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食べるほど強くなる小人の俺は、巨人に支配された世界を物理でぶち壊す  作者: 紡木 綸


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第2話:三日分の熱

この物語は、ひとつの違和感から始まる少年の記録です。

小さな変化は、やがて世界の輪郭を少しずつ変えていきます。


この章では、その“途中経過”が描かれます。

まだ何もはっきりとは見えませんが、確かに何かが進んでいます。


それでは続きをどうぞ。

スリングを握る指が、かすかに震えている。

——三日前のことを、思い出していた。


三日前、俺はただの狩人だった。

熱帯雨林の湿った空気の中、巨大なシダの葉の下を腹這いで進む。身長三十センチの俺にとって、一枚の葉はパラソルほど大きく、倒木は城壁に等しい。だがそのサイズこそが、俺の最大の武器だ。

怪鳥の視界には入らない。大型獣の足音は地面の震えで先に知る。風を読み、匂いが流れないよう立ち位置を変える。俺の戦場は、でかい生き物には永遠に見えない場所にある。

茂みの隙間で、丸々とした塊が蠢いていた。俺より遥かに大きな猪の子供だ。

スリングを引き抜き、川石をセットする。息を吸って、振り抜く。

ヒュン——。

ドスゥン。

巨体が横転した。俺は手作りのナイフで腹肉を切り出し、バナナの葉に包んで背嚢に詰める。体より大きな肉塊の重みで足が沈んだが、腹の奥がじんわりと熱くなると、不思議と荷物が軽く感じられた。

これが燃料だ。食べた分だけ、俺は強くなる。

小さな体は溜め込める量にも限界がある。常に腹を満たしておかなければ、魔力はあっという間に尽きる。狩りをするためにカロリーを燃やし、補充するためにまた狩りをする——それが俺の日常だ。

ただし今日は違う。

今日は、もっと食う。


さらに二時間かけて森を歩き、三頭分の肉が背嚢の中でずっしりと重みを増した。

理由は昨夜の父さんの言葉だ。

「リト、明後日までに食えるだけ食っておけ」

それだけだった。詳しいことは何も言わなかった。俺が「何で?」と聞く前に、父さんはもう目を逸らしていた。

父さんがああいう顔をするときは、聞いてはいけない。聞いても答えは返ってこない。返ってくるのは、部屋の空気が一枚薄くなるような沈黙だけだ。俺はこの八年で、それを学んでいた。

三日後に、何かが来る。

そう思いながら狩りを続けて、三頭目を仕留めたときだった。

茂みの奥で、枝が折れた。

でかい。足音の重さで分かる。成体だ。姿が見える前に、俺は本能的に後退しようとした——した、はずだった。

足が動かなかった。

正確には、動こうとしなかった。腹の奥の熱がまだある。体が「行ける」と言っていた。

成体の猪が茂みを割って現れた。体長は俺の十倍以上。牙が日光を反射している。俺を見た瞬間、前脚を踏み鳴らして威嚇した。地面が揺れた。

普段なら、ここで逃げる。

俺はスリングを引き抜いた。

川石をセットして、狙いもほとんどつけずに振り抜いた。熱が指先に集まる感覚があった。

ヒュン——。

石は成体の鼻先を掠めた。

それだけだった。倒れなかった。だが——成体が、後退した。一歩、また一歩。茂みの中へ消えていった。

俺はしばらく、その場に立ったまま動けなかった。

逃げたのは、向こうだった。

腹の奥の熱が、また少し上がった気がした。

スリングを仕舞おうとして、手が止まった。革紐の感触が、いつもと違う。八年間使い込んで体に馴染んだはずの感触が、今日は——鋭い。指先が、革の編み目の一本一本を拾っている気がした。

背嚢の重みに気づいた。三頭分の肉だ。体重の三倍近い。坂道を登りながら、息が上がるのを待っていた。上がらなかった。

腹の熱が、まだ残っている。成体が茂みの中へ消えた方向を、もう一度だけ見た 。


大樹の上、地上五十メートル。ツルをよじ登ってドアを開けると、乾いた木材の匂いと、キノコを煮込む香ばしい匂いが俺を包んだ。

「ただいま」

「おかえり、リト。怪我はない?」

エプロン姿の母さんが小走りで出迎える。奥から顔を出した父さんは、俺が床に下ろした背嚢の重みを見て、一度だけ頷いた。褒めも咎めもしない。ただ、確認するように頷いた。

