四、厄介な縁談
長兄は困惑しております。
「別に…お前に礼を言われる筋合いはない。俺が救いたくなっただけだ」
微笑む瞳に明るい光を宿しつつ、白玉は軽く吐息を漏らした。
「……一族の外から別口の縁談の話が来ては、翠玉達三人には話せないわね…。長老に筒抜けになってしまって、騒ぎになるのが目に見えているもの。人を救ったのはいいけど、それで面倒を背負い込んでしまう羽目になるなんて……」
碧玉は憮然とした顔に固定されてしまったようだ。
「俺が望んでそうなった訳じゃない」
「そうね……」
「俺とて判ってはいる。立場も、義務も。だが、せめてもう少しだけでいい、時間が欲しい。俺とお前と、一族を見直す時間が」
そういって何時になく真面目な顔で白玉を見つめようとした時。
「大哥!! 大姐!!」
明るい声が居間に響いて、途端に賑やかになった。二人が振り向くと、黄玉、青玉、翠玉の三人が歩いてくるのが見える。その後ろに紅玉の姿が続く。家塾から戻ったのである。早速白玉の膝に飛び乗ったのは勿論黄玉である。海姓の最年少は些かならず甘えん坊だが、末っ子にはいつもそれが許される。
「おつかれさま。昼食にしましょう。紅玉、お茶を淹れるのを手伝ってくれる? 翠玉と青玉はお膳と調味料を運んでね。黄玉、大哥のお膝へいらっしゃい。大姐はこれからお昼の支度をしなくてはね」
「えーっ」
「お腹、空いたでしょ?」
微笑んで片目を閉じてみせると、黄玉もしぶしぶ肯いた。
昼食が済むと、午後は楽と御・射に刀剣、体術である。黄玉は他姓の幼児とともに小一時間程昼寝をする。海一族の者は必ず楽器と武器をそれぞれ一つ以上こなすことが決められており、巫女はそれ以外に舞も修めねばならない。碧玉も午後はそれに混ざって体を動かすことにした。白玉は紅玉に巫女舞を教える。碧玉は刀を取ろうと手を伸ばしかけた。
「碧玉大哥、長老が書斎にと」
明るく切れのいい声を掛けてきたのは白玉の親友、虞紫玉であった。焦茶色をした長い真っ直ぐな髪を後頭部の頂に近いあたりで一つに束ね、腰まで垂らしている。碧みがかった瞳は光の加減で時々紫色にも見えるが、切れ長で心もち鋭くきりりとした面差しは、白玉の柔らかいそれとは好対照と言えた。口数が少なく、曖昧にしない物言いは若干厳しさを感じさせるが、情に厚い女性であるということを碧玉は知っていた。眩しげに紫玉を見遣った碧玉は静かに席を立った。
「判った。……書斎?」
「はい、天祥おじいさまの書斎に」
「……?」
立上がると、紫玉の頭は碧玉の鼻のあたりに届く。白玉が立つと碧玉の顎のあたりになるから、少し背が高いようだった。囁くように付け加える。
「叔牙おじさまの家宰と、それから一族ではない方が。令狐さまの家宰と名乗っておられます」
最後まで聴かず、大股に歩き出した。
海天祥の書斎は、本の中に埋もれている気分になれる。天井まで棚が続き、それぞれに巻物をはじめとしたいろんな体裁のあらゆる書籍が納められていた。年に一度、全ての書籍を取り出して虫干しをすることが決まっている。老人が書籍の出し入れをするのに危険がないようにと作られた特製の梯子は、真横から見ると直角三角形に近い形をしていて、階段状になっていた。下は可動式になっていて、小さな抽斗が幾つもついている。天祥は一族きっての読書家としても知られていた。
足を踏み入れた碧玉は、そこに三人程先客が居ることに気付いた。一人は叔牙伯父の家宰(執事)・夏信、一人は藺の長老・天化、残る一人は恐らく令狐仲の使いと思えた。
「来たか」
海天祥。一族の長である。碧玉には、正しくは祖父の長兄に当たる。碧玉の祖父が若くして逝去したので、父の叔玩は天祥に我が子同然に育てられたのである。弟のみならず妻にも長男にも先立たれているが、いまだ矍鑠たる老人であった。還暦を越えて白髪が優勢になりつつあるものの、豊かな髪と眼光鋭い黒瞳は、気力の充実を感じさせている。
「憶えがあろうが、令狐殿のご家宰顔士犀殿じゃ。ご挨拶をなさい」
挨拶を済ませ、腰を下ろす。夏信が事情を説明し、天祥と天化が碧玉と顔士犀に丁寧に確認を取る。一連の出来事の確認が終ると、今度は顔士犀が令狐仲の手紙を読み上げた。宛名は海一族の長・海天祥である。それには、ならず者に襲われた娘を救った青年海碧玉への感謝の言葉と、もし彼に異存がなければ二番目以降の妻で構わないので娶って頂きたいという希望が記されていた。
「一族からも三人の妻候補がある旨は、叔牙より説明したようじゃが……」
「我が主令狐仲は是非とも碧玉殿に娘を貰って頂きたいと申しております」
出来るなら、結婚のことをもう少し先に延ばしたい碧玉だったが、逃げようにも逃げられないようである。深く吐息を漏らして、ゆっくりと確認した。
「海一族直系は一族より妻を迎えるのが定めとなっております。ましてや、令狐殿は元高官の身。官にも就かぬひよっこにご令嬢をとは正気の沙汰とは思えませぬ。しかも二番目以降の妻でもとは」
「主はいたく碧玉殿に感服致しております。家にも娘にも傷がつかぬよう配慮され、しかも謝礼を要求することなく立ち去られた。昨今そのような若者に出会えたことこそ我が家の慶事と…。碧玉殿程の素晴らしい若者なれば妻になりたいと願う娘もまた居ようし、碧玉殿が娘をお厭いでないのなら…と仰せでした」
「……」
「長としては、正妻たるものを一族の中より求めることを望むが、それほど惚れこまれたものを無下にも出来まい。碧玉の希望はどうか、知りたくてな。広間では大事になるゆえ、こちらに呼んだのだ。お前の考えが決まっていれば聴かせて欲しいのだが。もしまだ漠然としているなら、少し時間を与えよう。その間、申し訳ないが家宰殿はこの邑にお留まり願いたい。宜しいか?」
長老の穏やかな言葉に、二人の家宰は深く頭を下げた。
令狐氏の申し出はかなりの押し付けなので、ありがた迷惑というよりはむしろ大迷惑、ですね。
海の一族では五姓以外と通婚することはほぼないことは、他の古豪族には知られていますが、一般の官僚は付け込む隙を狙っている状態でしょうか。
古豪族は一夫多妻が基本ですし、これを機に、と狙う者は多いのです。