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恋する惑星  作者: 夏川慧
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5章 退路

18

 たいまつを片手に握った校長はウェイヴ、エディット、V、鹿のパーティの逃避行を助ける、と話した。どうもいつもの校長とは様子がちがう。「私は、〈協力者〉だ。キボウの『ゆるやかなつながり』に共感するものだ。私は君たちを助ける。そしてこれは最後ではない。これから私のような奴が何人も現れて、君たちを助けてくれるだろう。その身を呈して、ね 。そこには拝金主義的な何かは存在しない。あるのは、情熱さ」

 御一行様は四階のテクノロジー部室を出て、息をひそめて歩き、彼はこそっとトイレの奥にある回転とびらから妙な通路に案内した。真っ暗で周囲が岩でごつごつしていた。天井が高く上部から水が滴り、岩を濡らし、一部には苔が生えていた。水の流れも聞こえる。しばらく歩いて、踊り場のような所に出ると彼らは息をついた。

「私は校長として君たちをこっそり守ってきたんだ。君たちをがすくすくと育つのを見守ることが私の仕事だ。君たちは何度も退学の危機にひんしてきたが、私はがんとしてハンコは押さなかった。君たちが運命に踏み出すまでは、学校は素晴らしいカモフラージュになると踏んでいたからだ」

 彼は行き先を見つめている。

「それに、個性ってのは大事だ。学校はそれを踏みつぶすタンクローリーのようにできている。君たちのような独創的な子どもを押しのけて、均質な世界をつくっても意味がないよ」

 彼はため息をついた。

「もう、高度経済成長期とは違うのさ。均質な人間が、均質な経済成長を生む時代を通り越したのさ、この国は……」

 彼はどうやら”何か”にさらされた後だと、そのとき、ウェイヴは初めて気づいた。光沢のあるスーツはぎたぎたにされ、革靴は手榴弾が中で爆発したような始末。顔はえんとつの掃除をしたあとのようにすすで黒ずんだ。

 校長はマイルドセブンに火をつけると、いきなり人格が変わった。「ウェイヴくん、あいつらはヤバいぞ。わたしの校長職がだな、アダチハラ教務主任の野蛮なクーデターで奪われた。あいつら…」

 彼はわなわなと震えた。

「暴力にうったのさ!自分のいうことに同調しない人間には、熾烈な処罰をかしたり、すべてを自分の都合の良い仕組みに作り替えていったりした。この学校はもうおしまいさ!」

 校長先生はカツラのとれたハゲ頭をぺたぺたと叩いた。いい音がした。今度は神妙な顔つきになる。無造作にポケットから、新鮮なきゅうりをとり、滋養豊かな味噌をつけてかじった。 

「うん、うまい。うますぎる。まだこれがうまいと思えるだけの平静はまだあるようだ。まだまだおれはやれるな。というか、むしろダイヤモンドの原石だ。校長なんていうふざけた仕事に飽き飽きとしていたところさ。あんなものはどぶさらいと一緒さ」

 御一行様はその秘密通路を抜けると、それは校庭の端っこのマンホールだった。校長はそこで南に浮かんだ、太陽の光にその目を向けて、大粒の涙をこぼすと、うおおおおおおおお、と超人ハルクのような雄叫びをあげた。

「アダチハラは君たちをビートに差し出そうとしているんだ。おそらく取引があるんだろう。『ゼツボウが世界を覆う!』ってね、気が狂ったように叫んでいたよ」


 君たちは裏山に逃げ込め。そこを南に抜けれるんだ、と校長は言った。ネクタイをばしんとじべたにたたきつけた。

「私は新しい人生を生きる。〈協力者〉としての役目も果たした。これくらいしかできないんだ。老兵は死せず、ただ消え去るのみ、なんてのは好きじゃないんだ。もう一度カムバックして一花二花咲かせよう」。

 彼は決然とした態度で、でこぼこになったカローラに乗り込んで学校を出た。校門を過ぎたところで、カローラのエンジンから火の手が上がり、シティハンターのような大爆発をとげた。


19


 一行は裏山の森に入った。

 インディージョーンズなジャングルが渋谷の南方までずっと広がっている。視界はすべて植物たちでおおわれていた。木々は高くしげり、猿たちが飛び回り、聞いたことのない鳥のかん高いなき声が、こだました。とてもユニークな色をした昆虫が、液のしたたる樹皮にへばりついて、人間の耳が聞こえない音を発した。

 森はすごい多様性に満たされている、とエディットは言った。彼は物珍しそうにあらゆるものをしげしげと見ていた。

 そういうものかね、とウェイヴ。するとエディットは言う。「人間が自分らの生活から排除しているものたちが、ここに集められている。大事なものはここにたくさんある。逆に言えば、われわれの文明は、どうも無駄なものをどんどん集めていってる。そういうのを『正しい方向』に直したい」

 アダチハラと生徒会の殺し屋集団が追いかけてきていた。探検服を着て、日本刀で武装している。アダチハラに至ってはハリソン・フォード的な顔つきをし、超強気筋の投機家のような狂気をまとった。ウェイヴたちの首はいまや高く売れる。差し出せば、支配者のもとで甘い汁をすえるかもしれなかった。

「この逆賊どもめ、天にかわりわれわれが、しとめてくれるわ!」

 追いかけっこは二日間続いた。

 だが、パーティが滝のたもとから滝壺へと七〇メートルの命がけダイブをして、振り切った。アダチハラ組は怖じ気づいて迂回したところ、森にだまされた。途中で道を尋ねた賢いニホンザルの群れに、ウソを信じ込まされ、手玉に取られてしまったのだ。アダチハラ一行はサルの奴隷として七年をそのジャングルで過ごすことになったのだ!

