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恋する惑星  作者: 夏川慧
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2章 救世主の少年


 さて、東京は渋谷に平凡なる男の子がいた。一山いくらの十四歳の少年。誰にも知られず、生まれて、消費して、死ぬ、資本主義社会によくいる「交換可能な人間たち」の一人だった。

 だが、宇宙はいたずらを好んだ。この少年に大いなる魂と、讃えるべき力を宿らせた。宇宙はそれ自体で意思を持たず、余りにもさまざまで複雑なものの集まりだ。彼は予想も何も知らないうちにそうなった。南国でふくれあがった熱帯性低気圧がもたらず暴風雨のように、彼のあり方を変えた。彼は無自覚なまま、みるみるうちに変わっていった。

 その少年をウェイヴ、と呼ぶ。



 東京都渋谷区の渋谷二中。

 ウェイヴは二年三組の生徒番号八番。波打つ髪の毛に、細いからだ、ぎらぎらした瞳の持ち主だった。いつもZARAで買ったのをぎったんぎったんに改造した黒いパーカー、やはり改造しまくったLEEのジーンズをきていた。

 常に何かを楽しみ、夢中になるとそれ以外がなくなるタチだった。彼はどうやっても金太郎飴八〇%層とは似つかなかった。そうすると、学校社会は生きるのが難しくなったりする。でも、渋谷二中には素晴らしい場所があった。

 テクノロジー部だ。オタクとコンピュータ、機械マニアと変わり種だらけの部がやさしくウェイヴを包み込んだ。そこでは、性格が平均的であり調和的であること(日本人がしばしば重視する価値観)なんて、山羊がたべる紙くずのようだった。メンバーシップの条件はかんたんだ。他人を敬い、たのしく話し合うこと、面白いアイデアを交換し、もっと面白くしていくこと。くだらない権力争いを持ち込まないこと。この三つだけだった。

 当時のテクノロジー部は大豊作だった。後に登場するウェイヴの相棒のエディットを筆頭に、ベトナムの大洪水で街を満たした泥水をアルプスの天然水ばりのクオリティまで浄化する装置やアフリカやアジアの国を貧困から救った自動灌漑ロボットを開発した俊英ボリショイがいた。ほかにはウイスキーを一カ月で熟成させたり、チーズを三秒で発酵できるマシンをつくった異能者バフチンもいる。三十センチだけ浮いて走行できる乗用車を生み出し、後の飛行自動車の礎を築いたアレックスなどなど移民の子どもで後に天才になるやつらがごろごろいた。

 素晴らしいアイデアを持った仲間たちに刺激されながら、ウェイヴは自分の興味をエレクトリック・ダンス・ミュージックに集中させた。秋葉原でカスタムメイドしたラップトップで音楽編集ソフトをびゅんびゅん走らせて、四六時中音楽をいぢくり回した。エレクトリック・ダンス・ミュージックの世界は光の速度で変化を続けるジャンルであり、世代交代が激しく、十代のスターも珍しくなかった。ウェイヴは五歳のころにテレビゲームでの作曲をおぼえ、やがてラップトップに環境を切り替え、本腰が入った。レゲエ、ダブステップ、ベースミュージック、チャイニーズ・ダブ・ブレイクンビーツ、インディアン・ディープトランス……といろんな寄り道をやって、はやキャリア九年。面白い時期が近づいていた。

 

 ただ単に面白いからやっていた音楽。心境に変化を起こさせたのは渋谷駅周辺の風景だった。彼はその日アンニョイな気分で学校をさぼり、渋谷をぶらいつた。山手線に乗ろうとして並んだホームで、電車にすし詰めになって暗い顔した「サラリーマン」の群れを見た。それはさながら囚人護送車のようじゃないか。渋谷109の上階からハチ公前の交差点をながめた。無数の人たちが、途切れることなく行き交っていた。それは人ではなく「動く物体」じゃないか。直感がかれを突き抜いた。「他人と交換可能な、ねじのような人間になりたくない。自分のことを自分だと認められる人間になりたい。充足しながら、時間の流れを、てのひらの上に感じたい」

 そのために何をすればいいんだ?

