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三、巫女と長兄の人助け

軽めですが、多少の暴力的表現がありますので、ご注意下さい。

 翌朝、まだ暗い内に白玉と紅玉の二人は神殿で巫女の仕事を始めていた。今日から紅玉は巫女見習の待遇を受け白玉の下で修業するのである。少し眠い目をそれでもしっかりと開けて丹念に神殿を掃き清める姿は、年齢に似合わぬ落ち着きを感じさせた。白玉は手馴れた様子でてきぱきと、しかも優雅にこなしている。

 日が昇る頃、青玉が現れた。海一族は直系男子から長を選ぶことになっているが、早くも次期長の候補の筆頭として名前が挙がっているのは、この敬虔さも一役買っているのかも知れない。

「大姐、紅玉。おはようございます」

 昇る朝日を背負うように現れた彼の表情は見えなかったが、声を掛けられた二人には青玉が微かに笑っているのが感じられた。

「早いわね」

 眩しそうに目を細める白玉と、隣に佇む紅玉の掌に、青玉は少しはにかみながら、今しがた摘んで来たばかりの草花を載せた。

「今日から巫女見習が始まると思ったから…。大姐、紅玉を宜しくお願いします。紅玉、大姐みたいに立派な巫女になれるよう励みなさい」

 十歳の少年はそう言って巫女に深く頭を下げた。彼なりの誠意と感謝、激励が込められているのを感じて、少女達は温かい気持ちになっていた。

「ありがとう、三哥」

 嬉しそうに頬を染める紅玉を見て、白玉は小さな紳士に微笑みかけた。

「青玉、ありがとう。朝食が出来ているから、皆で頂きましょう。大哥達を起こして来てくれる? 昨日みたいにではなく、優しくね」

 恥ずかしそうに肯いて青玉は駆け出して行く。紅玉は貰ったばかりの草花を両手で抱え、その後姿を静かに見つめていた。



 朝食を終えて翠玉以下の子供達が家塾に向かうと、碧玉と白玉は二人になった。久しぶりにゆっくり見る従妹は更に艶やかさを増していて、些かならず眩しかった。細くしなやかな体を優美に飾る衣は、黒絹のような髪と真珠めいたつややかな肌を引き立たせはしても、損なうことはありえない。どこから話を始めたものかと思う碧玉は無意識に顎のあたりを撫でていた。まだ濃いとは言えないが、髭が生え始めている。

「……武挙の前日のことだ。出先から陳の伯父上の館へ戻る途中、ならず者どもに襲われかけている旅人らしき姿を見かけた。甲高い声はまだ若い女かと思えたが、薄暗い通りに引きずり込むような輩がやりそうなことは決まっている。それで救い出すことにした。激しい抵抗をしたと見え、服はボロボロで全身傷だらけだったので、俺の着ていた上衣を与えて介抱し、宿を訊ねて何とか娘を送り届けることが出来た」

 流暢にとは行かなかったが、ゆっくりと語る碧玉の声は穏やかだった。

「その日はそのまま伯父上の館に戻ったんだが、翌日俺が留守の折にわざわざ尋ねて来たらしい。部屋に戻ると土産物の山が出来ていた。娘の父親は引退して随分経つが、高官だったようだ。俺は挨拶もせずに帰ってきたのに何故か居所も名前もバレていて、毎日のように物が届けられるようになった。一月後の発表まで伯父上の館に居候するつもりだったが、流石にこれではかなわない。俺が居なくなれば来なくなるかも知れないということで伯父上と相談し、途中旅をしながら帰ることにしたと伝えた。それで大丈夫かと思っていたが、今度は伯父上に対して物が届けられるようになった。伯父上も辟易したと見え、その元高官――令狐殿に会いに行った」



 豊かな白髯を蓄えた、穏やかな老人令狐仲は、碧玉の伯父である陳叔牙を快く出迎えた。最愛の一人娘を救った青年に対しての過剰なまでの感謝の表現は、どうやら他の目的があったようである。叔牙が丁寧に贈答品の辞退を申し出ると、碧玉について様々な情報を得ようとした。

