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恋する惑星  作者: 夏川慧
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6章 籠城

22 

 

 森の出口は何の変哲もない五反田だった。都市のノイズたちが、耳をどんどんたたいた。夕方だ。あたりは足早に歩くサラリーマンでにぎわい、道路には、1人のためにたくさんのスペースをとる車が、ころがってクラクションをならした。

 鹿は小さな声で言った。「『あいつら』がみているぜ」。あいつらとは、監視カメラや、各種のセンサーたちだ。街頭を埋め尽くしていた。鹿は森の茂みからトランシーバーをつかった。

「五反田駅周辺のカメラとマイクを片っ端からハッキングしてしてくれ」

「がってん承知の助」

 間もなくカメラの映像がダミーに差し替えられてしまった。

 もちろんずっとそうはしておけない。

 五反田には周囲から孤立した監視の目が届かない場所があった。ラブホテル街「五反田天国街」だ。不思議なエネルギーが働いて、奇跡的に権力が立ち入れないようになっている。彼らはそこまで急いで移動した。

 Vのアジトがあった。ハイパー・マンダラ・パートナーズが経営するラブホテル「エターナル・ギャラクシー(永遠の宇宙)」である。

 でも、永遠の宇宙という名前と外見は一致しなかった。7階建ての大きな豆腐だが、中はめまいを覚えるほど入り組んでいた。部屋はすべて「101号室」と記された。部屋が三階にあろうが、五階にあろうが「101号室」だ。

「『101号室たち』を区別するのには、とくべつな訓練と長い経験が必要だ。それできるのは、ずっと昔からわたしだけなんだ」

 エターナル・ギャラクシー支配人のジョジョは長いあごひげをなでつけてそう語った。ジョジョはバンコクで生まれて、マカオで育ち、東京に居着いた風来坊。いつだって、ドンキホーテで買ったオリーブグリーンのニセ軍服を着こなした。軍服には五反田ボーイズとポップな字体が印刷されている。彼の顔には陽気さと陰鬱さが共存していた。

 ジョジョはハイパー・マンダラ・パートナーズのエグゼクティヴコンサルタント(どれくらいエラいかは誰も分からなかった)で、ホテル担当を務めた。ホテルはVの仕事が袋小路に迷い込んだときの、セーフハウスである。つまり、ジョジョはVが信頼を置く人物である。

 ジョジョは鹿をみてのけぞった。「お、おおー、鹿じゃねえか。どうしていたんだよ。よっぽど、死んだと思っていたぜ」。

 二人は旧知の仲だった。

「いやあ、ジョジョさん久しぶり。ぴんぴんしているよ、おれは」

「そうか、生きてたのかよ。おまえブラジルでサッカー選手になったってうわさもあって、おれっちはてっきり、『あいつ、なんか壁にぶつかってたからな〜』と信じちゃったよ。アキレス腱の断裂以降、どうも得意のドリブルが鈍っちゃって、スタメン外されて、リオデジャネイロのスラムでサックスプレイヤーになって、ブラジル人の奥さんと子どもがいて、今度は不毛の西の地を開拓しようと、新しい開墾の方法を生み出すのに四苦八苦しているって聞いたっけな。『相変わらずソーゼツな人生送ってらっしゃるのね』って思ったんだけど」

「まるごとウソだよ、誰がそんなことを言うんだ、クソ!」

「絵描きのウェイウェイだな。絵を描くのに飽きると酒をかっくらって冗談ばっか言っているからなあ。筆のほうよりも、おしゃべりの創造力の方がすごいから、落語家になろうか悩んでいるほどだよ。奴の話は、異様にディティールがしっかりしているからついつい、信じちまうんだよなあ。アイツ、なんか言うとすぐに、ウエッヘッヘッヘ、ウエッヘッヘッヘって誘い笑いをするだろう。だんだんこっちも面白い気がしてくる。しかもこっちは酒が入ってて、ハッピーになりたくてウズウズしているからね。つられちゃうんだ。

 ウェイウェイはこういうんだ。『鹿の体型はサッカーに向いていなかった。もしウィンタースポーツを選んだら、もっともっとおれは成功したのに、と鹿は悔やんだ。だが、リオデジャネイロには雪はなかった』とか『監督は鹿をウィングで起用したいと思った。だが、鹿はインサイドハーフの役割に固執するあまり、監督の機嫌をそこねた。それを同僚のトニーニョが利用して、鹿のウィングのポジションを奪った。鹿は猛トレーニングで跳ね返そうとしたが、監督との関係は悪夢のようになっていた』だとかねえ、本当らしいだろう。鹿っちが消息不明だから、ウェイウェイ説がだんだん力を持つようになって……、ブラジルから流れてきたトロフィー屋のロマリオなんかも『あいつの試合を見たことある。サッカーの下手くそな日本の鹿って呼ばれてたぜ』って息をあわせるわけだ」

