第4章
真夜中から歩き始め、気がつけばもう二時間が過ぎていた。
どれだけ歩いただろうか?
足元は疲れ切っているのに、遠くにそびえるお城は、まだその全貌が消える気配すらない。巨大な影が街に溶け込むように佇んでいる。
そして、空が淡い紫から橙色へと染まり始め、遠くの地平線に朝焼けの兆しが見える。夜の帳が明けようとしているのを肌で感じた。
「急がないと...」
そんな思いとは裏腹に、体は重い。早歩きしようとすればするほど、足は言うことを聞かない。息が荒くなり、心臓が早鐘を打つように高鳴る。こんな調子ではいつ頃、東門にたどり着くだろうか?お城では、誰かに見つかっただろうか?不安だけが降り積もる。
隣を歩くルイが、ふとこちらに視線を投げた。無言だが、彼の歩幅が少しだけ私に合わせられているのがわかる。おそらく気を遣っているのだろう。無理をしないで、という彼なりの優しさが伝わった。お互い言葉が要らないほど、静寂は心地よかった。
夜明け前の静かな道を、私たちはただ無言で歩き続けた。互いの足音だけが微かに響き、疲労を伴う空気の中に確かな連帯感が生まれていた。
「この辺で、少し休もうか?」
ルイがふと足を止め、近くの小さな公園を指さした。薄暗い中、ベンチが一つぽつんと置かれているのが見える。私たちは自然とその場所に向かい、腰を下ろした。
幸い、水と少しの食料を持っていたので、私は果物をかじり、水を一口含んで喉を潤した。
「あと、どのくらいかな?」
私が問いかけると、ルイは遠くを指さした。
「もう少しだと思うよ。ほら、あそこの壁が見えるだろう?だいぶ近づいてきた。」
彼の指先を追うと、薄明かりの中にぼんやりと壁が浮かび上がっている。
「ホントだ!もう少しだね。」その言葉に安堵し、肩の力が抜けた。
「夜が明けたら、水晶を売っている店に行こう」ルイがポケットから二つの水晶を取り出した。
「これを売って、赤い水晶と金色の水晶に交換できるといいんだけど。」
彼が見せる水晶には、彼の魔力が込められている。
「ありがとう、ルイがいてくれて本当に良かった。一人だったら、きっと何も分からなかったよ」
その時、ふと視線の先に茂みが目に入った。
「…ん?あれは何?」
茂みに目を凝らすと、黒い靄がふわふわと浮かんでいるように見える。夜明け前の薄暗さのせいだろうか?それにしても、何か不気味な感じがする。
「ルイ、ちょっと待っていてくれる?」
「どうしたの?」
「気になるから、ちょっと見てくる。」
私は立ち上がり、茂みに向かって走り出した。近づいてみると、確かにそこには二つの黒い靄が漂っている。その中には、中型犬くらいの大きさのネズミ?いや、カピパラのような生き物が一匹。そしてもう一つは、大きな鳥のような形状だ。どちらも黒い靄に包まれ、ほとんど動かない。
「急に走り出すからびっくりしたよ…って、これ何?」
ルイが後から追いつき、じっと靄を見つめている。
「近づかない方がいいんじゃないの?」
彼が私の腕を掴む。
「…でも、この靄、塩の時のものと似てると思わない?」
「これは魔獣だよ。初めて見たから分からなかったけど、危ないよ!」
「うん…でも、試してみたいことがあるんだ。大丈夫・・・たぶん」
私はルイの手をそっと外し、靄に向かって手をかざした。すると、靄が吸い込まれるように掌へと集まり始めた。見ると、手のひらが薄く黒ずんでいる。1メートルほどあった靄が、少し小さくなった。
「やっぱり!ほら、ルイ見て。」
「少し黒くなってるね。」
「そう、私、これを吸い込めるみたい」
再び手を向けると、靄が完全に消え去り、黒いカピパラのような生き物だけが残った。私は意を決してその体に触れる。氷のように冷たい感触が指先を刺す。
「大丈夫?」
ルイが心配そうに覗き込む。
「うん、大丈夫。ただ、すごく冷たいだけだから・・・」
そう言いながら冷たさに耐えていると、カピパラの体がだんだんと茶色に変わり、小さくなっていった。そして、最後には金色の輝きを放つ小さなハムスターが現れた。
