筋肉は間に合ってます!!
いつか書こうと思い続けてたネタです。
やわらかな光に目を覚ます。
両手で窓を開け放つと、そよ風が運ぶ花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
まだ色のない朝日を浴びながら、一羽の小鳥が舞うように羽ばたいてくる。
「ピィーチピピッ」
「おはよう小鳥さん、いい朝ね」
そっと手を差し出してみれば、小鳥は警戒することなくちょこんと指に止まった。
くりくりと小首を傾げ、催促するようにツンツンと指を啄まれる。
「ふふっ、お腹が空いているの? 朝食のパンでよければ一緒に――」
「ハァーーーーッハッハッハッ!」
突然響いた野太い声に、パタタタッと小鳥が飛び去った。
誰もいない指に微笑みかけることになった私は、一拍置いて階下に広がる庭へと視線を落とした。
「やはり早朝の鍛錬は爽快だな! 身体も頭もスッキリと冴え渡るようだ!」
「今日のあなたも素敵よ、アーサー」
「なぁに、君の美しさの前ではすべてが霞んでしまうさ、俺のミルンダ」
朝から熱烈に愛を囁き(?)あっているのは、不本意ながら私の両親である。
王国騎士団長を務める父・アーサー=キントレーは、鍛錬のためにとシャツを脱いでいるせいで、バッツバツに張り詰めた筋肉が露出していてことさら暑苦しい。
隆起した筋肉は互いの陣地を押しやるようにギチギチとせめぎ合い、そのうち四方に弾け飛んでいくのではないかと心配になるほどのボリュームだ。
げんなりとした私の視線に気づいたらしく、父がこちらを見上げた。
「おはようヤル、愛する我が娘よ! どうだ、父様と一緒に朝の鍛錬をしないか!?」
「男の子っぽい呼び方はやめてって言ってるでしょ! 鍛錬なんて絶っっっっ対しないんだから!」
言うだけ言ってバタンと窓を閉じる。
それが乙女にとって異常なことだと知るまで、幼少期から鍛錬漬けにされていた恨みは忘れていない。
しばし目を閉じて深呼吸すると、今見た暑苦しい光景を綺麗さっぱり記憶からリセットした。
朝食を終えた私は、父の書斎へと重い足を引きずっていた。
呼び出された用件ならわかっている。どうせ、いつものあれだ。
「どうだ? 『これぞ!』と思う男はいたか!?」
ソファセットから身を乗り出す父の意気に圧されつつ、高く積み上げられた釣書きを順にパラパラと確認していく。
……筋肉。筋肉。筋肉。筋肉。
釣書きの姿絵はなぜか、軒並み上半身裸の男性が筋肉を強調するようなポージングを決めている。
「~~~~なんっでいつもムキムキな騎士ばっかりなのよ!!」
「そ、そんなことはないぞ! ――ほらっ、この青年は衛兵だ!」
「結局筋肉じゃない!」
釣書きを山に戻し、グイッと父のほうに押し返す。
これ以上見ていたら私の目まで筋肉になりそうだ!