「なんてこった!とんでもないくそったれだ! そこまでいったら、陰謀だ。奴らは、あとで古井戸におとして、フライパンでにんにくと一緒にあっためたオリーブオイルを上から垂らしてやる!」

 鹿は顔を真っ赤にし、水蒸気を立ち上らせた。

「なるほどね。情報ってのはこわいね。嘘だろうが本当だろうが、説得力さえ持っちゃえばいい、みたいなところがあるなあ。特にこれだけ情報が速い時代だったらねえ」とエディットはわらった。

「そうだな、スマートフォンの時代は、乱暴な時代だよ」

 ジョジョは肩をすくめ、上司であるVにきいた。

「V、いつもの部屋だな」

 支配人は壁にかけられた鍵を外して、Vに渡した。101とかかれている。

「防衛状態はどうなっている?」

 Vは尋ねた。

「あいもかわらず完璧さ」

 ジョジョのマスターシュがピンとはね上がった。


23


 そのホテルはセキュリティを愛していた。

 最も特徴的なのが、迷路構造だ。ホテル専属の「迷路設計士」が絶えず、古い迷路を破棄して、新しい迷路を構築することで、外部からの侵入を防いだ。匿名希望の四十代の中肉中是のおっさんはその道で世界の五指に入る。書籍を五冊、有名な論文を八本ほど書いていて、業界人が彼に会うと床に地面をすりつけて挨拶した。おっさんはほとんどの時間をぶらぶらしているが、侵入希望者が現れると、脳みそのなかで一瞬で膨大な迷路をつくりあげて、ホテルに適用する。彼の脳みそと迷路は完全にリンクしている。

 技術は冴え渡っていた。トリプル・スパイラル・ラビリンス、メディヴァル・ラビリンスとかを組み合わせたりする。「複雑化」に加え、迷路のサイズを指数関数的に増加させる「膨大化」も使う。

 それから、彼が評価されるのが、迷路侵入者に「この迷路には出口がない」と思い込ませる心理攻撃を発展させたことだ。迷路に出口をもうけるのは絶対のルールだが、「ないと思い込ませる」のは自由だ。自信を失ったプレイヤーは迷路をクリアするのに必要な冷静さや慎重さを失ってしまうのだ。

 迷路設計士は世界で二十三人しかいない貴重な役職である。皆が皆、おっさんみたいに人力を好むわけじゃない。迷路のルールをコンピュータに命令することで、迷路を自動生成しているヤツも多い。でも、アルゴリズムを見抜かれると、いとも簡単にやられてしまう。「機械が考えることは機械は理解しやすい。人間特有の理屈にあわない感じ、ある種のクリエイティビティが、決定的なスパイスとして効いてくる」ということを、匿名希望のおっさんは、博士過程の頃から言い張るようになったという。

 迷路のストックはつくらない。敵にストックを嗅ぎ当てられると一網打尽にされるからだ。そのかわり、ひとつひとつの迷路はとてもタフだ。入り口も出口もなく、あらゆる幻惑につつまれており、獰猛な獣が潜んでいる。陥落はとても難しい。

 迷い込んだヤツは、鍵をみつけて、ドアを開けないといけない。鍵に関するヒントらしきものがわたされるが、それはだいたい三割程度、正しくて、残りの七割があくどいウソでできている。それに従っても、疑っても、ほとんどの確率で致命的な罠にさらされる。いまだ鍵を見つけた侵入者すらいない有様だ。

 彼の連勝は侵入者の死骸を捨てる穴が証明していた。地中八百メートルまでほられている。のべ百人以上がすてられたと推定される。正確な数字は誰もわからない。ホテルの部屋や周辺で、霊がよくでるとまことしやかに囁かれた。

 システムの管理にはスタッフや設備が必要だけど、マンダラがおしむことなく金を注ぎ込んだ。ホテルがセーフハウスだったのもあるが、もっと大事なことがある。キボウの秘匿情報がつまったフロッピーディスクが隠されていた。敵の目をかくらんするために、時代遅れのフロッピーディスクが選ばれている。いまさらフロッピーを読む装置を見つけるのが難しいほどなんで、敵は「まさか」と思うわけだ。

 これがとある101号室にあると言われる。知っているのはVとジョジョの二人だけだった。それから、ほかにも、隠し事がある……。


24


「面白いつくりになってんじゃんな」とエディットはガキっぽい喜び方をしている。彼には表面上に現れるモノゴトから、その裏側に広がる宇宙と構造を想像するのが好きだった。