 彼は自問した。長い葛藤の末にわかった。音楽でスターになることが、人間であることの宿痾しゅくあから解放される方法だ、と。音楽で人とつながり、金を稼いで、特別な意味を持つなら、自分だけのアイデンティティを持てる。消費社会に踊らされて、カイシャのマネジメントに飼われて、ばか高い結婚式に金を払い、住宅ローンに縛り付けられて、屍のように生きることを避けなければならない。

 音楽をつくることに没頭した。テクノロジー部のメンバーとかんかんがくがくの議論を闘わせるほかは、ガッコウに行かなくなった。ガッコウは彼が欲しいものを与えてはくれなかった。うまくいかなくなった社会システムに従うことを、ひたすら強制する場なのだ。そんな人間はもう通用しない。


 でも、ガッコウの代わりに彼が参加しているゲームはあまりにタフなものだった。インターネットが世界中をつないだせいで、音楽のカタチの変化は一〇代のヒップな少年も面食らうほどせからしい。三日前に新しいと見られたものが、たくさんのマネとカブセの連鎖により、三日後には古めかしくなっている。一週間前だったら、物笑いの種だったものが、一週間後には称賛の嵐を受ける。ネットの上に生まれたグローバルなシーン。そのるつぼに世界中からあらゆるアイデアが放り込まれて、エネルギー過多なぐちゃぐちゃなマグマが、どんなときだってうごめいた。

 彼は一度決心するともう曲がらない正確なので修行をはじめた。週に五回、ゴーゴーバー(裸の女性が踊るクラブ)の「渋谷の秘密」でイケイケなDJをして研鑽を積もうとした。グローバルシティ東京が上海、香港、マカオ、クアラルンプール、バンコク、ジャカルタ、マニラ、ロシア、東欧、北アフリカから裸になるのをいとわない女たちを引き寄せた。夜になれば常に何十人が真っ裸で踊り続け、世界各国から集まったコールガールであふれかえる背徳の場所。帝国主義を象徴する踊り場は好ましからざるものだったが、DJの技術を磨くとともに、大音量で自分のライブセットをならすことができた。自分のつくった冒険物語を大きなスピーカーが歌い上げる瞬間は、ぶっとぶような快感である。


 DJを終えるといつも朝方だった。彼は毎日、街に朝日が上るのを見て帰った。「朝日にもいろんな種類がある」。このころの彼の口癖だ。最初のうちは裸の女のいる場所で朝まで過ごして、朝日を浴びて帰途につく反道徳者にナルチシズムを感じた。「自分はどう考えてもフツーの中学生じゃないぜ」みたいな。でも、だんだん、日常になっていく。中学生は繰り返される日常には余りにももろい生き物なのだ。

 ある朝、彼はゴーゴーバーのフロアマネージャーを十年やっているケンおじさんとともに渋谷の街を歩いた。その日のケンおじさんはいつもにも増してひどかった。肩ががくっと下がり、顔は大津波が去ったあとの街のようで、髪の毛にはキタナらしい白いものが混じっていた。

 ウェイヴは音楽家特有の感受性を持っていた。ケンおじさんが漂わせる哀愁にだんだんシンクロナイズする部分が、かれの心に芽生えたのだ。ケンおじさんもまた昔は「MIDI」と呼ばれる時代遅れになった方式(当時は最新鋭だった)などを使い「自宅録音」に打ち込んだ音楽家だった。だが、鳴かず飛ばずが続いて、夢をあきらめた。家出した猫のように方々を転々とした後、最後に売春の巣のマネージャーになって、「街一番の真っ黒な男」に絶対の服従を誓わされるハメになった。彼には人としての権利がなくなった。国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルも彼を救うことはできなかった。「トヨタの工場でレクサスをつくる工業用ロボットの方が、おれよりも自由さ」。それが彼の口癖。


 彼の声はがらがら。みずぼらしさを漂わせた。深酒や疲れや時間のよどみがやどっている。「ウェイヴ、おまえは努力を積み上げていくんだ。おれみたいにはなっちゃだめだぞ。おまえにゃ才能がある。がんばり続ければ、壁を突き抜けるときが来るよ」。彼はそういって黙り込み、うつきながら汚らしいアスファルトの路上を進んだ。彼の顔はどうみたって哀しげだった。本人は普通の表情をしているつもりのようだけど、にじみ出てしまうものってのがある。

