16章 書を捨てよ町へ出よう
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ぼくはずいぶんと遠い所にきてしまったな。最初のうちは、ぼくは単なる中学生の不登校のガキに過ぎなかった。だが、酔っぱらいが現れ、プーマを着た鹿が泡の中から現れ、クラスメートのオタクやろうと旅に出た。途中、いろんな常軌を逸した野郎どもがおれをかましに来たが、切り抜けて来た。そして月の裏側につながった魔空空間から地球に帰還した。ぼくはキボウの救世主という役柄になっていた。
ぼくはガッコウにいる間、自分は何か違うって考えていた。言葉にならない孤独感のようなものを抱えていた。他の人と同じように振る舞っても、ぼくの悩みは消えるどころか、深まるばかりだ。自分の言葉と他人の言葉が明確に異なっているのもわかった。言葉が現れてくる場所がたぶん違うんだ。違うってことは全然変なことじゃないけど、そのときのヨノナカはそうはできていなかった。
最初からふっきれていたわけではなかった。ただ音楽をつくっているという事実が、ロボットと人間を取り替えても支障のでない社会のなかで、自分を正当化していた。音楽がぼくの人格みたいなもんだ。それに自分と似たような子どもたちがいることを知ったのも大きい。彼らと話しているとぼくは自分のことを承認できた。自分は間違っていない、と。
でも、そのときにはもっとダイナミックな場所にいた。ぼくはとても興奮してアグレッシブになっていた。ガッコウを卒業してキギョウで働いてマンションを買うなんて将来を想像すると、腹わた全部吐き出してしまうが、いまは勝負するしかない。勝負の掛け金は「生きるか、死ぬか」くらいまで引き上がっていた。「仮に十四歳のいま死んでしまうとしても良いかもしれない」とまで思っていた。いまの自分はそうは思えない。未来というのはものすごくうまい果実だからだ。何が起こるか分からないし、ゴールが見えない。
ぼくはそのゲームに余りに夢中になっていた。水面下で何が起きているかということにあまりに無頓着だった。もしいまの自分があの頃に戻れるのならば、目をこらして、いろんなことをとらえていただろう。もたらされた未来は違ったはずだ。それこそ、将棋で一手変わってしまった後のように。
でも、ぼくは目の前にある南海ホークスな、失礼、難解なモノゴトをやっつけることだけに夢中だった。人間は自分が含まれている状況の虜になってしまいがちだ。われわれは天才ではない限り、この宇宙の外で起きていることを想像できないのだ。
ぼくだって「天才になりたい」と思ったことはある。でも天才はつらいらしい。世の中はフツウの人が構成するルールでできているからだ。このルールを天才にも、愚才にも、フツウにも心地のよい柔軟性の高い器をつくることが、ぼくの生きていることのテーマのひとつだ。これはたぶんキボウの考え方に綺麗にそっている。
高い目標をもたなければ、高い場所に上ることはない。高い目標を持ち続けて、それが夏場の選択しまくったTシャツくらいなじんでくると、自我のようなものを遠くから眺められるときを経験する。悟りというのかもしれない。悟りの明確な定義はあまりない。ぼくはそれはあんまり気にしないことだと思う。実際、教えをこうた多くの導師の言葉はそういうふうに語られた。
ぼくは自分が選んだことを後悔しているようにしている。自分が選んだものには本気で取り組むことにしている。そのときもそうだった。
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フナバシは月から帰還した宇宙船を熱狂的に迎えた。ぼくらはものすごいおもてなしを受けることになった。
フナバシはキボウの大きな拠点になっていた。新しい、良いのか悪いのか分からないものが、カオティックに変化していく街からどんどん出てきていた。渋谷なんかより全然いいじゃんと思ったのを覚えている。
フナバシは明るいニュースであふれていた。エドワード・スノーデンをロシアからフナバシへサルベージする作戦が最終局面をむかえていた。海辺を環境に負荷のない形で埋め立てて国際空港をつくってしまっていた。世界中にフナバシをうまくなぞった街をつくる計画がどんどん出てきていた。フナバシが人々が近くに集まって知恵や工夫を寄せ合うことがとてもうまく機能する街だったからだ。
