嘘つき
教室で茜が騒動を起こした日から、茜の行動はどんどんとエスカレートしていった。
それまでは、放課後の部活に誘いにくるだけだったのに、休み時間ごとに僕を連れ出しにくるようになった。お昼の時間も放課後も、学校では常に茜と一緒にいるようになり、教室で怒り狂った茜を見ているクラスメイトたちからも遠巻きにされ、他の友達と話すこともほとんどなくなってしまった。
今では茜の捻挫も完治している。それでも僕が部活を見学に行くのは、茜に脅されているからだ。
「怪我が治ったからって関係ないよね? 私、一人になったらなんだってできちゃうよ?」
真顔で言う茜は、きっと本当に何か良くないことをしてしまいそうで、僕は茜から離れるのが怖かった。
こんな風に脅されて、自由を奪われたら、普通なら嫌いになるのかもしれない。けど、僕にとって茜は中学からずっと一緒に過ごしてきた仲で、怪我をする前なら一番長い間を一緒に過ごした大切な存在だった。僕が我慢すれば、茜が傷つかなくてすむ。なら、僕は我慢していればいい。それが僕の出した結論だった。
――――――――
「……」
最近、学校では茜の地雷を踏まないようにと、ハラハラして気が休まることがない。家にいる時だけが唯一の解放された時間だった。
夕食を食べるきにもなれず、親にいらない事だけを伝えて自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。心労はピークにたっしようとしていた。
疲れに身を任せ、そのまま眠ろうとしていると、顔の近くでブーッ!ブーッ!とスマホが振動し跳ね起きた。
きっと茜だ。
これまでは家にいる時はまだ、干渉されていなかったけど、最近は電話や、SNSでメッセージが送られてくることが増えてきた。このままだと家にいても四六時中干渉されそうだなと、自嘲気味にスマホを取る。
画面には、月島翠と表示されていた。
茜が教室で問題を起こした日から、月島さんとは話しをしていない。僕を助けようとしてくれた月島さんの手を、僕は自分から払いのけてしまった。あれ以来、なんとなく月島さんを見ることができなくて、少し避けるように生活をしていた。
メッセージを開く、
『近所のコンビニで待ってます』
書かれていたのはそれだけだった。
今までなら、月島さんから、待ってるなんて言われたら、すぐに走って行っていたと思うけど、今はなかなかベッドから起き上がることができない。あの時、月島さんの言葉を聞かなかった僕は、いったい何を言われるんだろうか、そう考えると身体も自然と重くなる。
それでも、このままというわけにはいかない、せめて謝りにいく必要があると思った。
『すぐ行くから』
それだけを短く返し、僕はベッドから身体を起こした。
コンビニは僕の家のすぐ近くで、月島さんの家からもすぐ近くだった。
玄関から出ると、すぐにコンビニの前に立っている月島さんが見えた。あちらも僕が出てきたことが分かったみたいだった。僕は左右を見てから、一気に道路をかけた。
「来てくれてありがとう。心配してたよ」
開口一番、月島さんにそう言われて、僕は心のしこりが一つとれたような気がした。月島さんから嫌われたわけではないようだった。
「月島さん。あの時は――」
「待って、先に私の要件を言わせて」
謝ろうとした瞬間に言葉を止められる。まるで、僕は謝る必要はないと、月島さんが言ってくれているようで、僕は大人しく、月島さんの話しを促した。
「三上君、あの時はごめんなさい! 私、三上君を助けてあげられなかった」
「つ、月島さん⁉」
予想外に月島さんから謝られたと思ったら、次の瞬間には月島さんに抱き着かれていた。
自分の脳では処理しきれない事態に軽くフリーズしかけそうになるのをなんとかこらえる。身体に押し当てられる柔らかい感触と、髪から香る甘い匂いに理性がどうにかなりそうだった。
「月島さんが謝ることないよ! あれは、僕が月島さんの忠告を無視して決めたことだから」
「高梨さんが心配だったから、自分よりも高梨さんを優先したんだよね?」
「……うん。ごめんね」
月島さんはなんとなく分かってくれていたみたいだった。目の前で怪我をすると脅されていたのを見ていてくれたからかもしれない。月島さんが分かってくれていたことは素直に嬉しかった。
「いいの三上君。ただね、私は怒ってる」
「え?」
抱き着かれたまま耳元で聞こえる月島さんの声は怒りで震えていた。
「優しい三上君の気持ちを踏みにじっている高梨さんにね」