 川を渡った。どぶ川は灰色ににごり、すえたにおいがした。無数のゴミが浮かん ぶ水面を電灯のにごった光が照らしていた。それから少し進むと、ローソンとすき屋に挟まれたコンクリの塊があり、車一台がやっと通れる大きさのトンネルが貫いていた。

 ケンおじさんは指でそこを指した。

「ウェイヴ、ここを通ろうや。近道だぞ」

 はて、こんなトンネルがあったか。トンネルは山深い田舎で、誰も使わなくなって放っておかれたもののように思えた。そこだけ電灯がなく真っ暗。真四角なシルエットのほとんどが真っ黒だ。キケン過ぎる。

 ウェイヴたちはなかに入った。妙な空気が心臓と皮膚の間に迷い込んだ気がした。腹の底を何かがいやらしくくすぐっている。かかとが地面を打つ音が、カコーンとどんなリバーブエフェクトよりも素晴らしく響いた。その音は頭の中で再び反響を繰り返した。路面は湿り、汚れきった水たまりばかりだ。壁には良くない苔が生えている。うっすらと生臭いにおいがただよう。遠くから何かの音が聞こえているかもしれない。なにか得体の知れないものが、穴の向こうからぼくを見ている、かもしれない。脈拍はどんどんと高鳴っていく。無意識のうちに。胸に圧迫感がある。呼吸は苦しい。頭はまどろんでいる。

 ウェイヴは死に物狂いで彼の背中を追った。そのトンネルはせいぜい10メートルしかないのに、出るまでいやに時間がかかった。

 トンネルを抜けてしばらく歩いた後、彼はぴたっと立ち止まった。

「おれは道を間違ったのかな」

 そのとき、ケンおじさんが見ていた方角から、陽が上った。コンクリートの雑木林の向こうから現れたそれは真っ赤だったが、なめらかに黄色くなり、やがて白へと近づいた。

 その画はすごかった。渋谷というゾンビを、鋭い聖なる光がけがれから解き放っている。街は光に引っ張られて、天に召されるかのようだ。

「ああ、やばいぜ。変な気持ちになりそうだ」

 虚無感は生まれると、ものすごい勢いで大きくなった。ウェイヴのこころは震えだした。その傍ら、ケンおじさんは立ち尽くしていた。彼はやくざな金縁の眼鏡を外して大粒の涙を流した。顔がくしゃくしゃになっている。

「ウェイヴ、おれは道を間違ったかな?」

 そういうと涙は滝のようになった。

 ウェイヴは言葉を探した。だが、なにもなかった。一晩の狂騒の後の疲労が何もかもをゴミのようにしていた。ケンおじさんは三十分間、涙していた。ウェイヴは立ち尽くすのみだ。若い心は完全にかれの心とシンクロナイズして、つらくなった。

「おじさん、ぼくは分からないけれど、つらいよ。つらいのは一緒だよ」

 やっと言葉がでてきた。



 ウェイヴはこのことをガールフレンドのミユキに相談した。ミユキはショートカットのきりっとした顔つきをした十四歳の少女。かわいく、話していると心がいやされる、素晴らしい少女だ。でも、妙にすれたところがあり、あろうことか、氷柱の冷酷さも併せ持っている。ああ女とはなんて複雑な生き物だ。

 二人はウェイヴの手狭なアパートメントを愛の巣にしていた。彼の両親は家にいることを良しとしなかった。物心ついた頃には両親と過ごした記憶がなかった。

「それは確かにかわいそうね。心がシンクロナイズしてしまうのはよくわかるわ。でも、それはウェイヴのせいじゃないの」

 ミユキは大きくなりつつある乳房を、ウェイヴの胸の上に押しつけて、ぎゅうと抱きついた。ミユキは事の後はいつだってそうした。呼吸に合わせて彼女の胸は大きくなったり、小さくなったりした。彼女は、なにかしら過激なエネルギーをいつも宿らせているウェイブのワイルド気味な横顔をながめながら、細い髪の毛を指に巻いたり、ぴんとひっぱりした。彼女は彼の髪質が好きだった。それは彼が燃えるような情熱を持ちながら、心の奥に少女の繊細さを持っていることを証明しているようだったから。

