mean.1
1話1000〜2000字程度。
全17話で完結します。
講義室に足を踏み入れた瞬間――。
「だからさー、トムの精細な旋律がいいんだよねー」
寺西の声だ。間違いない。
俺は思わずその場で立ち止まった。
「おいおい! 語っちゃってるよコイツー!」
「うわー! お前ウザいんですけどー!」
「シャレオツですかーい!」
「オシャンティですかーい!」
仲間たちと盛り上がっている会話のネタはすぐに予想がついた。
その話はつい2、3日前に、俺が寺西に話した内容だったからだ。
頭からスーッと血が下がっていくような、嫌な気分になる。
仲間の一人が俺に気づいて声をかけてきた。
「あ! シマさん! すげえウケんだけど!
テラがさ、ジャズなんて聴いちゃってんだってさ! カッコつけすぎー!」
寺西が『あ……』という顔をして振り返ったのが目に入った。
俺はあえて寺西の顔を見ないようにして、適当に返事をする。
「マジかー。わりぃ、俺ちょっと急ぎなんだ。今度詳しく聞かせてよ」
俺はカバンをひっつかむと、足早に講義室から退散した。
・・・
電車に駆け込んで、イヤホンを出す。
スマホのストレージから音楽を探す。
Tom hunterの文字を目にして、気分が落ちた。
トム・ハンターは俺の大好きなジャズピアニストだ。
その話をついこのあいだ、たまたま寺西に話した。
そのときの寺西は、ジャズなんて一度も聴いたことがないと言っていたのに。
――何が『繊細な旋律がいい』だ!
俺が言ってたこと、まるパクリしてんじゃねえよ!
得意げになって、手に入れたばかりのネタを偉そうに語っている寺西の人間性が理解できなかった。
イライラが治まらない。
大好きなトムのピアノを、今はとてもじゃないが聴ける気分にならない。
どうしても連鎖的に寺西の不愉快なセリフを思い出してしまう。
――あいつ……! 曲を聴いて開口一番『これってクラシック?』とか質問してたくせに! 知ったかぶりしやがって!
最悪の気分だった。
イライラを引きずりながら、駅を出て中古のCDショップに立ち寄る。
もうしばらくトム・ハンターは封印だ。こんな気持ちでトムのピアノを聴きたくない。トムに失礼だ。
こうなったら絶対に聴かないデスメタルとか適当に買っちゃおうかなーっ!
半ばヤケクソになり、なんとなく知ってるバンドがないかと思いながら探していると――。
「あれ? シマさんじゃん!」
声をかけてきたのは同じ学年の吉田サンだった。連れはいない。どうやら一人みたいだ。
「へー、シマさんって洋楽好きだったんだー!
実は私もなんだー。シマさんって誰のどんな曲聴くのー?」
「あ……うーんと……」
ジャズが好きだと言いかけて――やめた。
きっと明日には寺西がジャズ好きという話が広まっているんだろう。
そうするとどう考えても、キャラのパワーバランス的に、俺が寺西の真似をしてジャズに興味を持ったように思われるに決まってる。それはものすごく心外だった。
「……まあ……適当に、かな? あはは……」
本当は言いたかった。
『実はちょっとジャズとか好きなんだけど……吉田サンはどういうの聴くの?』
とかなんとか会話して、そんでまた盛り上がっちゃったりなんかして、ちょっとそこでお茶どう? みたいになっちゃったりしたりとかして……!
そんな展開だってアリだったかもしれないのに!
寺西のせいで全部が台無しだよっ!
マジで寺西許さねえ! もう絶対口きかねえ!
俺は吉田サンから逃げるように店を出ると、寺西への怒りに震えながらマンションへ帰った。