父の『義息子』になりたい男性など、部下の騎士か筋肉の崇拝者だと相場が決まっている。もはや私に結婚を申し込んでいるんだか、父に養子縁組を申し込んでいるんだかわかったものではない。
ぷいと顔を背けると、父の書き物机の上にも数通の釣書きが置かれているのが見えた。
「これ以上まだあるの!?」
「あっ……! いやいや、あれは俺の方で相応しくないと判断したものだ」
「ふぅーん……」
きっと借金があったり女癖が悪かったりする問題人物なのだろう。多くの縁談が寄せられれば、必然的に妙なものも混ざりやすい。父も一応の選別はしてくれているようだ。
「ヤラーネ……、家のために辛い思いをさせるが、一人娘のおまえにはどうしても婿をとってもらわねばならないんだ」
「そんなのは百も承知よ。私はお・相・手の話をしてるの。――ほっそりした男性のほうが好みだって、何度も言ってるじゃない!!」
「いやしかし……大事な娘を任せるからには俺に打ち勝てるくらい強い男でないと……」
「お父様は王国騎士団長なのよ!? 王国最強のお父様に敵う人なんているわけないでしょう!」
「そこは俺がみっちりと稽古をつけてだな……」
「もうっ、お父様が結婚すれば!?」
バンッとテーブルに手をついて席を立つ。
ひしめき合う筋肉から逃れるように、『オアシス』を求めて家を飛び出した。
馬車で少々。たどり着いたのは、王国最大の蔵書量を誇る王立第一図書館であった。
「お嬢様、足元にお気をつけを」
外出に同行してくれているのは楚々とした侍女――ではなく、屈強な護衛の男性が二人。
別に私が何者かに命を狙われているわけではない。ただただ我が家の使用人のほとんどが、父を崇拝する筋肉男衆で構成されているというだけの話だ。
「あなたたちはここで待ってて」
「ですが、万が一中で何かあった場合……」
「国営施設なんだから警備は万全よ。もしも何かあったときには呼ぶから。絶対、ぜぇーったいに付いてこないで!」
渋る護衛を外で待たせて大きな扉をくぐる。
この安らぎの空間に、『筋肉』を持ち込むわけにはいかないのだ。
館内はそれなりに人の入りがあるようで、そこかしこに利用者の姿があった。
なんて素晴らしいのだろう。こんなに人がいるのに圧迫感がないなんて……!
ここにいる全員を足しても、父一人分の圧にも満たないだろう。心なしか空気も澄んで感じる。
お目当ての人物を探そうと立ち並ぶ本棚のほうに目をやると、不意に横から声がかかった。
「ヤラーネ嬢」
「きゃっ!?」
驚きにピョンと飛び跳ねる。
振り返ればそこには、ほっそりとした腕に重そうな分厚い本を抱いた、知的で物静かな男性が立っていた。
「すみません、驚かせるつもりはなかったんですが……」
「マイヴァン様! ちょうどお探ししていたところでしたの。お会いできて嬉しいですわ」
「それは光栄です。僕もヤラーネ嬢がいついらっしゃるのではないかと気もそぞろで、読書にも身が入らずにおりました」
「ふふっ、マイヴァン様に『本』以上に気にかけていただけたなんて光栄ですわ」
マイヴァン=ブックリード。
すらりとした痩躯に儚げな雰囲気をまとった彼は、代々優秀な文官を輩出しているブックリード伯爵家の三男である。
我が家にはびこる『筋肉』とは何もかもが大違い。さらりと流れる絹糸のような髪も、磁器のような白い肌も、たおやかな所作も、うちの男性陣には決して持ち得ないものだ。
繊細な美貌をうっとりと見つめていると、マイヴァンが何やら歯切れ悪く口を開いた。
「その……お父上から、何か聞かれましたか……?」
「?? なんのお話でしょう? 父からはこれといって何も」
「あっ、いえっ、まだ聞かれていないのならいいんです。急ぎというわけでもありませんので……!」
「そうなのですか?」
「ええ、本当に!」
焦ったように挙動不審になるマイヴァンをそれ以上追求するのもためらわれ、結局いつものように並んで本を読むだけの穏やかなひと時を満喫した。
――マイヴァンとの出逢いは、三ヶ月ほど前に遡る。
街歩きにずっと張り付いてくる護衛を巻こうと、狭い路地を走り抜けていた私は、もう少しで大通りに出るというところでたちの悪いゴロツキに絡まれてしまった。
「よぉ、こーんな薄暗い路地に貴族の嬢ちゃんが一人でいちゃぁ危ないぜ?」
「そーそー、俺たちみたいなのに捕まっちまうからな! ギャッハハハ!」
「…………っ」
背後を振り返ってみても、巻いた護衛たちが追いついてくる気配はない。
すぐ目の前は大通り。
通りにいる人々からも私が絡まれている光景は見えているだろうに、ゴロツキの背後を行き交う人々は誰一人として私と目を合わせようとはしなかった。