 彼女の右肩の鎖骨は浮かび上がり、首にも細い筋がぴっぴっと出た。彼女の体温はウェイヴのよりも高い。温さが彼の体に伝ってきた。事を共有した男女だけが見せ合える表情を、二人はしていた。

「そんなことどうでもいいのよ。ウェイヴ。あんたには何かあるのよ。すごいエネルギーて言えばいいのかな。それが大きなチャンスを持っている。わかるの。女はやるといろんなことがわかるの。男のことがね。でも、あんたには危ういところもあるから気をつけなくちゃいけないの。何でもかんでも踏み込みすぎちゃうところとかね。

 でも、方程式は簡単よ。あんたはやく音楽で成功しちゃえばいいのよ。そうすればスッキリするじゃん。あんたの音楽で人がハッピーになれば、あんたもハッピーになる。それで、あなたの次に続く人たちが渡る橋をつくるの。悪いヤツじゃなければ、あなたを尊敬して感謝するわ。それが一番良いことじゃない」

 彼女は少し頭を動かして斜め四十五度から、まだ幼いウェイヴの顔をながめた。くぼみが特徴的なその顔は、彼女の美的感覚にまあまあ合致した。彼女はその角度から見るのが好きだった。もう一、二歳、年齢を重ねたら、もっとよくなる、というのが彼女の揺るがない持論だ。

 ミユキはこっそり、アルバムを拝借して彼の両親の写真をみていた。遺伝子学的な類推に寄れば、彼が母親似で、ハンサムな父の血を絡めて成長すれば、二十歳オーバーのころには彼女好みの顔の一丁上がりと踏んだ。たとえ一度別れても、彼が良くなれば、なんとかして、また復活させてもいいかもしれない。「ベンチャーキャピタル」を成功させるには、やっぱり数は打たないといけないものね。投資したベンチャーには、けしかけて発奮させておかないてはないわ。彼女はそんな風に考えていた。

「売れれば、お金だって、どっと入るのよ。そこからがお楽しみの始まり、始まり。お金があれば自由になれるもの。代々木らへんで『シティテラス』高級マンションがそろそろ分譲されるから、わたしと一緒にそこに住むのよ。親たちから干渉されないで、愛の生活を送るのよ。

 車を三つ買いましょう。わたしとあなたで一台ずつ、大きな買い物する時のワゴンも一台そろえるの。わたしのはアウディ。あなたはかちっとしたメルセデス。ウェスティンのヘブンリーベッドで快適な眠りを確保して、マクガイア・ヘックスのソファでゆったりくつろぐのよ。食材は成城石井でそろえてオーガニックなごはんで長生きしようね。それから……(彼女は十七分しゃべり続けたため、以下省略)」

 彼は表情には出さないまま、フリーフォールしていた。

「この女にはがっかりだ。彼女は髪の毛一本一本から爪の先まで物質主義者だ。コイツは資本主義の操り人形か、それともダースベイダーじゃあないか。シェー! あれを買ってこれを買ってそれも買ってと買い続ける人生を送りたがっている。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の豚のように食って食って食いまくるんだ。最悪だ、最悪だ、最悪だ! アイスナイン(なんでも凍らせられる物質)で凍らされてしまえばいいのに!」

 彼はおくびにも出さず微笑んだ。だが心中は全然違った。

 彼女とおれとでは、マイケル・デイヴィスとジョンコルトレーンくらい考え方が違うんだ、と彼は心中でつぶやいた。「どっちも天才かもしれない。でも、通る道は違うんだ。おれが音楽で成功したいのは、彼女が幸せって思っているものから逃れるためだから。チャールズ・チャップリンが『モダンタイムズ』でやゆした人のあり方に我慢ならないのさ」

 彼は黙り込んだまま天井の模様を眺めた。 

「資本主義の面白さは、資本主義から自由になるためにも、金が必要になるところだろうか。金がなければ、それを得るためにあくせく働かなくちゃいけない。自分を労働力と言う売り物にしなくてはならない。これはなんという矛盾だろうか……。あっちょんぶりけ。もっとうまくデザインされた世界があるんじゃないか。どうしてほかの人たちはこう考えないんだ。考えているのか。でもめんどくせえのか。そうだよな。おれだって何かをするわけじゃないんだ」