「これって…ハムスターだよね?」
私は驚きながらその小さな命を手に取った。ふわふわとしたその暖かさを感じながら、私は思わず微笑んだ。
「これって…ゴールデンハムスターのキンクマちゃん、じゃない?でも、なんだかキラキラがマシマシだね」
その小さな体は、まるで星の輝きを纏ったように、ほんのりと光を放っている。
「ハムスター?」ルイが首をかしげる。
「そう…ハムスターのキンクマ。キラキラがマシマシなの」
「…」
「だから、キンクマのキラキラなんだよ!」ルイは苦笑いを浮かべて、肩をすくめた。
「正直、ちょっと意味が分からない…」
「まぁ、とにかく可愛いちっちゃなネズミって言えばいいのかな?」
「…ああ、ネズミね」
「平たく言えば、ネズミ。でもね、小っちゃくて、丸くて、ふわふわで、あったかいんだよ」
私はそのキンクマにそっと頬を寄せた。暖かくて心地よい。念のため怪我がないか調べようと、お腹やしっぽ、足の付け根をくるくる撫でてみた。
すると――
「…やめれー!!」
突然、どこからか声が聞こえた。
「…ん?今の誰?」
私は不思議そうにキンクマをわしゃわしゃと撫で回す。
「やめれーってば!こそばゆい!!」
驚いてキンクマを見ると、短い足をバタバタと必死に動かしている。じっとその顔を見つめながら、もう一度わしゃわしゃと撫でると――
「じぬっ!じぬから、やめれー!!」
「えええーー!?しゃべった?」
私は驚きのあまりルイの方を向いた。
「ほら、ルイ、見て!」
興奮しながらキンクマをこしょこしょすると、ついにその小さな体がぐったりとしてしまった。
「やばい…死んじゃった?ごめんね、どうしよう…」
目に涙を浮かべてルイを見上げると、彼は冷静にキンクマを観察していた。
「大丈夫だよ。こいつ、たぶん死んだふりしてるだけだ」
そう言って、ルイがキンクマの足の付け根をこしょこしょとくすぐる。
「やめれって言ってんやろがー!!」
キンクマは丸まりながら叫んだ。
「はぁ…よかった、死んでないんだね」
ほっと胸を撫で下ろしながら、私は優しくその小さな体を撫でた。
「ごめんね、金ちゃん」
「誰が金ちゃんだ!」
キンクマがムクっと首を伸ばし、不満げに私を見つめた。
「キンクマだから、金ちゃんでしょ!ほら、金ちゃん、超かわいいよ!」とルイに見せた。
「よく分かってんじゃん。俺ってば、可愛いんだよ!」
得意げに胸を張り、後ろ足で立ち上がった金ちゃんは、短い前足を腰に当てて堂々としたポーズを決めた。その様子に思わず吹き出してしまう。
「あっ、そうだ…金ちゃんはここに入っててね。」
私は金ちゃんをそっとポケットに入れてから、もう一つの黒い靄に手を伸ばした。すると、さっきと同じように靄が吸い込まれるように掌へと消えていき、残された黒い鳥の形をしたものが現れる。手を当てると、黒い部分がどんどん薄いピンク色に変わっていき、やがてその大きさも少しずつ小さくなっていった。そして、ほっぺと鼻と鶏冠のような部分が真っ赤になっている。
「これって…オカメインコちゃんじゃない!色は違うけど…」
慎重に鳥の様子を確認すると、羽に小さな傷があり、少し血が滲んでいるのが見えた。
「羽が傷ついてる…大丈夫かなぁ?」
「わいにまかしとき!」
ポケットから顔と小さな手を出した金ちゃんが、インコの羽に手をかざした。すると、キラキラとした光が羽の傷口に吸い込まれ、徐々にその傷が塞がっていくのがわかる。
「すごい!金ちゃん!」
「ふん、知ってる。わいはすごいんや」金ちゃんは胸を張って、誇らしげに笑ってみせた。
しばらくすると、オカメインコがぱちりと目を開け、キョロキョロと周囲を見回した。そして、私を見つけると肩に飛び乗り、『ぴぃ~』と小さく鳴いた。
「わぁ、ふわふわであったかい…!めちゃくちゃ可愛い!」
その言葉に応えるように、インコちゃんは首や頬を私の顔に擦り付けてくる。反対側の手でそっと首元を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じ、リラックスした表情を見せてくれた。