フナバシにガバナンスをもたらしているのは、例の三賢者だった。三賢者といっても、三つの知性による合議体制を敷いていたのは、とっくの昔のことだった。それはある時から三つであることをやめて、拡散していき、多様で複合な知性体に生まれ変わっていた。いろんなものがまじりあった知能である。名前だけが三賢者のままのなのだ。
三賢者は明確な指針を持っていた。フナバシで守りを固めながら、ぼくが「運命の少女」と会うということ。エディットと複製鹿、それから世界中に広がるアノニマスなネットワークが元気玉方式で力を合わせ、リキッド一味の魔空空間発動をふせぐ仕組みを立ち上げ、どんどんアップデートしていった。ハードウェアでは錦糸町のエンジニアの力をかりた。
これにより、少なくともフナバシでは魔空空間が発動されることはなくなった。もちろんリキッドサイドもあの手この手で侵入を図ろうとしており、傍目に均衡と見えていたが、両者の攻防線は〇・〇一秒毎に動きまくっていた。
ゼツボウはもっと現実的な実力行使をしようと舌舐めずりしていた。その最初の一発がプライベートミリタリーだった。ゼツボウ軍はフナバシ北部の山岳地帯を越えて、なだらかな丘陵に陣をはり、フナバシを見下ろしていた。でもフナバシは要塞としての機能すら持っていて、ゼツボウ軍は斜めになった土の上で釘付けになるよりなかった。
彼らはロボット兵と無人機による小戦闘をはじめたが、それはまったく決定的なものではなかった。それらは兵器産業がもうけるためだけに存在するシミュレーション戦闘なのだ。これにより私兵を雇い、彼らが武器を消費することが正当化される。戦争はとても嫌われていた。人は死に、カネはかかり、統治機構への国民のロイヤリティがとても低下するからだ。
ゼツボウはどうも停滞を経験しているようだった。グローバル・キャピタリズム・リバタリアンが独立を宣言したのに加えて、その一週間で中国共産党がリキッドの支配から独立を宣言した。中華系の海外ディアスポラネットワークが個別に独立を宣言した。インドも独立を宣言した。イスラム教徒たちもスンニ派とシーア派が共同戦線を敷く方向に向かっていた。アフリカは独自の運動のなかにいた。
ぼくらはまた山場を迎えることになりそうだった。それは、アープが父親から譲り受けたネットワークが重大な情報をキャッチしたことから始まった。手下たちはエジプトのピラミッドの後は、イギリスのストーンヘンジの地下で石盤をみつけた。石盤は予言を記していた。
鹿が未来にあるスイッチを押し、女が過去のハンドルを回し、アーキテクトが船をつくったとき、少年と少女は邂逅する。
この予言がどれだけ正しいのか、もしかしたらとんでもない見当違いかもしれない。ラディカルなキボウの誰かが仕込んだ、ニセの予言かもしれない。でも、三賢者はぼくたちに「いちかばちかやるしかない」と告げたんだ。「未来のことは、われわれほどスマートなヤツらでも全然分かんない。でも、リスクをとらないままでいることが、一番大きなリスクになりうることはよく分かっている。だからやってみろ」
石盤にはタイムマシンの設計図が描かれていた。詳細な情報のありかを示すURLも書かれていた。エディット、錦糸町のエンジニア、鹿らのエディット組はタイムマシンを製造した。それは電動自転車をに似ていて、トリガーを引くと光速移動を開始するシロモノだ。
鹿の任務は「スイッチを入れる」ことだ。これはNSAのデータを解析したときに3つめの手がかりとして示されていたのと一緒である。
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鹿は5年後の世界へタイムトリップした。そこは名前のない都市だ。巨大なビルがまったく整えられない形で並べられていた。街には彼以外に誰も見当たらなかった。信号機も電灯も何もかもが死んでいる。もやがかかっていた。風が吹いてビニールを舞わせると、ぽかっと開いた空間の大きさがよくわかった。
鹿は高層ビルの前にたっていた。ビルは灰色の空に突き刺さっているように見えた。ビルは無表情で無慈悲な印象な顔つきをしている。音が少ししか聞こえない。自分の耳がおかしいか。それとも音が少ない所に迷い込んだ。
