしはその後ろを追いかけて、しっかりと隣にくっついていくのであった。