身体を離してしっかりと目を見つめて話しをしてくる月島さん。僕はその真剣な眼差しから目が離せなかった。
「えっと、それは……どういうこと?」
「いい? 三上君。これから話すことは私が偶然、高梨さんと金木君の話しを聞いて分かったことなの。どうか、気をしっかりともって聞いてね」
「う、うん。わかったよ」
茜と、どうして順が出てくるのか、僕の混乱は深まった。それでもこれまでに感じたことのない、真剣な空気におされて、なんとか頷いた。そんな僕の様子をみて、月島さんは一泊おいてからゆっくりと話し始めた。
「私がいつも早めに登校してるのは知ってるでしょ。今日はいつもより少しだけ早く登校したんだけど、その時朝練に向かう二人の会話を偶然聞いちゃったの……三上君はあの二人が付き合ってるって噂を聞いたことある?」
「……うん。確か部活の後輩がそんなこと言ってたけど、あくまで噂だって」
「どうやら本当に付き合ってるみたい」
「⁉」
それは、信じがたい話しだった。
確かにそうなのかもしれないと思ったこともあるけれど、茜の順に対する態度、最近の茜の僕に対する執着具合で、今ではもう事実ではないと思っていた。
「月島さん、それは、その、本当なの?」
「信じられないのも無理ないわ。私も自分の目で二人がキスしてるところを見て驚いたもの」
「き、キスしてたの⁉」
「えぇ、それにね。それだけじゃないの高梨さんは、どうやら演技してるみたい」
茜と順がキスをしていたなんて、衝撃的な話で僕の頭はもう処理がおいついていなかった。そこにたたみかけられるようにされた話しは、もっと僕を驚かせた。
「高梨さん、自分で怪我をするなんて三上君に言ってたけど、それは嘘だって……あんなはったりを信じるなんてって、その、三上君のことバカにしてた。このまま三上君のことを言いなりにして使いぱしりにするんだってふたりで笑って話してた。それで、私、このことは三上君に伝えなきゃって――」
「ま、待って! 待って待って! そんな、そんなわけないよ! 茜がそんな、僕のこと、だって、茜とは順なんかよりよっぽど仲がよかったんだよ! 中学の時から一緒にいたし、そんなこと!」
僕は軽く錯乱した。
だって、そんなこと考えたこともなかった。茜が僕のことをそんな風にしようとしてたなんて、言われてすぐ、信じる方が無理な話だ。信じられない、信じたくない。僕は早口に喋り続けて、混乱も深まって、それを鎮めてくれたのは、目の前にいる月島さんだった。
月島さんが優しく僕を抱きしめる。先ほどとはちがい、あやすように背中をなでてくれる。香ってくる月島さんの匂いもなんだか安心する香りで、僕は惨めな姿をさらした後だけど、なんとか落ち着きを取り戻すことができた。
「大丈夫、大丈夫だよ三上君。信じられないよね。友達にそんな風に思われてるなんて、信じたくないよね。でもね、私は三上君を助けたい。三上君をそんな風に裏切ったあの人たちが許せない。だから、私を信じて、お願い」
月島さんの真摯な言葉は、波打つ僕の心に自然と入ってきた。大切だと思っていた友達に、ただ利用されていただけだなんて、そんなことは絶対に信じたくはない。けれど、月島さんが僕を心配している気持ちは素直に信じられると思った。
「取り乱してごめん、月島さん。心配してくれて、ありがとう」
「いいの、嫌な話しをしたのに、私のことを嫌いにならないでくれてありがとう」
「その、信じたくない話だったけど、月島さんが心配してくれてるのは本当だってわかったから」
僕の言葉に月島さんは優しい笑顔でこたえてくれた。
不安でいっぱいだった僕の心も、月島さんの笑顔で温かさを取り戻すことができた。
「けど、茜がそんな風に考えてたなんて……」
「信じたくない気持ちも分かるし、信じられないのも無理はないと思う。だからね――」
「――明日の朝、私と一緒に来てくれない?」と、月島さんは僕の耳元で囁いた。
――――――――
翌日、僕はかなり早い時間に家をでた。まるで、まだ朝練をしていた頃のようだとすこし現実逃避気味に考える。
玄関をあけると、家の前で月島さんが待ってくれていた。
「おはよう」
「うん、おはよう」
女の子が家まで迎えに来てくれた。なんて、普段ならはしゃぎまわるところだけど、今日は短い挨拶を交わして、すぐに歩き出す。
今日、僕は月島さんと真実を確かめに行く。
月島さんがおしえてくれた茜と順の秘密。いまだに信じられないけど、月島さんの気持ちは信じたかった。そんな板挟みの僕に、月島さんが提案したのは、実際に確認してみるという、シンプルな方法だった。
