暗黙の了解(サイレント・ルール)
余談が多くなってしまったが、P-3Cはゴリゴリの戦闘機ではなく、あくまでも防御的な航空機である。作戦遂行上の特徴から見ても、馬鹿みたいなスピードは要らない。その為、航空自衛隊の戦闘機のパイロットみたいに成る必要はない。
あくまで焦点は対潜水艦・対不審船であり、陸上や航空機は、言わば対象とかけ離れたもの"ゴミ"であると考えてもらえば良い。時間を重ねて訓練すれば、操縦技術は間違い無く向上する。今の雅人に必要なのは、経験であった。
航空学生だが上官の推薦もあり、赤レンガ(幹部候補生学校)を無難に卒業して三等海尉(ensign)になり、あっという間に一等海尉まで昇進したエリートには、下士官や、兵士と違い充分な経験は無かった。エリートはエリートなりに努力をしなければ存在価値を見出だせぬ訳である。給料や家族の事で苦悩するなら、とうの昔に自衛隊等辞めている。
金を稼ぐだけなら他を当たった方が身の為である。命と金を天秤にかける方が間違いである。崇高な使命感に燃え、国の為に死ぬ。事が出来る人にしか自衛官は勤まらない。士官である者が、必ずしも士官出身(下士官・兵出身者もいる。)とは限らないが、現状の制度では、将官・佐官クラスの士官は、防衛大学校卒業者が多数を占めているのが、事実である。雅人の様な航空学生出身の司令官もいなくはないが、航空学生は現場のパイロットの士官であるケースが多い。
せっかくチャンスを貰ったのであるから、それを驕らず自分のやるべき事を精一杯やらなくてはならない。雅人は一日も早く実戦任務につける日を、待ち望んでいた。教育隊を卒業したら彼らは直ぐに部隊に配属される。同じ様にエリート隊員も例外ではなかった。
大日本帝国海軍には、指揮官先頭で、殿は海軍兵学校出身の士官が務める。と言う暗黙のルールがあった。帝国海軍の後継機関である海上自衛隊には、その様な伝統は今はない。だが近代海軍の先駆けとなった大日本帝国海軍の伝統の多くは、色濃く海上自衛隊に引き継がれている事は間違いない。
きっと我々一般人が知る事の出来ない暗黙の了解と言う物があるのかもしれない。
そんなある日、雅人は美良海将補に呼び出された。
「失礼します。」
「入れ。」
「桐生雅人一等海尉であります。」
「おう。待ってたぞ。君に話があるのは、他でもない。我が隊は少数精鋭だ。そこで明日から、君にも夜の哨戒任務に付いて貰いたい。詳しくは横尾三佐に聞くように。」
「はっ!(敬礼)」
雅人は心の中でガッツポーズをした。いよいよ待ちに待った実戦である。