……まあ、仕方のないことだ。
一般人にケンカ慣れしたゴロツキを相手にしろというほうが無茶な注文。こんなときのために、父のような鍛え上げた騎士がいるのだから。
しかし見回りの騎士がこのタイミングで、運良くここを通りかかるとも思えなかった。
獲物を囲い込むようにしてじりじりと距離を詰めてくるゴロツキを前に、いよいよ覚悟を決め――。
「君たち、その女性を解放したまえ」
幻聴、――かと思った。
低すぎず澄んだ、心地よい声音。
教会に祭られた中性的な美貌の神像が、もしも声を得たならこんな音だろうと、そう思わせるような。
ゴロツキの背後に立つ声の主は――お世辞にも武闘派には見えない、分厚い本を抱えた長身痩躯の青年であった。
多くの人が行き交う街中で、たった一人彼だけが私を助けようと声を上げてくれたのだ――。
図書館から帰宅すると、すぐに父がいる書斎へと向かった。
ノックの返事も待たず入室するなり、開口一番に用件を告げる。
「お父様、マイヴァン様から何かお言付けを受けているんじゃない!?」
「えっ!? あっ……あぁー、いやっ? と、特に何も聞いていないけどなぁぁ〜??」
父はギクリと首をすくめると、キョトキョトと不自然に机の横を見遣った。
視線の先にあるのは、今朝の釣書きの山から除外されていた数通の釣書きで……。
「これね!?」
「あっ、こら!」
即座に駆け寄って釣書きを奪う。
これでもない。これでもない。
三通目に開いたそこには、ジャケット姿で凛と背筋を伸ばした愛しのマイヴァンの姿絵があった。
「マイヴァン様!!!」
「っあぁー、見つかってしまったか……」
父が額を押さえて天を仰ぐ。
「なんですぐに伝えてくれないのよ!? マイヴァン様からの申し入れを、あろうことか候補から除外するなんて!!!」
「いや、だって……なぁ? おまえもわかるだろう? 彼では何かあったとき、おまえを守ってやれないではないか」
「マイヴァン様は私が下卑た男どもに絡まれていたとき、助けようと声をかけてくださったのよ!?」
「しかしあの件は結局……」
「通りには体格のいい男性もたくさんいたけど、助けようと動いてくれたのはマイヴァン様だけだったわ! ……ねえ、お父様? お父様は結果だけで物事を判断するような方ではないと信じているわ。勝てる相手に立ち向かうより、敵わないとわかっている相手に立ち向かうことのほうが、どれほど勇気を必要とするか。真の勇気とはどんなものなのか――お父様は強くなりすぎて、わからなくなってしまったのではなくて?」
父はぐっと言葉を詰まらせると、やがて降参したようにガックリと肩の力を抜いた。
「――――っはぁぁ……。たしかにおまえの言う通り、彼は勇敢だ」
「じゃあ……!」
「ああ、わかったよ。ブックリード家に申し入れを受けると返事を書こう」
「っっっっ!! ありがとう、お父様っっっ! 世界一愛してるわっ!!」
分厚い身体をギュッと抱きしめると、「すぐに二番目になりそうだけどなぁ……」と弱々しい呟きが聞こえた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
マイヴァン=ブックリードは、昔から読書が好きな大人しい少年であった。
たまには外で遊びなさいと家を追い出されれば、木陰で読書をはじめる始末。それでも冒険物語に熱中していた時期などは、身体を鍛えようと試みたこともあった。
しかしいくら指南書の通りに身体を動かしてみても、すぐに疲れて息切れするばかり。何日続けようと筋力がつく気配など毛頭ない。
思春期になるとひょろりとした体型をバカにされることも増えたけれど、こんな自分とでも付き合っていくしかないのだと半ば諦念を抱いていた。
あれは、予約していた新刊を本屋に受け取りに行った帰りのこと。
狭い路地の出口を塞ぐようにして、破落戸二人が可憐な女性に絡んでいるのが見えた。
救いを求めるように周囲を見渡すけれど、誰一人助けに向かう様子はない。しかしここで同じように見て見ぬふりをして素通りしたなら、いよいよ自分を心底嫌いになってしまいそうだった。
身体が弱い上に、心まで弱いのか――と。
そうして一世一代の勇気を振り絞って声をかけたのだ。
万が一にも倒せるなどと思い上がってはいない。破落戸たちが自分を殴っている隙に、女性だけでも逃がせればいいと考えてのこと。
案の定男たちは、『狩り』を邪魔した自分のほうへと不愉快そうに向き直った。
今だ。男たちが自分を殴りはじめたら、その隙に逃げてほしい!