僕が学校で茜と離れている唯一の時間は朝だけだ。放課後の部活には必ず連行されるけれど、今はまだ朝練にまで連れ出されるような事はなかった。そのタイミングだけが、茜が順と二人になることが可能で、考えようによっては、僕はわざと朝練には呼ばれなかったとも考えられた。僕がいるとできない話しがあるとすれば、朝だけは呼ばれないことも納得できる。
いや、止めよう。まだそうと決まったわけじゃない。これからそれを確認に行くのだから――
隠れて確かめに行くのも本当は乗り気じゃない。だって、実際に月島さんの言うことが本当だったら、そう考えると怖くてたまらない。でも、月島さんは本気で僕のことを助けたいと言ってくれた。
なら僕は、月島さんの誠意には応えるべきだと思った。
早朝の人通りが少ない通学路を無言で歩く、学校が近づいてくるにつれ、僕の緊張も高まっていく、身体が熱い。早鐘のようにうつ心臓の音が五月蠅い。指先が震えてくる。震えを隠すように、僕は力いっぱい拳を握りしめた。
その拳を温かい物が包み込む。月島さんの手だった。震えは少し収まった。
月島さんが茜と順を見たのは、テニスコートではなく、部室棟の近くだった。あの二人は朝練が始まっているにも関わらず、そこで話しをしていたそうで、もし、二人の本音を聞けるとしたらそこしかないだろう。
僕と月島さんは慎重に部室棟まで近づいた。
人影はない。
今日はいないのかと、僕が変な安心感を抱いた時、僕は月島さんに引き寄せられた。
そして見た――
――部室棟の裏、人目につかない場所にいる茜と順。二人は……抱き合ってキスをしていた。
僕は月島さんに引き寄せられて、そのまま影に隠れた。二人の姿を見たのは一瞬だったけど、それでも二人が何をしているのかははっきりと分かった。
本当だった。
本当にキスをしていた。
二人は付き合っていたんだ。
茜は演技をしていたんだ。
順と二人で僕を馬鹿にしていたんだ。
僕は走ってその場を離れた。何も考えずに学校も飛び出した。いや、何も考えられなかった。
駅で電車に乗った。学校には戻る気になれなかったから、家の最寄駅で降りてそのまま帰る。家の前まで来て、家族に説明するきにもなれず、家に入るのはやめた。
そのまま少し歩いて、目に付いた公園に入り、適当にベンチに座る。
「……」
月島さんのことは信じていた。あんなに心配してくれるのが嬉しかったから、月島さんが嘘を言うわけがないと思った。けれど、茜のことも同じくらい信じていた。
だから、本当に茜が順とキスをしているところを見て、僕は訳が分からなくなった。
「…っ…ぅぅ……」
泣けてきた。
大切な友達だと思っていた。今考えれば好きだったのかもしれない。茜は僕の中でそれくらい大事な存在だった。
その茜に、僕は、嘘をつかれていた。
茜は僕を馬鹿にして、利用して、影で順と付き合っていた。
なんだよ、それ……ほんと、馬鹿にしてるよ。
俯いて泣いていると、僕の隣に誰かが座った。なんだよ、こっちは泣いてるのに、空気読めよ、なんて悪態をつきそうになったけど、視界の端に見えたのは、うちの学校の制服で――
「え? 月島さん⁉ どうして」
「心配でついてきました。三上君足早すぎ、私、文化部なんだから、ちょっとは気を使ってよ」
「え、あ、ごめんね……って! そうじゃなくて! えっと――」
「私は、三上君の傍にいるから」
「っ⁉」
反則だ。今、そんなこと言われたら、また違う意味で泣けてくる。
「私が言ったこと、本当だったでしょ」
「……うん」
「……ショック、だったよね?」
「……うん」
「私が、あの二人のことを教えちゃったから、三上君は悲しんでるんだよね」
「……それは、違うよ。月島さんには感謝してる」
涙目で恥ずかしかったけど、しっかりと月島さんを見て伝える。
月島さんが教えてくれなかったら、僕はずっとあの二人に利用されていた。
僕を助けてくれたのは、月島さんだ。
「ありがとう、月島さん」
なんとか笑顔を作ってみる。月島さんに悲しんでほしくなかったから、月島さんは、僕の不器用な笑顔を見て、そっと僕を抱きしめてくれた。
「これからは、私がずっと、三上君の傍にいるから、だから無理しないで」
「…っ、それって、まるで、告白みたいだよ」
「そうだよ。だからね、三上君はこれからはずっと私のだから、私が傍で守ってあげる」
「ぅ、…ヒッ、ぁ、あり…がと……」
僕はそれから、月島さんの胸で惜しげもなく泣いた。
恥ずかしいとは思わなかった。
弱みを見せても、月島さんなら安心だと思ったから。