彼はポケットのなかのブーメランを取り出して、握ってみた。現実感がよみがえる。確かにブーメランはブーメランの形をしているし、表面はひんやりとしていた。
彼は下水溝からビルにもぐりこんだ。無数のセンサーをかわして、完璧に外部に大してロックされた最上階のある部屋に入ることに成功する。彼は聴診器をつかって金庫を開けた。そこには真っ白な紙が置かれていた。「くそ、だまされた!」。彼の後頭部にかたい鉄の塊があたった。鹿は息をのんだ。それは放たれた。鹿は壊れた。でもその鹿は偽物だった。
*
鹿は裏口からビルにもぐりこんだ。無数のセンサーをかわして、完璧に外部に大してロックされた最上階のある部屋に入ることに成功する。彼は聴診器をつかって金庫を開けた。そこにはスイッチが置かれていた。彼はそれを押した。偽物だった。彼の後頭部にかたい鉄の塊があたった。鹿は息をのんだ。それは放たれた。鹿は壊れた。でもその鹿は偽物だった。
*
鹿は表口ビルからもぐりこんだ。無数のセンサーをかわして、完璧に外部に大してロックされた最上階のある部屋に入ることに成功する。彼は聴診器をつかって金庫を開けた。そこにはスイッチが置かれていた。それを押さずに導線をたどった。元の装置がある。導線のうち緑色を切る。それは偽物だった。彼の後頭部にかたい鉄の塊があたった。鹿は息をのんだ。それは放たれた。鹿は壊れた。でもその鹿は偽物だった。
*
鹿は標超高層ビルにもぐりこんだ。無数のセンサーをかわして、完璧に外部に大してロックされた最上階のある部屋に入ることに成功する。彼は聴診器をつかって金庫を開けた。そこにはスイッチが置かれていた。それを押さずに導線をたどった。元の装置がある。導線のうち赤色を切る。それは偽物だった。彼の後頭部にかたい鉄の塊があたった。鹿は息をのんだ。それは放たれた。鹿は息絶えた。
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アープもまたタイムマシンに乗った。1970年代の新宿歌舞伎町だった。手がかりは薄かった。彼女はバッティングセンターの裏側にある、インターナショナルな水商売人のすみかになっていたクレイジーなマンションを借りて、来る日も来る日も手がかりを探った。そこで妙な男に出会った。男はKと名乗った。香港映画で一番最初に殺されるタイプの顔をしている。彼は「すでに数度死んできた」と冗談めかした。彼はハンドルの在処を教えて、行方をくらました。
ポルノ劇場はガチムチ系の要塞だった。彼女はたくさんの手下を連れていた。ポルノ劇場を守るテキの私兵との闘いで、手下はすべて息絶えた。だけど彼女は奇跡的にも、一発も体に受けなかった。警備員室でラーメンをくっていた、ナカジマさんを眠らせて、みかん箱の裏にあったハンドルをぐるぐるまわした。
どーーんと大きな音が、上の方から鳴った。その後、ものすごい揺れが建物をおそった。机に突っ伏していたおっさんは、床に転げ落ちてしまった。そこで、黒服集団に彼女は捕まった。男たちは統制がとれていて、プロフェッショナルだった。
彼女は冷凍車にのせられた。数時間後に車から降りると、からだはがちがちだ。そこは刑務所だった。まわりを見渡すと世界の果てのようなところだ。荒野しか亡くて、そこにぽつんとコンクリートの塊がある。
刑務所の中はワイルドなヤツらの嬌声でいっぱいだった。皆が皆彼女の美しさにわれをうしなっていたのだ。彼女は牢に入れられると、そこに白い塊を発見することになった。それはもぞもぞと動き出して、ぶどうを発酵させた密造酒を、彼女に進めた。刑務所は数時間後得体の知れぬ集団に強襲を受けた。
彼女と密造酒男の姿は消えた。
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オペレーションルームに二人の成功が伝えられ、歓声があがった。石盤がしるした条件はシステムの稼働のみを残していることにあった。だが、これがうまくいかない。完璧なシロモノのはずなのに、うんともすんともいわない。