視線でそう伝えようと男たちの背後を見ると――。
ヒュッ!
鋭い風切り音とともに白いフリルがふわりと舞って、上背のある男が真横に吹き飛んだ。
「はっ? おい、どーしたん――」
突然壁に頭突きした仲間に動揺するもう一人の鼻面に、メ゛リッと鈍い音を立ててヒールつま先が突き刺さる。
男は「グェッ」とも「ケペッ」ともつかない妙な声を発しながら、後頭部を反対の壁に打ちつけて崩れ落ちた。
大柄の男二人が消えて開けた視界。
サァッと通り抜ける風が、彼女の髪をゆるやかになびかせる。
――この世界に、こんなにも美しいものがあっただろうか。
可憐さのなかに凛とした強さを秘めた、決して手折られることのない花。
本を読んでいるだけでは決して知ることのなかった光景に、『心奪われる』という言葉の意味を初めて深く理解する。
こんなにも、小さく可憐な女性なのに……。
パタパタとスカートをはたく音で陶然と見つめていた自分に気づくと、慌てて彼女に声をかけた。
「あのっ、お怪我は?」
「いいえ、おかげさまで傷ひとつありませんわ。このたびは助けていただきありがとうございます! あなた様のお名前をお伺いしても?」
そう言って彼女は、花がほころぶような笑みを見せたのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
二人の結婚式は盛大に執り行われた。
お互いしか見えぬ様子で見つめ合う若い二人に、列席者も温かな拍手を送る。
そのほとんどが王国騎士団の関係者であり、そこかしこで筋肉がひしめき合っていたけれど、ヤラーネの目にはマイヴァンだけしか映っていなかったため、幸せそうな表情が曇ることはなかった。
それから一ヶ月後――。
「マイヴァン、もうそれくらいにして寝ましょう?」
「百十三、百十四、……いや、もう少しだけ続けさせてほしい。夜は静かで集中しやすいんだ。……百十八、百十九」
寝支度を終えて待つ妻を置き去りに、マイヴァンは熱心に筋トレを続けている。
父の指導のもとタンパク質中心の食生活へと改め、無理のない回数からと筋トレをはじめたマイヴァンは、日々着実にその回数を伸ばしていた。
「こんな自分でも、筋肉が付くなんて……っ! さすが、アーサー様の指導はすごいな! 百二十四、百二十五、……」
分厚い本を持つだけで折れそうに見えたマイヴァンの細腕も、今や私のふくらはぎほどの太さに迫っている。
本を読むより筋トレに励む時間が増えて、徐々に筋肉の崇拝者に近づいているように見えるのも気のせいではないだろう。
ああ、儚げで読書を愛していた彼が、どうしてこうも変わってしまったのか。
私の最愛の夫、マイヴァン=キントレーは――。
ハッピーエンド……?( ᐛ )えっ、メリバ???
まさか拙作で筋肉嫌いヒロインを書く日が来るとはね……!
名前のヒミツにはお気付きいただけたでしょうか……(*´艸`)フフッ
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