 だが、道を失ったのはパーティも同じだった。森の中で彼らのスマートフォンはまったくの役立たずだった。彼らはしかたがなく、それらをテナガザルの一団にあげた。テナガザルは高い木の興味深そうにながめた。「これが人間どもの最新トレンドだな? あいかわらず、分からんことをやりおるなあ」。

 彼らは森を解明しようとして、壁にぶつかった。その道行きを、あのカブトムシがみつめいていた。彼の扮装は完璧だった。なにしろ、どこからどうみてもカブトムシだからだ。カブトムシは無言のままその様子をながめて樹皮からしたたる蜜をちゅうっと吸った。

 

 森は本当に複雑だった。人間と文明化した鹿には、その複雑さを読み取ることができないのだ。だから勝手がわからない。

 夜の森は、まったく昼のそれと違った。生命たちのつくる輪が違うのだ。暗いせいか、誰かがまなざしを送るのが、明らかにわかった。それは悪意ともなく良心ともなく、とても中立的でともすると抽象的な色合いをしていた。名前をつけることはできなかった。


20


 四週間が過ぎた。彼らは森の中でのいずこにいるのかも分からなくなった。初めのうちは迷っていると思ったが、だんだんそうも思わなくなった。歩を進めることだけが目的になった。

 皆疲れ果てて無口になった。だが歩みは一歩一歩下される。一種の瞑想状態だ。彼らは森を出ようとも思わなくなって、自分の奥深くのよどみの中で目をこらした。

 そこにはいろんなものがある。どれがいまのぼくに深く結びつくものなのか。ぼくの深みはどこかで、誰かの深みとつながっているものなのか。


21


 あるとき大きな雨が降った。雨は頭の上を包み込む葉たちにさえぎられて、水滴がぽたぽたと落ちるだけだった。つんざくような雷。でも、それも遠い世界のできごとのようだ。森がすべてを包み込んでいた。一つの完結した世界だ、とウェイヴは思った。そしてウェイヴはあること気づくんだ。妙な空間が置かれている。したたる水滴がはじかれたり、べったりと浮き上がる空間があった。そこは虚空なのに。水があるのだ。Vはそこを触ってみた。何かある。

「やあ、こんにちは」

 それは言った。一行はぎょっとした。

「だれだ、どこにいる?」

 パーティは周囲を見回した。

「ぼくはここだよ……」

 声はそこから聞こえてくる。

「ぼくは、〈森の人〉だ。分かりやすく言えば、透明人間だよ。森と混じり合い、姿を持たなくなった。かたちは残しているけどね」

 パーティは腰を抜かした。確かにそこに透明だが、水をはじいたり、もわもわと空気をゆがませているモノがある。そいつはうなづけるくらいの現実感をまとっていた。

 透明人間は誰にもみえないけど、彼からは世界のすべてがみえた。自分の姿を隠しながら、他人を完全にみることができる。非対称的な有利な条件を握っている。 

 彼の声は木々の間をぬける涼しい風のようだ。「わたしはあなたたちのすることに同意している。〈協力者〉だよ。これからあなたたちは、わたしのような、協力するものたちに導かれていくんだ。なぜなら、”われわれ”が好きな未来は『協力する人』たちによる社会だからだ。支配による社会なんてのはまっぴらさ。それは森の住人であるぼくにとっても、自明なことなんだ」

 彼はにっこりと笑った。それはパーティにはみえない。

「あなたたちはここを早く抜けて五反田にいかなくちゃ、殺されてしまう。敵のプライベートミリタリー(私的軍隊)が襲ってくるだろう。彼らも森にてこずるだろうが、人海戦術をやってくるはずだ。だめなら、森をまるごと焼き払うことだってちゅうちょしない。そういうヤツらなのさ」。

 透明人間は笑った。その笑顔は見えない。

 脱出の障害は森の一部を住処にするゲリラだった。木々をかっさばいてアブラヤシとゴムの農園にかえて稼いでいた。ゲリラは民間企業と協業し、ビジネスのノウハウを手に入れ、資本は外から入れてもらう。ゲリラが農園の面倒をみる。互いに納得いく取り分をとる。素晴らしい共謀関係だ。

 透明人間は「あいつらは、森を壊している。完璧に人造的な世界をつくってる。あのプランテーションたちだ」と顔をゆがめた(ゆがめているのは見えないが)。

「同じ種の木々が整然と並ぶなかをあるっていれば、彼らにみつけられるだろ。彼らだって、世界の動きに無知なはずがない。君たちを引っ捕らえようとするだろう。そうすれば、しこしこ働かなくてすむ。バンコクかマカオかシンガポールかで大遊びさ」

 プランテーションの隅には大麻畑もあるわけだ。背の高い草が茂っていた。緩い風にたなびいている。そこには絶対に立ち入ってはいけない、と透明人間は言う。「大麻畑は彼らのとても大事な宝箱なんだ。そこを犯せば、『数回は殺されることになる』と思う。やつらは脳みそのねじが外れているから、どこまでも残酷にもなれる」


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