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吉名さん




 「吉名さん、さっきの授業のノート見せて貰ってもいいかな」

 吉名さん。私の名前がとてもくすぐったい音を立てて後ろから聞こえてきた。その声の持ち主は羽庭ヒトネという同じクラスの男の子だった。

 一昨日、偶然帰りの道で少し言葉を交わす機会があった。かと言って次の日から急に仲良く教室で笑い合うという事もなく、普段通りにお互いの日常を過ごしていた。その日、彼の横顔をよく見た事ぐらいだろうか。

 そんな昨日という一日を置いて、彼は私に声をかけてきた。

 「私の字、汚いからすごく見にくいと思うよ」

 「大丈夫、分かるよ」

 「どうして」

 「斜め後ろから、よく見えるから」

 私の斜め後ろが彼の席だった。「斜め後ろから私のノートを見るより、黒板を見てた方がいいと思うよ」と抑揚の無い声で言うと、彼は「興味がないもの見ていると眠くなっちゃうから。でも世界史の先生、ノートちゃんと出さないと怒るでしょ」

 あの先生好きになれない。と言ってノート渡した。彼もそれに同意してノートを受け取った。その時、別教室から友人が数人やってくるのが見えた。二人は中学生の時からの友人で、クラスが別になっても休憩時間になる度にこうして私の所に来ている。

 彼が次に何かを言おうとして口を開いたのが見えたけど、私はわざと大きな音を立てて席を立ち「友達が来たみたい。じゃあね」とハキハキとした口調で言って、教室を後にした。彼が何を言おうとしたのかは、分からない。


 昼になり、いつもの友人と三人で中庭に出てお弁当を広げていた。別々の教室になってもお昼は一緒に中庭で食べようね。と言い出したのは、甚だしく高校デビューを決めた菜々美だった。中学生の頃から仕切るのが好きで、菜々美が言った事には肯定するしかなかった。反対でもしようものなら、その日からきっと私は独りになる事だろう。そのエネルギーが高校生になるとより爆発した。髪に色を入れて毎日根気良くそれを綺麗に巻いてきていた。スカートも短くしていたけれど、その事について二年生の人に一度激しく睨みをきかされていた事があった。菜々美の呆れる所は、そういった面倒事になると、いつも私を同伴させて行く事だった。虚勢を張るだけ張って、その後私に同意を求める。もちろん、肯定以外の言葉は許されない。そうして先輩方の怒りの矛先は私に集中するのだ。

 そしてもう一人、一緒にいる翠は正反対な子だった。こっちが先導しなければ会話どころか、言葉さえ発っしてくれないような子で、きっと世間一般から見れば「地味」という言葉で括られてしまうような子だった。高校生になっても中学の時と変わらず黒い髪を肩まで伸ばし、不器用なのかただただ気に留めてないだけなのか。黒い髪留めゴムで色んな所の髪の毛を巻き込んで縛っている。結んでいる、ではなく、縛っている。の方がきっと合っているんだと思う。菜々美が私の前に立つ子なら、翠は私を盾にする存在だった。問題が起きた場合、菜々美は私を連れていくが、翠は全て私に流して来ていた。 「らしいけど、どうする」や「こういうのは私には無理だと思うな」などと言って、翠の目はいつも私に向いてくるのだ。

 ここまで散々一緒にいる友人二人の事をあれこれと言ったが、結果それでも居場所を失わないようにと今の関係を保っている私も私だと思う。本当は、何も言える立場ではないのだ。

「ねえ、ぶるっちとさっき話してた男の子って誰?」と菜々美は、いつも母親に作って貰っているお弁当の、星やハートの形をした楊枝にささったミートボールを一つ口に頬張って聞いてきた。『ぶるっち』というのは、私の吉名葵という名前から、菜々美が昔「あおいでブルーだから、ぶるっちね」と言ったのをきっかけにずっと呼ばれているあだ名だ。その呼び名は菜々美しか使わないし、中学生が考えた恥ずかしい呼び名を今でも使われるのは正直勘弁して欲しかった。

 けれど今はそんな事より、菜々美のその言葉に何か冷たい物が私の背中を撫でた気がして、私は箸の動きを止めた。

 「羽庭くん、さっきの授業のノート取り忘れたから私に貸してくれって」

 「なんでぶるっちなの」

 「席が近いからかな」

  私は冗談を言うようにわざと声色を高くして、箸をカチカチと鳴らしてみた。けど菜々美は笑わなかった。

 「席が近いだけじゃ普通男子が女子にノート貸してとか言わなくない」菜々美は隣の翠に向けて言った。翠は突然の問いかけに視線を菜々美に向けて、すぐに黙って二度頷いた。そして私を見る。

 「だって、真面目にノート取ってたのが私ぐらいしかいなかったみたいだし。だからでしょー」

声に抑揚をつけ、まるで上司にゴマでも磨っているかのような言い方だと思った。真面目になんて授業は受けていない、むしろ私以外の人の方がしっかりとノートを取っていただろうし、きっと字も綺麗だ。けれど、そんな事は言ってはいけないのだ。

 「そだよねー、えーさっきの人さー、ちょっとカッコ良くなかった?私全然イケるんですけど」

 カッコいい、全然イケる。は菜々美の口癖になっていた。高校に入ってから、少しでもいいと思った人を見つけてはそう言っている。菜々美がイケても、相手は無理かもしれないのに。とよく心の中で思っていた。けど、今回はいつものように軽くあしらう気持ちになれなかった。むしろ、何故菜々美に彼が評価されなければいけないのか。それが腹立たしくてたまらなかった。

 「羽庭くんって面白くて、私の作った失敗作のマドレーヌも食べれなく無いって、無理に食べたんだよ」

 無意識に出た言葉だった。誰に言うでもなく、ただ焦点の定まらない目をお弁当に向けて、滑るプチトマトを何度も箸で取ろうとした。横で小さく菜々美が、なにそれ。と吐き捨てるように言ったのが聞こえた。心臓は今にも破裂してしまいそうな程鼓動を打っていたのに、何かがそれを強く支えていた。

 


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