2 魔王様はロリ
これは十年以上前、俺がまだ小学生低学年のときの話。
親父の職業を尋ねたとき、次のような問いが返ってきた。
「アニメってのは空想だ。それなのに世界中の人々が熱狂するのはどうしてだと思う?」
「どうして?」
「制作に関わる人たちが魂を込めているからだ。イラストレーター、音響、監督。いろんな人が空想にリアリティを持たせるために働いている」
「じゃあパパは何をしているの?」
「声だな。キャラクターに声をあてている」
「音読ってこと? それなら僕も国語の授業でやってるよ」
「それは書いてある文章を読み上げるだけだろ? 父さんたちは違う。普通に読むんじゃない。存在しないキャラクターに命を吹き込んでいるんだ」
「命……」
「そうすることで視聴者はキャラクターが本当に生きているように錯覚する。感情移入ができる。主人公が悪を打ち滅ぼしたときにエクスタシーを感じることができるってわけさ」
親父は自分の職業をそう表現した。幼い俺はすべてを理解することはできなかったけど、たった一つ、勇気を与える仕事だということだけは理解できた。
「父ちゃんカッコいい! 僕も声優になる」
「お前なら出来る。なんたって俺の子なんだから」
当時、三十二という若さにしてアニメの主人公役を歴任していた超有名声優の親父は、誇らしげに俺の頭を撫でた。
絶対にこの人に追いついてやる。追い越してやる。
我流でボイストレーニングを重ね、演劇部にも入り、そして高校卒業後は声優の専門学校に入った。
ある日、親父が言った。
「お前は声優に向いてない」
俺は声優を諦めた。
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突如として現れた魔王の使者のエルフメイド・リザさん。
彼女が言うには、魔王様が俺の声を欲しているとのこと。
そんなこと言われて断る理由がどこにある。
俺は魔界行きを決意した。
部屋の床に写し出されたそれっぽい紋章が光を放ち始め、いよいよ転送魔法が発動するというとき、至極真っ当な疑問を抱いた。
なんで魔王が魔王の声を欲するんだ? そもそも声が必要ってどういう状況?
採用面接で重要なのは職務条件の確認。
「あの、リザさん。俺はこれから何をすることに――」「転送魔法発動。座標、魔王城、百階、玉座の間。転送」「――なるんでしょうか」
職場についてしまいました。
もう後戻りできないと悟った俺は、恐怖心を紛らわせるために周囲を観察する。
漆黒の通し目地の壁にかけられた蝋燭の灯りだけが頼りの薄暗い部屋。広さは小さな体育館ほど。部屋の真ん中で鎮座する豪勢な玉座が威圧感を放っている。
RPGの最終決戦の舞台になりがちな魔王の間が、丁度こんなレイアウトだなあと思った。
「あの、働くって何をするんですか? 何がどうなったら魔王様が俺の声を必要とするのか気になって」
もう一度尋ねると、リザさんは表情を変えることなく俺を見た。氷の表情が良く似合うシニカルな女性だ。ヒールを履いていることもあって、俺よりも目線がわずかに高い。
「いいでしょう。魔王様より依頼文を預かっていますので、読み上げます」
リザさんは懐から取り出した四つ折りの白い紙を広げ、淡々とした口調で読み上げる。
「Say you 魔王の声優 出来るキミ 私のエイユウ」
「……陽気な魔王様ですね。金髪ドレッドヘアーにサングラスかけて金のネックレスつけてます?」
「失礼な言い草ですね。喉に呼吸口を空けてみますか?」
「けけけ結構です!」
喉元にアイスピックの先端を当てられ、大慌てで謝罪。
「それで、手紙の続きは?」
「これですべてです」
「嘘でしょ!?」
まるで意味が分からんぞ。
「つまり、魔王の声優ができる肥丸様は英雄ということです。ほら、名前もヒーローという意味ではありませんか」
「読み方はヒデオですけどね。それに声優じゃないし」
「はぁ……うるさいですね。これだから下等生物は」
あれ? 本性出てきた? いや、氷のような目つきで言われるとゾクゾクするけどさ。
「とにかく。会えばわかりますよ。これから魔王様を呼んでまいりますので、少々お待ちください」
そう言って背を向けると、玉座の後方の壁に向かって歩き出す。
一歩一歩足を出すたびにヒールが石畳を打つ音が響き、長い髪と長いスカートが左右に揺れる。その銀髪と黒い衣装の色彩的ギャップのある後姿は、妖艶さの中に確かな貫禄を醸し出していた。もしかしたら彼女は魔王軍団の四天王クラスなのかもしれない。アニオタの勘がそう言っている。
鍵を壁に差すリザさん。鍵穴らしきものは見えなかったけど、ガチャリと開錠音。目地に指をかけると、壁の一部がスライドした。隠し扉なのか。奥へと通じる道がある。あの向こうに魔王がいるようだ。
リザさんが扉の向こうに消えると、シンと静まり返る大部屋。微かな風に揺れ動く蝋燭の火の音さえ聞こえてきそうなほどの静寂。
途端に寒気に襲われた。室温が低いっていうのもあるんだけど、それよりもレベル1の勇者がいきなり最終ダンジョンに放り出されたような、そんな寒気がした。
無力な一般人の俺が、圧倒的な力を持つ魔王と対面する。
たとえそこに身の毛もよだつほどのおぞましい姿の魔物が現れたとしても、決して取り乱してはいけない。もし動揺して失礼な言葉を投げかけてしまったら、頭をつかまれ地面に叩きつけられ、圧力で脳みそが弾け飛ぶ羽目になるだろう。圧迫面接ならぬ圧殺面接だ。
とにかく冷静に。就職面接に来た好青年を装うんだ。魔王様に気に入られるか否かで命運が決まる。
気を引き締めるためにパンパンと頬を叩いたとき、隠し扉が再び開いた。
先にリザさんが出てきて、扉の横に立ち、膝をついて魔王を出迎える姿勢。
緊張が走る。ごくりと唾を飲むも、飲み込んだ唾が胃酸を引き連れて喉元までせり上がってきた。もう無理吐きそう。
せめて目が合ったらすぐに頭を下げて好印象を与えよう。そう考えた俺は扉を注視する。
五秒後、奥の通路から影が伸びた。人型。言葉も通じないような人外モンスターではなかったことに安堵したが、いよいよ姿を現した魔王様を見て、唖然とする。
「ねえリザ。どんな人間さんなの? 楽しみにしてたんだよね」
「玉座の前にいるのが肥丸英雄様です」
「へー。キミが。普通の人間って感じだね」
タタタタと小走りで近寄ってきた魔王に、俺は開いた口を閉じることができない。
「…………が」
率直な感想が声となって出そうになり、慌てて声帯を閉鎖して肺から出てくる呼気を止める。危ない。声優学校時代のボイストレーニングに命を救われるとは。
しかし、
「が」
「が?」
「が、が、が……」
ダメだ! 抑えきれない! 漏れてしまう! 率直な感想が声になってしまう!
後ろ手を組んで小首をかしげる魔王を目の前にして、ついに声帯が決壊。大声を浴びせてしまった。
「ガキじゃねえか!!!」
魔王様は小さな子供でした。