七、襲撃
碧玉が武挙一席でしたが、恐らく他の年に参加しても同じ一席になったことでしょう。
暗闇の中、無言で碧玉は右足を蹴り上げた。それは正確に襲撃者の咽喉元を直撃している。
「ぐっ…!!」
押し殺し切れない悲鳴が漏れた。その手から細身の短剣がこぼれ、勢いを失って碧玉の手の中に落ちていった。
左手に確保した短剣を持ち、ごほごほと咳き込む背中を左足で抑えつける。襲撃者を涼しげな瞳で観察しつつ灯をつけると、這い蹲るようにそこに居たのは、令狐家の家宰顔士犀と名乗った男だった。
「士誠殿、深夜の訪問はうら若き美女に限らせて頂いている。髯面の中年男はご遠慮願いたい」
士誠と呼ばれた男は、憤怒の目で碧玉を睨んでいる。
「あくまでも試合は試合。その借りを返すのもまたその場でなくてはなりますまい。貴殿ともあろう者が深夜に闇討ちなどとは如何なものか?」
「昼間では闇討ちとは呼べぬ故」
「なるほど」
一旦納得しかけて、問題が違うことに気付いた時、二度目の攻撃が碧玉の右膝を襲った。咄嗟に左足を深く沈め、寝台に向かって蜻蛉を切る。その柔らかさに碧玉が体勢を崩しそうになったところへ三度目の攻撃が襲い掛かった。碧玉の利き目に向かって投げられたそれは、大人の小指に満たぬ程の長さで、橄欖の葉の形を模った鉄橄欖―――暗器である。
ばちん。
当たったと士誠は思ったが、それは彼の幻想に過ぎなかったようだ。横合いから鉄扇を飛ばして鉄橄欖を叩き落した者が居る。同時に士誠は首の後ろに衝撃を感じて意識が遠のくのを感じていた。
「……」
気を失って倒れていく刺客が、女性の名前らしきものを呟いたように翠玉には思えたが、口に出して言ったのは別のことだった。
「武挙の第二席ですね?」
「ああ」
それは気の毒な、という言葉は飲み込んだ。
真夜中の襲撃のあと。碧玉は士誠と対峙していた。翠玉を隣室に引き上げさせたのは、士誠の心中を配慮したからである。
「武挙で勝利すれば婿に迎える、と?」
士誠は観念したと見え、意識を取り戻してからは大人しくなった。手足を縛られているせいもあろう。
「私はずっとご令嬢に…。年甲斐もないと思われましょうが、懸想しておりました」
令狐仲は士誠を好ましく思っていなかったようである。ある程度の年齢差は仕方ないにしても、無位無官の者に可愛い娘はやれぬということかも知れない。そこで士誠に武挙で勝利すれば娘を与えると持ち掛けたのであった。程々にしか武芸を嗜んでいなかった士誠だが、必死に励み、準決勝まで辿り着けたのは天佑によるものとしか言いようがない。しかし当然ながら決勝で碧玉に敗れると、令狐仲は彼を嘲笑い、勝利とは第一席のことだと言って放逐した。そして優勝者の碧玉が前日とある娘を救ったという情報を得て、その娘をさも自分の娘であるかのように装ったのである。
「家宰の顔士犀は私の竹馬の友で…、令狐殿の命令を受けると、私と替わってくれたのです。碧玉殿が諦めてくれれば良し、さもなくば…と思っておりました。が」
「俺を目の前にして悔しさが爆発した、と言いたいところでありましょうが。武人にあるまじき行為と結構な武器ですな」
唇を噛んで項垂れた様子は、まるで子供のようだった。
「いつ、お気づきになられましたか。私にはまるで無防備にしか見えなかった」
罠は仕掛けるものである。隙を作っておけば掛り易いものだが、そこまで説明することもない。
「顔士犀殿と名乗られて、この部屋に嘆願に来られた、あの時。武挙の時には正直注意して見ていなかったが、その体の動きと体格とをどこかで見たような気がした。はっきりと気づいたのはこの部屋を去る時だったか。士誠殿は指を堅く握り締めておられたが、その指が震えていた。その指の色と形、それから動きを、どこかで見たと確信したのです。俺は人を顔の造作ではなく、体格や動きで憶える方でしてね。後は記憶を掘り起こすだけでした……が」
一呼吸置いて、言葉を続ける。
「しかし。令狐殿のご令嬢へのなさりようは、如何なものか? 幾らなんでも妾でもとは」
士誠は苦しげに息をついた。
「令狐殿には令狐殿の、それなりの思惑があるのでしょう」
その言葉に影を感じとった碧玉は、首をひねる。
「……もしや、士誠殿。お二人は既に何かお約束でも交わしておいでなのでは?」
それなら、士誠と別れさせたい父親が碧玉と結びつけようとするのも不思議ではない。何より碧玉は士誠に勝った男である。士誠に諦めるように仕向けるには最適の相手と言えた。武挙の勝者をと士誠に告げた手前もある。士誠は顔を赤らめて否定しようとしたが、巧くいかないようだ。
「は、いや……」
「正直にお答え頂きたい。そうなれば、こちらもやりようがあるというもの」
碧玉の言葉に、希望が射したような瞳でじっと見つめ返す。
「我が一族直系男子は一族の別姓からその正妻を迎え、生涯その女を愛する。我が一族には二番目以降の妻も側妾も存在せぬ。初代よりずっと」
一夫多妻が普通のご時世において、これは驚異的なことと言えた。
「……!!」
驚愕のあまり一瞬言葉を失いかけた士誠だったが、ごくりと唾を飲み込み、慌てて継ぐ。
「しかし、ご長老が……」
「我らの目を節穴とお思いなのかも知れぬが。あれはこの件は己で処理せよとの意味。どうお断りするか、言葉を選べと。よもや目の前にその家の家宰という人がいてはあからさまにも言えぬ故。俺が一族以外の娘を娶らぬことは、この邑の者なら誰でも知っている」
「……」
「お疑いも判らぬでもないが、我ら一族は団結が強く、深い。余所からの介入を嫌うのだ。令狐殿のお申し出は、我らにとっては単なる押し付け以外の何者でもない」
澄んだ黒い瞳に、たじろぐように目を伏せた士誠は、意を決したように顔を上げる。
「知らぬこととはいえ。そしてまた卑怯極まりない闇討ちに寛大なご処置を賜り。まことに申し訳なく存ずる」
絞り出すように、それでもしっかりと言い、士誠は深く頭を下げた。
「では、士誠殿。貴殿の方について、話をとりまとめよう」
「は……?」
先程までの真剣な瞳とは打ってかわって、悪戯好きの子供のような、無邪気な笑顔を向けられて、士誠は戸惑った。
「俺は一族以外の娘を妻に迎えられぬ故、信頼の置ける友人を令嬢の婿として令狐殿に推薦する」
「はあ」
「それは、先日の武挙で第二席になった男だ」
「えっ……」
小さな目を見開いて、士誠は絶句した。
碧玉が顔覚えが悪いのは作者のせいです。
そう、私が顔覚えが悪いのです。←
そして碧玉は面倒な嫁を丁度いいからと持ってきた相手になすりつけました。
基本ですね。押し付けられたので熨斗を付けてそっとお返ししたのです。
武挙二席が二席になれたのは、この年だったからです。碧玉が参加するという前情報が出回ったために、敬遠した人が極めて多い年でしたので、一席を狙えない者からすればある意味穴場と言えるかも知れません。碧玉は他の誰が参加するとかどうでもいいことだったのです。