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おうじさま


 夏休みまで後五日を切った。もう学生の心は半分休みになって浮かれていた。とにかく私は宿題を早く済ましてしまおうと、それだけを思っていた。思っていたけれど、今少しだけ、私は夏という舞台に参加してみようかと、思っている。

 屋上でお弁当を食べていると、彼がやって来た。これと言って約束をしている訳ではないけれど、私が屋上でお弁当を食べるようになってから彼は毎日ビニール袋を手にぶら下げて私の隣に座った。一人になった私に気を遣ってくれているのか、それともただ単純に、私に会いに来てくれているのか。

 いつものように彼が最後にクリームパンを開けて食べていた時、私は空になったお弁当箱に視線を落とし、次の言葉に詰まっていた。言おうか、どうか。

 「葵さん、今日は少しおとなしいね」

 初めて屋上で一緒にご飯を食べて以来、二人だけでいる時だけ、たまにこうして下の名前で呼んでみたりしている。これも約束や決めた事じゃないけれど、何となくこうなった。

 「そうかな、普通かな」何でもないように答えたつもりだったけど、どこかぎこちない返事になってしまった。彼は残りのクリームパンを一気に食べてしまうと、すっと立ち上がりそこからまた上を向いた。風が強いせいで上空に浮かぶ雲の流れがとても速い。

 「葵さんは、以前。空に何かあると思えば、ここでもやっていけるって、言っていたよね」

 突然の問いかけに少し戸惑いながらも、私は頷いた。彼はそのまま続けた。

 「何かって、例えばなんだろう」

 「……私の知らない、世界。とか」

 「なら、知ってしまえばもう、それは葵さんの生きる支えにはならないんだろうか」

 彼は時々、知らない人のような表情をする時がある。ついさっきまで楽しそうに笑っていたかと思えば、急に、ここじゃないどこか遠い所に思いをはせているかのような表情になる。   

あの帰り道に見せた、どこか悲しそうな表情の訳も、私は知らない。

「知って、それが私にとってどう有り得るかにもよると思うな。それだけのものかって、思えば終わりだし。心を全て持って行かれるほどのものなら、また違うと思う」

 そう言って私は彼を見上げた。彼は見上げていた顏を下ろし、私を見下ろしていた。笑っているのか、悲しんでいるのか。彼はゆっくり座った。そして自分の足先に視線をやって、口を開いた。

「僕は、支えにはならなかったよ」彼は囁く。

「知ってしまって、それだけのものかって、思ってしまった」そして彼はゆっくりとこちらに振り向いた。

「葵さんの言うその世界に、行く術があるとしたなら。行きたいと思うかい」

私は何も言えなかった。一体何が彼の支えに成り得なかったのか、何が彼をがっかりさせてしまったのか。そして、私は本当に、そこに行きたいと思っているのか。


 次の日、空は鉛色に染まり、授業中ポツポツと雨が降りだした。お昼になって、教室で彼の姿を探しても見当たらなかった。屋上かと思ったが、目に見えて雨が降っているのに行くわけがないと、売店を覗いてみたがそこにも彼の姿は無かった。仕方がなく教室に戻って一人お弁当を広げようとしたが、何かが引っかかって、広げかけたお弁当を戻して私は屋上へと駆けて行った。

 いつもより暗い階段に私だけの足音が響いた。屋上へ繋がる扉の前にある踊り場に、彼はいた。半分だけ開けられた扉の向こうに広がる雨の降る景色を、何も言わずただただ見つめていた。

私は息を整え、ゆっくり彼の傍まで歩いて行った。

「ヒトネ君。今日は屋上、無理だと思うな」私の言葉に、彼は外の景色を眺めたまま、うん。と小さく呟いた。

「今朝、懐かしい夢を見たんだ」私は彼の横顔を見た。「そうしたら、勘違いしてしまって」彼は私にと言うよりも、自分自身に言い聞かせているようにぽつりぽつりと呟く。

「そうだ、ここは。雨が降ってくる世界だったんだって…」最後の方は、外の雨音にかき消され、何と言ったのか、上手く聞こえなかった。

 私は、教室に戻ろうよ。と言って、ヒトネと、暗い階段をゆっくり降りていった。


 夏休みまで、後三日になった。夏休み中の宿題として配る英語の冊子作りのため、私は一人視聴覚室で幾つもの冊子にホチキスをしていた。こういった単純作業を黙々とこなすは好きだった。誰かに気を使わず、ただ目の前の仕事を終わらせるために手を動かす。けど、冊子を両手に視聴覚室に向かう私を見て、ヒトネは、後で手伝いに行くと言った。それがほんの少しだけ、待ち遠しかった。早く終わらせてしまったら、彼と一緒にいる時間も短くなってしまうのではないかと、いつもより、少しだけ丁寧にホチキスを止めた。

 彼が来て、一緒に冊子を作り出した。時々話して、時々二人のホチキスの音だけが響いた。残り二冊になった時、私はそれをとても大切なものを扱うようにしてホチキスを通した。最後の一冊は彼がもう留めただろうと見ると、彼は何か躊躇うようにその冊子を手に、冊子では無く私の方に顏を向けていた。

「何?」素直に疑問に思って聞いた。彼は言った。

「葵さんは、きっと見た事があるんだろうね」

「何を?」

「僕の故郷を」

「…沖縄?」

「空の上」

 彼は言い終わり、持っていた冊子にホチキスを留めた。全ての仕事が終わった。とても不思議な発言だったはずなのに、私はとりあえず彼から冊子を受け取り、ちゃんと部数通りあるかを確認した。確認し終わって、私は冊子を整えて横に置いた。

「あのコマのような飛行船がそうなんだ」私は自分でも驚く程普通にそう言った。

「うん、やっぱり。葵さんは見てると思ったんだ」彼は呆れたように笑った。私は今更ながら口に手を当てて、笑った。

「何で二人とも、お互いの発言を不思議に思わないのかな」

「分かるから、かな」と彼が微笑む。そうか、そうなんだ。冗談でも、嘘でも無いって。どうしてだか理屈じゃなくて、分かってしまっているのだ。二人とも。

彼は、空の世界の、王子さま。なんだって。

これは、冗談なのか本当なのか、ちょっと分からなかったけど。多分、本当。


そして私はここずっと、言おうと思って言えなかった事を言った。

夏休み、一緒に、遊びに行きませんか。おうじさま。


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