 オーチス製のエレベーターは化石と変態が融合したものといって遜色なかった。ボタンは七階が一番下で一階が一番上にあり順番が逆で、一番下は八千と書かれた。その八千の字は、誰かが勝手にマジックで書いたふうだった。ボタンの上には階数を現すパネルがあるが、おそらく御一行様が一階にいるので「一四七五階」と表示している。

 だが、ここは一四七五階なのか、とウェイヴは勘ぐった。

 ボタンが押されるとまずトルクを巻くきゅるきゅるきゅるという音が上部からして、それから、ずんという音がして、黙り込む。それを繰り返した。

「なんて未来的なエレベーターなんだ」

 鹿が皮肉を言った。十数回目のずんの後、やっと動き出した。おそらくは上に上っているんだろう。重力はそういう風に作用したと思われる。でも密閉された箱の中では、どうも感覚を当てにできない。

 エレベーターは致死的状況にあった。進んだかと思うと、老いた雌牛が絶命するような声を出して、止まってしまう。また生き返るのになかなか時間がかかる。あらゆるものが劣化していることを示すきしみが聞こえた。あるときなんて、黄ばんだ白い壁の向こうからは「うっひゃっひゃっひゃっひゃ」というかわいた笑い声が響き渡った。それはふんだんなエコーがついているので耳にこびりつく。

 壁と天井は出発から毎分〇・一ミリずつ狭まってくる、謎の仕組みをとっていた。人がわずかに感じ取れるような小さなゆがみも表して、空間把握を惑わせる。証明は死にかけのウルトラマンのカラータイマー的に明滅するし、空中はするめいかのにおいがこびりついた空気の不快感を提供する。

 ウェイヴはある不安をみつけた。「もし、ぼくたちが上にのぼっていると感じているだけで、実は横とか下とかに向かっている可能性もありえないか。ボタンだって、逆になっているし、パネルはえっと……」

「一応、コイツは『682階』と表示しているよ」とエディット。

「『682階』。そんな階は建物の外見からみて、あるはずはないんだよ。っていうか、世界のどこにも682階はないだろうよ。

 何かが行われている。われわれは箱の中にいるから、今どこに入るかっていうのは、よくわからない。われわれがいつも信じている情報がちょっとねじまがっただけで、こんなにも不安を感じるんだ。この不安を言葉にかえると、現実のどこまでが、現実なのか、ぼくは確からしく感じられないんだ」

 ウェイヴ、キミの言う通りだね、とエディットはいった。

「われわれは常に幻想で、現実を補填しているんだ。真っ裸の事実は存在しない。『おれは間違いないぞ』ってふんぞり返った統計だって、どこまで本物なんだろうか、このエレベーターくんと迷路くんは教えてくれるよ。偉大な教師だね、まったく」

 鹿はハリウッド映画の陽気な端役のように、ひゅうと、くちぶえをふいた。

「いいねえ。君たちはすごいところに気がつくねえ。ほんとうにいいセンいっている。でも大丈夫だ。この状況はわれわれにとって好都合であり、かれらにとっては不都合になるんだ。彼らがわれわれの居所を特定するのが難しくなる。マネーロンダリングみたいな感じだ。だから安心してくれていいんだ。難しく考えることもないよ」

 結局、一階から七階まで上がるマネーロンダリングはゆうに十数分はかかった。でも、そこは本当に七階だろうか。


 そこは「Vの部屋」と呼ばれた。

 とんでもなく変なところでクソ広かった。サッカーコートの半分ほどの広さはある。部屋は十七つあり、うち九つは、「ハイホ、ハイホ、仕事が好き」って感じの勤勉なVの子分が住んでいた。三つは、美しい異星人(アリコ星人、ダル星人)にあてがわれていた。彼らは朝昼晩と交感セックス(テレパシー的に気を送り合うことで、セックスと同様の効用を得られる)に没頭する。

 Vが使うのは居間と台所と浴室と寝室だけだ。

 その素晴らしい居間に通された。一八一四年のウィーン会議の場にあったクリスタルシャンデリアがどーんとぶらさがり、世界各国の猫百匹が床をうめつくした。戦国大名の甲冑を身につけたV自身の肖像画は四メートル×四メートルとかなり大きく、使われた形跡のないサーフボードも二本壁に立てかけられている。鹿がパイプの間で波に乗っている写真もでかでかと飾られている。コカコーラの自動販売機、UFOキャッチャー、食いだおれ人形がそっと、自己主張なく置かれていた。ほかの壁の一面では、世界中の不気味なお面が飾られている。

 カーペットはビックマックほどのぶ厚く足がはまった。アラブの石油王が愛しそうなパワフルな香水のにおいがぷんとつまった。窓には車のワイパーが取り付けられて、ひとりでに窓の表面をいったりきたりした。

 中心に千手観音像が置かれた円形のジャグジーがあった。「まず、ここで疲れをいやそうじゃあないか、野郎ども」とVは提案した。


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