エディットがデスクの上で仰向けになって、天をも割らんあまりの叫び声をあげた。ぼくはぼうっとしながら、ひらめきをまった。そこで、あの泡を出したキカイをつくるときと同じだな、と思った。だからそう口にした。エディットははっとなって時計をみた。午前四時四三分だった。
「これはもしかして」とエディットは目を見開いた。
そして午前四時四四分、やはりアイツが現れた。宇宙服野郎だ。彼はゆうゆうと本拠地の床をムーンウォークした。そしてゆっくりとフリスビーをなげた。ほれぼれするほど素晴らしいフォームじゃないか。フリスビーが完璧な弧を描いて、こつんとハードウェアを叩くと、システムが動き出した。そのオペレーティングルームにいる皆がどっと歓声をあげた。
ついに例のガード下に向かうときが来た。はらはらと粉雪が舞い始めた。地面に落ちるまでものすごく時間がかかる、素晴らしいできの粉雪だ。ガード下にいくにはなぜかリニアモーターカーに乗らなくてはならなかった。同じフナバシのはずなのに。リニアモーターカーは荒野をぶっぱなしていった。
途中で人造的な大都市を目にした。似たような構造ビルが墓のように連なっている。権力がきまぐれなままにつくりあげた都市だ。ぼくはその街のビルとビルの間にどんな街路があるか、その街がどんなふうに生まれて、成長したかを、思い出すことができた。それは不思議な感覚だった。それからたくさんの戦闘機の群れがその街めがけて飛んでいくのを目にした。ぼくは既視感を覚えることになった。この映像はどこかでみたことがある。
そのころビートもビジョンを見ていた。柔らかい草原があった。風がふいて青々とした草がたなびいていた。その上に小雨が降っていた。雨は草原に歓迎されていると彼は感じた。おれはなんどもなんどもこのオーディオビジュアルを見てきた、どうしてだろう、と考えた。
ガード下は決闘の舞台だった。二つに分けられたものたちが、必然的に組み込まれた闘いを実現する場なのだ。ぼくはそれに異議を唱えていたが、無視されていた。テキはおれと戦いたがっている、それから逃げることはできない。余りフェアではないと思っている。
ぼくとビートは対峙した。
緊張感が空気を凍らせんばかり。ぼくは比喩的なナイフを、ビートは比喩的なカタナをとった。ぼくらは相手に優位を築かれるのを防ぐようなかけひきを続けた。常に微妙なバランスで均衡が保たれている。われわれは無言だった。多くのことを二人だけの回線で話してきた。われわれの出発駅はおなじようなものだけど、どこに到着駅を建設するかでまったく違うのだ。
やがて、この決闘がすぐさま終わらないと気づくと、ビートはまた回線を開いた。彼は言葉で話すよりはもっと抽象的に話したいみたいだった。
「世界を二つに分ける方法は成功しない。A/Bってわけると、AとBは対立せざるを得なくなる。でも実際には世界は複雑だ。この部分でおれとおまえの見解は一致している、そうだろ、ウェイヴ?」
「そうだな」
「おれはAがBも飲み込んですべてを飲み込むのが良いんだと思う。根本には図太い力をもちながら、手先はしっとりとしたやり方で包み込む。これが素晴らしい。だが、おまえはテクノロジーの力でもっとなめらかな社会ができると信じている。そうだろ」
「そうだな、ビート」
「おれたちは完全な二つの異なるものでもない。中間があり、中間の中間があり、中間の中間の中間が存在する。細やかなドット、極小以下まで無限に小さくなるドットの海がある。そのドットのなかでわれわれ友達だったり、疎遠な親戚だったり、あるいは人生で一度だけ会うすれちがい人に過ぎなかったりするんだ」
「そうかもしれない」
「例えば、イデオロギーとかナショナリズムってものへの見解は一緒だろう。あんなもの役立たずの害毒だってことに」
「歴史が、現在が、証明している」
「その代わりのものをつくる時代を生きている。おれは人間を心の底から信頼していないんだ。人間にはコントロール不能な部分があって暴発してきた。おそらくおれは人間に手を入れる方向にシフトしていくと思うよ。つまり、人間の脳内のバイオレンスな部分を抑制するマイクロチップだとか、コミュニティに不利益な行動をとると罰せられると感づかせる回路とかね。それはおまえらの方でも起こりうることだ」