夕食は肉を香草で炒めたものと、キノコのスープだった。

「今夜はたくさん食べろ」

父さんがそう言った。昨夜と同じ言葉だった。母さんが俺の椀に肉を足しながら、「大きくなるわよ」と笑った。その笑い方は、俺が世界で一番好きなものの一つだ。

俺は珍しく三杯おかわりした。胃袋がはち切れそうになるまで詰め込んで、腹の奥に「熱」が溜まっていくのを感じながら、食べ続けた。

三人で食べて、三人で笑った。

いつも通りの夜だった——そのはずだった。

母さんが竈の火加減を調整しようと屈み込んだのは、その夜の終わりのことだ。後ろで束ねていた彼女の髪がふわりと肩に落ち、襟足がわずかにめくれた。

そこに、焼印があった。

赤黒く爛れた、文字のような形をした焼印。

一瞬、それが何か分からなかった。理解が追いつくより先に、胃の底が冷えた。火傷じゃない。少なくとも、俺が知っている火傷じゃなかった。何かの文字に見えた。誰かが意味を持って刻んだ傷に。

俺が息を呑んだのが、聞こえたのかもしれない。

母さんが振り返った。俺と目が合った。

その瞬間——母さんの顔から、「母さん」が消えた。

笑顔が消えたんじゃない。表情が変わったんじゃない。もっと根っこのところで、何かがすり替わった。俺が生まれてから一度も見たことのない目が、そこにあった。魔物に追われるときの目じゃない。もっと古い、もっと深いところに沈んでいる何かを恐れる目だった。森の外の、俺の知らない場所で、この人に何かをした——何かが、その目の奥にいた。

三秒が経った。

「……な、なんでもないわよ。早く寝なさい」

母さんの声が戻ってきた。俺の知っている声が。

俺は何も言えなかった。母さんはもう背を向けて、竈を弄っていた。父さんは奥から出てこなかった。

部屋がひどく静かだった。


翌朝、俺は聞いた。

「母さん、首のそれ——」

竈の前に立っていた母さんの肩が、ビクッと跳ねた。

振り向いた顔から、血の気が引いていた。手が反射的に首元へ飛んで、襟を引き上げた。一秒の間があって、笑おうとした。笑えなかった。

「な、なんでもないのよ。昔ちょっと、火傷をしただけだから」

昨夜と同じ目が、一瞬だけ戻ってきた。

奥でナイフを研いでいた父さんが、スッと手を止めた。止めて、それから何事もなかったように研ぎを再開した。こちらを見なかった。

「……そっか」

俺はそれだけ言って、外へ出た。


その日の昼間、俺は狩りに出なかった。

大樹の枝に腰を下ろして、眼下の森を見下ろしながら、ずっと考えていた。

俺たちはこの大樹に隠れ住んで、八年になる。俺が二歳のときからここにいる。それより前のことを、父さんも母さんも話したことがない。

でも父さんはずっと言ってきた。「見つかってはいけない」と。「煙を出すな、音を立てるな、痕跡を残すな」と。

魔物から逃げているなら、木の上で暮らせば十分だ。

それは——賢い何かを、かわし続ける言葉だ。

三日後に、何かが来る。

父さんの言葉が、また頭の中で鳴った。


夜、父さんと母さんが眠ったのを確認してから、俺は水を飲みに起き出した。

ダイニングに差し込む月明かりの中で、父さんが一人でテーブルに座っていた。

眠っていると思っていた。父さんはテーブルの上に何かを広げていた。俺の足音に気づいた瞬間、その手が動いた。

音もなく、紙が畳まれた。懐へ消えた。

一秒も経たなかった。でも俺には見えた。

地図だった。この森よりずっと広い、どこか遠い場所の地図。そして端に、赤いインクで丸がつけられていた。

丸の中の記号は——

母さんの首に刻まれていたものと、同じ形だった。

「……リト」

父さんの声は穏やかだった。いつも通りの、俺の頭に手を置くときの声だった。

「喉が渇いたか」

「うん」

「そうか。飲んだら寝なさい」

父さんは立ち上がらなかった。俺から目を離さなかった。月明かりの中で、ただ座ったまま、俺が水を飲むのを見ていた。懐に消えた地図の膨らみが、父さんの呼吸に合わせて微かに動いていた。

「……うん」

俺は水を飲んで、寝床へ戻った。

毛布をかぶって、目を閉じた。

母さんの首の記号。地図の赤い丸。父さんの言葉——食えるだけ食っておけ。

三つがゆっくりと、一本の線に繋がろうとしていた。

父さんは俺に食えと言った。母さんは何かを隠している。そして二人とも、明日を知っている。

知らないのは——俺だけだった。だが、その答えは明日やって来る。

俺は毛布の中で、静かに拳を握った。腹の奥の熱が、まだそこにあるのを確かめながら。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


この物語は、まだ答えに辿り着いていません。

むしろ、わからないことが増えていく段階です。


もし少しでも続きを気にしていただけたなら、

次の話でその“違和感の正体”が少しだけ動きます。


また次回、お会いできれば嬉しいです。

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