「よし、そろそろ夜が明けたから、急ごう。」
ルイが声をかけると、私はピンク色のインコに目をやりながら言った。
「あなた、ピンクだから…とりあえず、ピンクちゃんって呼んでもいい?」
「まんま、やん…」
ポケットの金ちゃんが微妙に関西弁混じりで呟いた。ピンクちゃんは『ぴぃ~』と鳴く。
「オッケーってことかな?」私が尋ねると、もう一度『ぴぃ~』と返してくれた。何となく、意思疎通ができている気がする。歩き出してしばらくすると、ルイがこちらに視線を向けているのに気づいた。
「ルイも撫でたいの?」
「うん、撫でたい!」
そう言うので、私は少し立ち止まり、ピンクちゃんの方にルイは人差し指を差し出すと――ピンクちゃんは真っ赤な目でその指を見て、『ガブリ!』
「あっ、痛!」ルイは驚いて指を引っ込めた。
「嫌だった?」私がピンクちゃんに尋ねると、『ぴぃ~』と一声返してきた。ルイはしょんぼりと俯いてしまい、私は彼の頭を優しく撫でて励ました。
「大丈夫、少しずつ慣れてくれるよ」
ルイが指を確認しながら、少し残念そうに呟く。
「カンナには慣れてるのにね。」
「うん、私は助けてあげたからね。それより、指は大丈夫?」
「うん、加減してくれたみたいだし。ピンクちゃん、これからよろしくね。」
ルイがピンクちゃんに話しかけると、『ぴっ』と短く返事をした。
「これって、どういう意味なんだろう?」とルイが首をかしげると、金ちゃんがポケットから顔を出し、得意げに言った。
「とりあえず返事しただけや」
「えっ、金ちゃん、ピンクちゃんの言ってることがわかるの?」
「同じ動物やからな。種類は違うけどな」
私は驚き、目を輝かせて金ちゃんに言った。
「すごい!じゃあ、わからないときは通訳してくれる?」
「しゃーないなぁ、俺ってすごいからな!」金ちゃんはまた胸を張って得意げに笑った。そして、少し考えるように首をかしげる。
「ところで、どこ行くんや?」
「これから水晶を売って、お金にしたいの。お店を探さないと」
「それなら、わいが知っとるから案内してやるわ」
「本当?助かる!金ちゃん、なんでも知ってるね」
「そうやろ?わい、すごいから何でも知ってるんや!」
金ちゃんは満足そうに得意げな表情を浮かべる。どうやら、金ちゃんには褒め言葉が一番効くみたいだ。金ちゃんの得意げな顔を眺めながら、私たちはお店を目指して歩き出した。
「ねえ、金ちゃんはなんでおしゃべりできるの?」
私はふと湧いてきた疑問を口にした。金ちゃんは小さな目を輝かせて、得意げに口だけニヤっとした。
「人間が話しとるのを聞いとったら、覚えたんや」
「えっ!じゃあ、金ちゃんって天才ハムちゃんじゃん!」
「ハムちゃんってなんや?まあ、わいは天才やけどな!」
また出た、ドヤ顔。話し方はちょっとおっさんぽいけど、見た目が可愛いから許せる。
そのやりとりに、ルイが口を挟んだ。
「魔力を持っている動物は、色んな力があるから、話せる子もいるのかもね。ピンクちゃんも魔力を持ってそうだし…それにしても、なんで君たちはあそこにいたの?」
金ちゃんは少し目を伏せて思い出すように語り始めた。
「半年くらい前やな…わい、どっかの商人に捕まっとったんや。見ての通り、俺だけ金色やろ?みんな茶色が多いんやけど、俺は目立つし、珍しいんや」
「それで捕まっちゃったの?」
「そうや。でもな、ここに連れてこられる途中で、魔獣に襲われて檻が壊れたんや。それで、なんとか逃げ出したんやけど…」
金ちゃんは少し口ごもり、視線を落とした。
「けど?」
「魔獣に襲われたときや…瘴気の一部が足にまとわりついてしもうたんや。最初はなんともなかったけど、2か月、3か月と経つうちに、瘴気がどんどん広がってきてな。ついに意識も曖昧になって、気づいたらあの公園にいたんや。こいつと一緒におったんらしいけど、何してたんか全然覚えてへん。」
私は金ちゃんの話に胸が痛んだ。