 ウェイヴの心にはあの朝日の虚無感がふくらんだ。彼は生来、女性には自分のネガティブな感情を見せることが得意ではなかった。だから、その不満をおくびにもださず、静かな声で話しかける。

「ねえ、ミユキ、生きている意味ってなんなんだろう?」

 彼女はけげんな顔をした。人を罰する感じ。それは彼女がその日初めてのやったネガティヴな表情だった。

「なあに、その質問。超変なの~。幸せになることに決まっているじゃない?」

 声には、ドラえもんのスネ夫がのび太に対して見せるばかにした風味が、こっそり忍び込んでいる。それを感じたウェイヴは女の子ってやっぱ面白いなと思う。分からないことばっかりだ。

「幸せになるってどういうこと?」

「だから今言ったふうになれば、いいのよ。お金をがっぽりもうけて自由になってたのしく、幸せに暮らすのよ。いまは持っている人と持っていない人の差が開いているから、私たちも持っている方に回らなくてはいけないわ。これは良いか悪いかのはなしじゃないからね。大丈夫、ウェイヴはうまくやれるよ」

 ミユキはあたたかいキスをした。



 そうこうするうちに、渋谷二中の会議室で、職員会議が開かれた。難しい顔の仮面で大人のふりをした教師たちが、半年あまり不登校に陥ったウェイヴへの対応を、おごそこかに話し合った。ごにょごにょごにょ。

 会議はしょっぱなから、ゴールが決まっていた。織田信長式である。

 別名「CIA(米中央情報局)」と呼ばれる教務主任のアダチハラが、詳細に渡る資料ととびっきりのジャンパーみたいにかっこいいプレゼンテーションで爆弾を投下した。

 彼は天才だった。ウェイヴの些細な問題点を千倍にふくらましてあげつらった。髪の毛からDNAを採取し、両親の記録、彼の性格的傾向を調べ、ほとんど彼の主観で情報を改ざんしまくっていた。

彼は魔女裁判をやろうとしていた。「ウェイヴは潜在的な犯罪者です。もう九割型犯罪者と言ってもいいと、信頼できる委託業者によるDNA分析の結果は示しています。社会的行動をとることが、まったくいっていいほどできません。他者と同じことをすることを病的なまでに嫌う、とも分析結果は言っています。これまでの彼の行動もそれを裏付けました。ここからは、わたしの分析になりますが、このままでは、彼が地下鉄に毒ガスをまくような、凶悪犯罪をする可能性が極めて高いんです。自分で神様をつくって、その神様が言うことなら、人殺しだってやっちゃうかもしれません。

 そうするとですね、マスコミやネットに『監督者責任がなんとかだ』と声高に叫ばれて、わが渋谷二中がたたかれます! ナイスじゃないですね〜。われわれの給与、出世、名誉に響くでしょう」

 教職員の顔がびくんびくんとひきつった。

「だからこそ、積極策に出ましょう。彼を鋳型に注ぎ込みます。矯正すれば、リスクが回避できます。かれは晴れて、社会的動物になれるんです。これこそ渋谷二中の使命であり、リスクヘッジになります」。

 彼はぱんぱんぱんと威圧的に手を叩いた。ほかの教師は恐怖に顔をひきつらせながら、手を叩いた。同意の印である。それからも、アダチハラは、どこかのCEOのプレゼンみたいに会議室を行ったり来たりして、「ワンモアシング」とか言った。ウェイヴがいかがわしいクラブでDJをしていること、ミユキという渋谷4中の女の子と不純異性交遊をしており、既に男女の関係に達していること、不埒な中年の友人が渋谷で朝日をみて涙を流したことなどをあげつらった。人を悪く言う言葉を、人類は余りにもたくさん持っている。それをアダチハラは期せずして証明した。

「彼をアダチハラ特別コースに編入することを提案します!」。彼は資料で机をたたいた。会議室に詰めた二年生担当教員十六名は、ロボット的にこっくりと頭を下げた。CIAは教員全員の弱みを握っているし、犬を調教する要領でいつもヤツらの鼻頭を押さえつけてあるのだ。病的に陰湿な男だ。

