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かげろうのシーマン  作者: 佐久間五十六


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ノンキャリとキャリア

 八戸基地で世話になった人物を紹介しておきたい。第506飛行隊の飛行隊長である木暮春雄(こぐれはるお)三等海佐だ。木暮三佐も防衛大学校を出ていない言わば"ノンキャリ"の叩き上げであった。無論、木暮三佐も雅人と同じ航空学生の出身ではある。

 本来なら、航空自衛隊の戦闘機のパイロットに成りたいと言うのが、ベタである。ハナから海上自衛隊の航空学生に成りたいと言う変わり者は非常に少ない。今でこそオライオンやUS-1、US-2と言う有名な機体が出回り世間の認知も上がって来てはいるが、花も何もない海上自衛隊の航空部隊に入りたいと思う人間は、木暮三佐の時代にはいなかった。

 航空学生の採用人数は限られている。その為、航空自衛隊ではなくとも航空部隊にいられるのならと、海上自衛隊の航空部隊でも構わない。と言う者の集まりが第二志望として海上自衛隊の幹部自衛官になる様な時代になった。

 ヘリパイ(ヘリコプターパイロット)も同じである。ヘリパイを長くやって来た人の経験は非常に大事である。雅人の様な機長になりたての三佐とは、木暮三佐は違う。酸いも甘いも知り尽くしたベテラン幹部であった。

 八戸の飛行隊は第501~520まであるが、大きく分けて4つの班に分かれている。第506飛行隊と第511飛行隊は同じ班に属しており、木暮三佐と非番の日が重なる事が多かった。そうした状況も重なり、雅人と木暮三佐は交流する事になった。雅人と木暮三佐では、年齢が20歳も違う。退職まで10年をきっていた木暮三佐にとって雅人の様な若い出世頭が出てきた事は、多いに歓迎すべき事であった。

 話を聞くところによると、オライオンだけでなくCH-60J等他機種の機長を任されて来たと言うだけあって、操縦技術は海上自衛隊航空部隊の中でも指折りの人間だと言う。ただ、木暮三佐は防衛大学校を出ていない"ノンキャリ"の三佐である。出世レースでは、どうあがいても防衛大学校卒業者、所謂A幹のエリートには勝てなかった。

 大日本帝国海軍が海軍兵学校や海軍大学校卒業者を優先して幹部に抜擢したように、表向きは個人の努力次第でどうにでもなる。と言う様な事を唄ってはいるが、二等海士からキャリアを始める"ノンキャリ"と、三等海尉からキャリアを始める防衛大学校卒業者や一般幹部候補生と言う"キャリア組"では、最終到達点は全く違うようだ。無論、このやり方は諸外国と同レベルの幹部自衛官育成方法であり、このやり方で良いと思う。いずれにしても、雅人はキャリアを超えたスコアを残した為、素早い昇進に繋がっているに過ぎない。

 それは、八戸に来て初めての非番の日の事であった。誰も親しい人がいなかった雅人にとって、休みの日程、時間を持て余す日はない。そんな時に誘ってくれたのが、木暮三佐であった。

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