「そうなんだ…瘴気って負の感情からくるって聞いたけど、一度ついてしまうと浄化しない限り、どんどんひどくなっちゃうんだね。」
「たぶんね。瘴気が完全に体に入り込むと、動物でも魔獣になってしまうんだろうな。」ルイも深刻そうに頷く。
「この鳥はんも、たぶん同じようなもんやろな」金ちゃんは、しょんぼりと小さな肩を落とした。「もしかしたら、俺が逃げるときに羽を傷つけてもうたんかもしれん。ほんま、すまんかったな」
そのとき、ピンクちゃんが『ぴっ、ぴぃ~』と軽く鳴いた。
「えっ?ピンクちゃん、なんて言ったの?」私は興味津々で金ちゃんに聞く。
「わしのせいやないって。瘴気のせいや、て」
金ちゃんが訳すと、私はほっとした。
「ピンクちゃん、ありがとうね。二人とも大変だったね。ひと段落したらゆっくり休んでね」と私はピンクちゃんの頭を優しく撫でてあげた。小さな頭が気持ちよさそうに傾く。
金ちゃんもどこか嬉しそうに見えたが、照れ隠しなのか、ふいっと横を向きながらつぶやいた。
「まぁ、わいは天才やからな。お前ら、なんかあっても俺に任しとけ。あっ、この店や」と金ちゃんが小さな手をさした。
「俺が行ってこようと思うんだけど、髪の色が目立つから、あの路地でこっそり鬘貸してくれる?」とルイと一緒に少し薄暗い路地へ入っていき、鬘を渡した。
「カンナは、ここから動かないで待っててくれる?フードもちゃんと被るんだよ」とルイは私の来ているローブのフードをかぶせる。
「わいがいるから、大丈夫や」
「なんか、ちょっと頼りない気もするけど、ピンクちゃんもよろしくね!」
『ぴぃ~』いい返事をしてくれた。
「じゃあ、行ってくる」ルイは、お店の中に入って行った。
ルイはフードを深く被り、店の中へ足を踏み入れると、まっすぐカウンターへ向かった。忙しそうに帳簿をめくっていた店主が顔を上げると、ルイは低い声で話しかけた。
「魔力入りの水晶を買い取ってほしいんだけど…」
「はいよ。どんなもんか見せてくれ」
店主の口調はぶっきらぼうだが、急いでいるので気にしていられない。ルイは懐から紫色の魔力が染み込んだ水晶を取り出し、カウンターに置いた。
「ほう…これはまた珍しい色だな。どこで手に入れたんだ?」
店主は目を細めて水晶を覗き込む。
「これは家に代々伝わる家宝でね。水の魔力入りの水晶と金の水晶を交換して、余りはお金に換えてほしいんだ」
「ふむ、水の魔力入りは10万ギルだが、金のは50万ギルだな。この紫は1個…100万ギルだな。本当に売っても構わないのか?」
100万ギル。思いのほか高い値に驚いたが、ルイは平静を装い、店主に急かすようにうなずいた。
「ああ、いいんだ。急いでるから、早く頼むよ」
店主は小さく笑って、慌ただしく水の魔力入り水晶を準備し、ルイに差し出した。
「じゃあ、これが水の水晶ね。そして…残りの140万ギルだ。もしまたこの水晶があるんだったら、他の店に売らないでうちに持ってきてくれよ。ぼったくりの店もあるからな。次も選んでくれたら、サービスしてやるよ」
「もしまたここに来たらね」
ルイは無関心を装って水晶とお金を受け取りながら、ふと尋ねた。
「そういえば、隣町に行く馬車って、門の近くにあるかな?」
「ああ、あるよ。門の隣の広場に馬車があって、午前と午後に一便ずつ出てる。ただ、午前中はもう行っちまったから、午後の便になるな」
「そうか。あと、衣類や食品の店もその辺にある?」
「もちろん、あるさ。乗合馬車の近くには日用品や食料品の店がずらっと並んでる。きっと揃えられるだろうよ」
「ありがとう。助かったよ」
ルイが礼を言うと、店主が一瞬口を開きかけ、何か言いたげに見えたが、結局そのまま言葉を飲み込んでしまった。
「…まあ・・・兄ちゃん、気をつけてな」
ルイはわずかに疑問を残しながらも、礼を返して店を後にし、カンナの元へと急いだ。
カンナは、さっきルイと別れた場所に立っていた。
「お待たせ。何もなかった?」
ルイが声をかけると、カンナはほっとしたように笑みを浮かべて言った。