「ようし、アダチハラ、君に任せるぞ」

 横にいた教頭がアダチハラの肩を叩いた。教頭はアダチハラがとんでもない逸材だと勘違いしていた。

 アダチハラはエリートで、将来は教育委員会のトップになると言われていた。そうなったら、とんでもない権威主義的な教育制度をつくることになるだろうと、まことしやかにささやかれた。「アダチハラ特別コース」もまた、1カ月間、軟禁に近い状況において、力任せに調教し、人格ごと取り替えてしまう方法だった。実質的な洗脳である。「競走馬がトラックをさも普通のごとく回るようにするだけさ」と彼は説明してはいた。

 でも、誰も彼を止められないと、学区の教員たちは観念していた。アダチハラは周囲の日和見車と比べると、蛇のように邪悪で、砂漠の狐のように巧緻に優れていたからだ。

「サモン!」

 アダチハラは人が嫌がるトーンの声を威圧的にはりあげた。彼には千の嫌がらせのレパートリーがあり、どうやったら人が嫌がるか熟知しているクソ野郎だった。脅しと懐柔のテクで、ヒラから教頭までを指人形にしており、校長は仲間はずれにして熾烈ないじめをかました。正真正銘のクソ野郎だ。

「なんですかー、アダチハラ教務主任!」

 アダチハラの指人形筆頭、スーパーイエスマンの体育教師サモンが待ってましたとばかりに声を上げた。サモンは「アダチハラの脅しと懐柔の最高傑作」と校内で囁かれた。「ウェイヴを捕まえてこい!」。アダチハラはドラゴンレーダーを見た。「ヤツは家にいるぞ」

「アイアイサー! ボクはウェイブを引っ捕らえます、サー!」

 サモンは胸を張って敬礼した。軍隊の経験はないのにもかかわらず。

それからサモンは「くっそー、ウェイヴの野郎、本当に最悪だ、死ななきゃダメなんだあんなヤツは!」と叫んだ。彼は自分で自分に暗示をかけているのだ。その光景の異常さに他の教師は度肝を抜かれた。

 アダチハラは黒ぶち眼鏡をずりあげ、自分の顔を隠すためににょんと突き出た前髪のさきっぽをちょっと直した。彼の顔はなぜか、引きつっていた。実のところ、彼は病的な臆病者なのだった。あっちょんぶりけ。



 ウェイヴは午過ぎにもかかわらず、ベッドでミユキといちゃいちゃしていた。突然、チャイムがなった。チャイムはなんか迫力があった。普段の3割増の音量に思われた。ウェイヴはベッドを抜け出して、ドアを開けた。「げっ、サモンじゃん。なにしにきやがった?」

「うるせえ、この不良が、てめえにはアダチハラ様による特別コースが待っているからな」。サモンは敬礼した。「アイアイサー、アダチハラ総督!」。マンションの前回に響き渡る大声だった。ミユキはとっさにクローゼットに隠れて無事だ。

 ウェイヴはトランクスいっちょのまま、縄でぐるぐる巻きにされて軽トラックの荷台に載せられた。軽トラが揺れたりはねたりする度にトランクスの位置が微妙にずれた。ウェイヴはさとった。1カ月にわたるシゴキが自分に課せられようとしている。『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)状態じゃん。ボーズオブカナダの沈鬱が耳の奥から浮かんだ。

 だが、ガッコウに着くころにはゲームは変わっていた。

 そのしるしにプライベートジェットが校庭に着陸している。ベランダから生徒たちがエアバスと自分を物珍しそうな目でながめた。鳥かごのなかの鳥はうわさ話をはじめた。

 いまいまいしそうな顔をしたアダチハラが校門で待っていた。「ウェイヴ、特別コースでしごいてやろうと思っていたが、お客さんだ。どうもお偉いさんらしい」と吐き捨てた。彼の黒ぶち眼鏡にひびが入っていた。にょんとした前髪がつっぱりロックンロールにチューンナップされていた。

「ざまあみやがれ、クソ野郎!」

 ウェイヴは言った。



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