「そうだけど、もっとやわらかいよ。ぼくはもっと人間を取り囲む環境から楽しくしていけると思うのさ。人間も楽しくなっていけると思う。現にまあまあ人間は楽しい。目を背けたくなることはたくさんあるけど、ゼロにするってのはちょっと自然じゃないのさ。最小化していくんだ。『人間はばかだけど、まあまあいい』。このまあまあの部分をもっと深くて多彩な味わいにしていくのがぼくらキボウの一致するところだ」
「おれは人間は常に争い合うものであり、共通善とか共通の利益をつくることに、全員で同意できるような人たちじゃないと思う。ものすごくばらつきがあり、不安定で、ワイルドなんだ。どんな手を講じても、網からするっと抜け出して、システムをぶっ壊そうとするヤツがいる。アンチシステムだな。これをおれは暴力で抑える。おまえは良い方策を持っていないように思える。たぶん、この部分がおまえらの思想の弱みなのさ。反権力的なやつらの机上の空論なんだ」
「ぼくはアンチシステム自体も柔らかく包み込む魔法の袋をつくりたいと思う。共通善も共通の利益も必要がなく、個々があるがままでいられる。それができるかどうかはよくわからないが、それを目指すことで、面白い達成が生まれてくる。悲観的な発想の先には、巨大な停滞がまっている。例えばいまの日本なんてそうじゃないか。
だから、どんな変な事態に直面しようとも『これでいいのだ〜』なんだよ。百点満点なんていらないよ。失敗は素晴らしい、成功の要因なんだ。ふふふ、なんか自己啓発本みたいじゃないか」
「おれは、そうは思わないよ。人間の数が千人くらいに減っちゃえば、おまえのいっていることはできるだろうけどね。ウン十億人いるんだからな。こいつらは暴力でのしめつけがいるんだ」
「ぼくはビートとぼくの発想の両方が必要なんだと思っている。どちらも生かしていけば面白くなってくるはずだ。でも、キミはそれを拒否するんだろう。キミの発想の根本にあるのは無尽蔵な権力の行使を手放しで称賛する傾向だ。常に支配という方法でものごとを進めていきたい。でも、支配ってのもまた二十一世紀アタマまででその欠陥が浮き彫りになった方法なんだ。なぜなら支配する側、権力は常に間違い続けるからだ。『おれはエラいからエラい』というヤバい一線を常にまたいでしまう。権力行使をうまくやれる卓越したヤツは限られている。いろんなところで猿山の権力闘争ごっこがされている。人間の機能を拡張することには賛成の部分もあるけど、繰り返すが『支配』が持つ自己腐食作用をコントロールする方法は分からない。権力は常に権力を希求するからだ。ぼくたちは支配を代替するものをいつかつくってやるからな、ばかやろー」
彼らはチャンバラを始めた。マトリックスとスターウォーズと椿三十郎を足して割ったような、ハイレベルの闘いの末、ここで小さな物体が、ビートの目元を襲った。ビートは取り乱して、カタナを落とした。ぼくがヤツの心臓めがけてナイフを振るおうとしたとき、「覚えてろ、ウェイヴ!」とビートは瞬間移動してきえた。
「ようく、ここまで来たな、ビート」
その物体は往き来するカブトムシだった。なれなれしい声色はなんか異様にむかついた。カブトムシのくせに。
「なんだ、てめえ、カブトムシか?なにしにきやがった?」
「いまはカブトムシの形をしている、でも次はなんの形をしているかな。ふっふっふっふっふ、ふっふっふっふ」
カブトムシは羽をつかって宙に浮きながら、体を揺らして笑っていた。シリアスなぼくの感情を逆なでした。
「この野郎、地獄に突き落としてやるぜ!」
ぼくはナイフを突きつけた。
「どうどうどう、ちょっと、タンマ、おれっち、仲間、仲間!キボウの一員ですよ。あんたを導く人だよ、まったく、もう、若いヤツは早とちりがきついぜ」
ふう、彼は探偵風のため息をついた。
ぼくは素直にしたがってみた。カブトムシのいうとおり、シンセサイザーを階段の向こうに設置した。すると、カブトムシは横笛を取り出して例のメロディーを吹いた。メロディーは地球中に響き渡った。どこからともなくシンクロナイズしたメロディーが追いかけてきて、それはやがて、世界中に広がった。世界が震えているようだ。ぼくもメロディーをおっかけた。それはどんどん世界とぼくが混ざり合って、かき混ぜられている感覚だった。
世界が開かれた。