「うん、何もなかったよ。それに…ありがとう、ルイ」恥ずかしそうに小声で礼を伝えるカンナに、ルイは照れ笑いを返した。
「ところで、乗合馬車だけど、午前の便はもう出発しちゃったらしい。午後の便に乗るまで時間があるから、必要なものを揃えに行こうか。とりあえず、変装用の鬘とか、着替えとか。」
「うん、水もいるよね?」
「水は大丈夫。ちゃんと水の水晶と交換できたから。まずは鬘や変装できそうな服を買って、目立たないようにしないとね。」
カンナはうなずいて、少し照れたように言った。
「本当にありがとう、ルイ。あなたがいてくれて、とても助かってる。私一人じゃ何もわからないから…」
「わいかて役に立つで!どこがぼったくりの店とかも教えたるわ!」
ポケットから顔を出した金ちゃんが、えっへんと自慢げに言った。
「うん、金ちゃんもありがとね」カンナが微笑むと、金ちゃんは得意げに胸を張った。
「まずは飯やな!腹が減っては戦はできぬってな!」
ルイが笑いながら言った。
「じゃあ、みんなでご飯行こう…って、まずは鬘が一番大事だね。お店を探さなくちゃ」
「三軒先の店がええで。良心的や!」金ちゃんはすぐさま案内を始める。
「金ちゃん、すごいね。お店のこと、何でも知ってるんだ?」
「そうや!何でも聞いてくれ!」
「ほんとに物知りだね。助かるよ」
「そやろ?わいはすごいんや!可愛いしな!」
――可愛いは言ってないけど、まぁ確かに可愛いけど…
ルイとカンナは金ちゃんの案内で無事に鬘と服を購入し、変装を済ませた。カンナの瞳の色も、魔道具のペンダントを使って茶色に変えられ、正体がバレる心配もなくなったので、安心した二人は町の食堂へ向かうことにした。
「金ちゃん、おいしいご飯屋さん、どこか知ってる?」
カンナが尋ねると、金ちゃんはポケットから顔を出して自信満々に言った。
「任せとけ!こっちや、ついて来い!」
ついて来いって…金ちゃんは指刺しているだけなんだけで私たちが歩いてるんだけどね。まあ、おいしいお店ならどこでもいいか。
「ここや!ここの残飯が一番うまかったんや!」
「残飯って…。今日は残飯じゃなくて、おいしいものをいっぱい食べようね」
そう言いながら、カンナは金ちゃんをわしゃわしゃと撫で回した。別に意味はないけど、なんとなく撫でたくなっただけだ。
「ピンクちゃんは何を食べるの?」カンナがピンクちゃんに聞くと、『ぴ、っぴ、ぴ』と短く鳴いた。
金ちゃんが解説するように言った。
「森の木のみを取るから大丈夫やて。」
「そうなんだ。じゃあ、ピンクちゃん、ご飯食べておいで!気をつけてね。」
『ぴぃ~』と鳴いて、ピンクちゃんは羽ばたきながら遠くへ飛び立っていった。
「さて、俺たちも行こうか。」
ルイに促され、三人は食堂の中に入った。昼間だというのに中は賑やかで、あちこちでジョッキを片手に笑い声が飛び交っている。明るいうちからこんなにお酒を飲んでいて大丈夫なんだろうか?とカンナは不思議に思いながら、空いているテーブルに腰を下ろした。
「お嬢ちゃんたち、何にする?」
威勢のいい声でお店のおばさんが近づいてきた。メニューも見当たらないし、どうしようかとルイを見ると、彼が代わりに尋ねてくれた。
「おすすめは何ですか?」
「骨付き肉と野菜、それにパンか、煮込み料理とパンだね。どっちもおいしいよ。」
店内を見回すと、確かにどちらかの料理を食べている人が多い。
「じゃあ、それを一つずつお願いします」ルイが決めてくれた。
「飲み物はどうする?」おばさんが聞く。
「お水ってありますか?」とカンナが言うと、おばさんは眉を上げて笑った。
「あるけど、ビーラの三倍の値段だよ」
ビーラって何だろう?とカンナがまたルイを見ると、彼がすかさず答えた。
「今は節約しないといけないから、ビーラを二つでお願いします」
「はいよ」おばさんは注文を受け、奥へ引っ込んでいった。
「ビーラって何?」カンナがこっそり聞くと、ルイは少し首を傾げながら答えた。
