非日常
結局、北朝鮮軍は壊滅し、中国軍は火傷をしない内に政治・外交的な決着を図る事で、事態を収集した。まだまだ、日米の軍事プレゼンスが優位である事を証明した様なものである。
北朝鮮軍の脅威が無くなった事で、朝鮮半島では南北統一の気運が高まる。韓国側としては、棚からぼた餅で降ってわいた様な展開になった。この期を逃すと、もう永遠に南北統一は不可能になる。韓国政府が中心となり、いよいよ朝鮮半島は一つになろうとしていた。
日本はこの戦いを通して、米国との同盟の重要性を再認識した。米国もまた、日本の力を再評価した。実戦経験が日米同盟を進化させてくれたのだ。だが、これでアジア太平洋地域の諸問題が全て解決した訳では無いと言えるかもしれないが、日米同盟は平和の礎である事に変わりはない。
勿論、この朝鮮事変において米軍兵士が650人、日本の自衛隊も350人、合わせて1000人もの犠牲者が出てしまった。この犠牲者の数を大きく見るか小さく見るかは、見方によるであろうが、数字だけで判断してはならない。国家の為に殉職した兵士の御霊は思いも軽いもないのである。大規模戦闘が無く、中国軍や北朝鮮軍が核兵器やテロ行為を戦争の選択肢に入れなかった事で、市民や兵士の犠牲者を最小限に抑える事に成功した。
とは言え、中国は核兵器を放棄する事はないだろう。また、日米に対する軍事的徴発も止めないであろう。それでも日米は協力してその野望を打ち砕く。と、考えるのが自然である。日本の自衛隊は立て続けに実戦に出動した事により、見えるものがあった。
"非日常"を体験した事により、今何が足りなくて、何が必要なのかを理解する事が出来た。組織としてまた、法律や憲法との兼ね合いは、机上のシュミレーションだけでは、分かるものではない。少なくとも、今自分達がどの程度戦えるのか、それは充分に分かっていた。現場レベルでは細かなデータも入っている事だろう。大切な事は、こうした事態に対してどこまで踏み込めるかと言う事を明確にする事であった。




