5: What’s the catch?
(私、なにか間違えたのかしら…)
部屋に足を踏み入れてから、ぎこちなくも一応は貴族式の挨拶をしたつもりだが、正解がわからない。
頼みの綱だったメリルも部屋から去ってしまっている。
深い艶めきを放つオークの机に座したカイルから目の前のソファを指し示されて座ったものの、さっきから一言もないまま探るように眺められてはどうにも落ち着かない。
一度だけ見返したらまともに目が合ってしまい、驚いて俯いたまま、顔を上げられなくなってしまった。
(どうしたらいいの…)
一連の時間はそれほどではないのかもしれないが、シンシアにとっては果てしなく長く感じられ、手に汗が滲む。
たまりかねて口を開こうとしたそのとき。
「シンシア=オルコット。ソニア村で織物屋を営むオルコット夫妻の一人娘」
ようやく視線を外したカイルが手元にあった紙面を読み上げた。
「それだけだ。私のもとにある情報は」
何が言いたいのだろうか。
卑屈かもしれないが、言葉に含みを感じてしまう。
確かに自分には何もない。
経歴と言えるようなものは何一つない、ただの村民だ。
何も返す言葉がない。
カイルは単に事実を言っただけだなのだが、大いにコンプレックスを刺激された。常日頃から心の奥にしまいこんでいた暗部が晒された気分だ。両親の後を継ぐと腹に決めたわけでもなく、宙ぶらりんのままこれまでやってきたツケをこんなところで払わされるとは。
「それで?」
「……?」
「何が狙いだ」
狙い、とはどういう意味だろう。
虚をつかれ、返答に窮する。
「何が狙いでここに入ったのかときいている。当家で雇う人間は押し並べて爵位をもつか、何らかの知見を有して地位を得た者が大半を占めるが、そなたはそのいずれでもないようだからな」
やはり自分は無能だということだ。わかっていたことだが、こうまで言い切られるといっそ清々しい。
閉口するシンシアを気にするでもなく、カイルは続けた。
「私が知りたいのは素性と野心だ。身分をとやかくいうつもりはない。だが言葉を選ばずに言えばーーこの公爵家に来る人間にしては余りにも簡単すぎて不自然に写るということだ」
やはり含みはあった。だが、想定を超えている。
白すぎる略歴が、かえって怪しまれているのだ。
それについては、同感だった。
なんの身分も能力も持たない自分が公爵家に雇われるなんて白昼夢でもみているかのようだ。奉公が決まったときいたとき、母に何度も聞き返したのだから。
カイルには「そちらこそなぜ私を採用したのか」と問い正したいぐらいである……言えるわけもないが。
とにかく、素性を明らかにしなければならない。
こうなったら身の潔白を証明するのに、この奉公は自ら探し当てたわけではないというところから説明をし始めでもしない限り理解してもらえないかもしれない。
いや、もしかすると当主であるカイルはこの雇用に不承知で、ここで最終面接とでも称して落とすつもりなのだろうか。
さきほど素性のほかにも野心を知りたいとか言っていた。それならば自主性がないと捉えられかねない発言は控えた方が懸命だ。たとえ事実が「自分の預かり知らぬところで雇用話が決まった」とはいえ、馬鹿正直にそれを伝えるわけにもいくまい。最終的な判断は自分に委ねられていたわけだし、「自ら望んでここに来た」のであって、断ることだってできたのだから。
考えあぐねるシンシアをよそに、カイルは淀みなく続けた。
「メリルの知己というだけで私が納得すると思ったか?どのようにして懐柔したかわからぬが、そなたが何らかの意図を持って当家に入ったのではないかと疑うのが筋だ」
やはりそうだった。まだ不承知なのだ。
しかしそうであるならば、先程メリルにあてがってもらった個室部屋はなんだったのだ。そもそも、馬車まで出して迎えにきて頂いたようにも思うが。
シンシアの頭は軽く混乱をきたした。
思った以上に疑われているのは間違いない。だがこれ以上、何をどう証明すればいいというのか。
(私が密偵か何かだとでも仰るのかしら)
笑えない。このままここで、クビどころか本物の首まで切られかねない。
目の前にいるのはこの国の公爵で、同時に王家を守護する近衛大将でもあることを今更ながらに意識し、ゾッとする。
「わりと顔に出る質だな。それが芝居なら大したものだ。油断させて私を殺すか?」
ーーこ、殺す?
何を言い出すのだろう、この人は。
いきなり飛び出した物騒な言葉に呆気にとられるシンシアを尻目に、カイルは椅子に背を預けて言った。
「よほど安寧に過ごしてきたようだな…まあ領主としては領民の平安を喜ぶべきなんだろうが。だが公爵であり、かつ日常的に陛下を守護する立場の私には命を狙われる理由がごまんとあるのだ。つまりそなたを疑うのは突き詰めるとそういうことだ」
そう告げた時のカイルに一瞬陰りが差したように見えて思わず目を疑うが、次の瞬間にそれは綺麗に消え去っていた。