「本で読んだことがあるけど、大麦で作られた発酵飲料らしい・・・俺も飲んだことはないんだけど」
「色的に苦くてシュワシュワするかな?飲んでみないとわからないね」と飲み物の色を見て言ってみた。
すると、金ちゃんがポケットから身を乗り出してきて、身振り手振りを交えながら声を張り上げた。
「なんや!お前らド素人やな!ビーラは魅惑の飲み物やで!一口飲んだら天国に行けるんや。ふわふわと空を飛ぶ気分になるんやで!」
「それって、要するにお酒じゃないの?」カンナが笑いながら聞くと、金ちゃんは誇らしげに胸を張った。
「細かいことはええねん。飲んだらわかる」
「じゃあ、金ちゃんは何を食べるの?」
「わいはなんでも食えるで!でも、久しぶりに肉が食いたいな!」
「骨付き肉か煮込み料理だったら、骨付き肉の方がいいのかな?」
「両方や!」金ちゃんは即答した。
「…なんか、ちょっと偉そう?」
カンナがそう言いながら、金ちゃんをひっくり返し、小さなお腹を両手でわしゃわしゃと撫で回した。金ちゃんはバタバタと足を動かしながら叫んだ。
「やめれー!こそばゆいからー!」
笑い声が響く中、ようやく料理と飲み物が運ばれてきた。
料理が運ばれてくると、私は取り皿に金ちゃんの分を取り分けた。足りなかったら追加すればいい、そんな軽い気持ちだったけれど、思った以上にボリュームがある。私は骨付き肉を半分、パンは二つのうち一つを金ちゃんに渡した。ルイの煮込み料理からもスプーン二、三杯を金ちゃんのお皿に分ける。
「おまえ、ケチやなぁ~」
金ちゃんはルイに向かって茶化すように言った。
「そんなに食べられるの?足りなかったら頼んであげるよ」
私は軽く笑いながら、ビーラを一口。意外にも微炭酸で、麦の香ばしさが際立っている。アルコール度数は高くなさそうだけれど、お酒には違いない。飲み慣れた人たちなら水代わりになるのもわかる気がした。
「昼間っからこれ飲んで、みんな仕事できるのかな?」と疑問を口にすると、「この辺りの人は慣れてるんじゃない?」とルイが答えた。
そんな会話の中、金ちゃんが「わいにもくれー!」と催促するので、小さな皿に少しだけ注いで渡すと、ペロペロ舐めてから、「まぁまぁやな」と満足げに言いながら飲み始める。その姿がなんとも愛らしい。
私たちが食事を終える頃には、金ちゃんも満腹の様子だった。
「ぶっはぁ~」と金ちゃんがへそ天になった姿は滑稽で、頬袋もお腹もパンパンだ。
「これじゃ動けないでしょう?食べ過ぎじゃない?」
そう言いながら、私は金ちゃんの頬袋のあたりを軽くくすぐってみた。
「やめれー!出る出る!」
短い手足をバタつかせながら抗議する金ちゃんが可愛い。
「ここの袋のご飯はどうするの?」
「腹が減ったらまた食べるんや。」
「なんだか汚い…」
「ええねん!ネズミはこういうもんや!記憶もないし、久しぶりに腹いっぱい食べたんやから、今日くらい食わせてくれ!でも……動けないからよろしくな」
結局、動けないんだね。私は苦笑いしながら、金ちゃんをそっとポケットに押し込んだ。私の料理の半分とパン一個を平らげた金ちゃん。その満腹姿にルイと私は笑いころげた。こんなに楽しい食事は何ヶ月ぶりだろう。こんなにも心から笑った時間を、しばらく忘れていた気がする。
外に出ると、ピンクちゃんも食事を終えたようで、私の肩にふわりと舞い降りた。
「いっぱい食べられた?」と聞くと、『ぴぃー』と返事のような鳴き声が返ってきた。満足したようだ。
その後、馬車乗り場へ向かい、午後の便に無事乗ることができた。馬車は街から遠ざかり、窓の外には次第にのどかな風景が広がる。私はぼんやりと、ここにまた戻ることがあるのだろうかと考える。あの子たちはどうしているだろう?私たちがいなくなったことに誰か気づいただろうか?
感傷的な気持ちに浸りながらも、進む馬車の中で、私はすでに次の街でのことを考え始めていた。ここから先、何が待っているのかはわからないけど、今できることをやっていこうと心に決めた日だった。