「先の長くない身で、一人娘のことだけが悩みの種でした。わがまま放題に育っておりますが、もし叶うなら、私のこの目がまだ黒いうちに碧玉殿のようなしっかりした青年に嫁がせたいと思っておるのです。碧玉殿はあれ(娘)をお厭いだろうか。陳殿は伯父上と承っているが、碧玉殿は既に結納を交わした娘は居られぬか?」

 陳叔牙も弱りはてていた。武挙に合格すれば碧玉は結納の話が持ち上がっているだろうし、海邑では既に三人の候補が挙がっている筈だった。しかしまだ確定した訳ではない。ここでうっかり「碧玉は現在故郷の邑で縁談が持ち上がっております」などとでも言おうものなら、「ではそれがしの娘も……」と売り込んできそうな気配があって、叔牙は口ごもった。

「……我らの一族では、直系男子は正妻に一族の別姓の娘を迎えることになっております」

 暫く躊躇った挙句、叔牙は呟くように息を吐き出した。

「碧玉は直系男子、帰邑すれば妻候補が三人居て、長老が会議を繰り広げるでしょう。婚儀は来年成人を迎えてからですが……。令狐殿の大切なご令嬢を正妻に出来ぬとあっては……」

 控えめにそう告げると、あっけらかんとした返事が返ってきた。

「いやいや、お転婆で何一つ出来ぬ未熟者の娘ゆえ妾とて構いませぬよ。確かに我が娘は可愛いが、陳殿の一族で棟梁の正妻など無事に務まるまい。寧ろ私は碧玉殿に惚れましてな。あの方なら…と見込んだ次第」

「そこまで見込んで頂いて、誠に恐縮でございます。碧玉が聞けば当惑しましょう。ろくにご挨拶もせぬのに」

 令狐仲は目を瞬かせた。

「ならず者に襲われている娘を救ったあと、その家で長々と挨拶をするような者がいたら、私はその者こそを疑うでしょう。ましてや私は引退したとはいえ元は重職にあった身。政治の泥沼を泳ぎきってこの岸まで辿り着いた身です。私に取り入ろうとする者が居ても不思議ではない。……碧玉殿は娘に父の姓さえ問わなかったと言う。それはゆくゆく娘が恥をかくことがないようにとの配慮と見ました。救われた娘の家では救った者を諸手を挙げて歓迎しましょう。が、同時にその家では娘が襲われた事実は世間の評判になりかねませぬゆえ、隠しておきたいもの。途中つけて来る者がいないか気を配り、無事に家に入ったのを確認して身を翻し、走り去られたとのこと。何も無かったようにするべく、振舞って下さったものと」

 なかなかああは出来ませぬ、と令狐老は首を振った。

「それに」

 老人の目が強い光を帯びた。

「碧玉殿は贈り物から逃れ、またその伯父殿が返しに来られた。それはあなた方のお心根が正しく、美しいものとお見受けいたします。……ご一族の流儀には反するやも知れませぬが、是非とも碧玉殿に我が娘を貰って頂きたい。正妻が駄目なら二番目の妻でも妾でも」

 叔牙も折れざるを得なかった。

「ならば、碧玉と一族の者に話しましょう。ただ、あれは海一族直系を誇りとする者ゆえ、令狐殿の意に添わぬ結論を出すこともあるかと。その節は、まげてご容赦ありたい」

「なんの。無理をお願い申し上げておるのはこちら。一縷の望みが繋がっただけでもありがたいもの。ご苦労をお掛けし、申し訳ない」

 叔牙に杯を傾けて微笑む姿は、仙人のようだった。



「大哥、その娘を助けて下さってありがとう」

 微笑んで白玉は碧玉に新しいお茶を差し出す。憮然とした顔は白玉を見ることは出来なかった。差し出されたお茶に手を伸ばし、もう片方の手で鷲掴みにした饅頭を食いちぎる。

「……声が、お前に似ていた」

 翌日の武挙のことを考えれば、そういう輩と関わるのは極力避けたかった。しかし、碧玉がそれを避けられなかったのは、その娘の声が白玉のそれと良く似ていたからである。実際には白玉がそんな目に遭うことがあるはずもなかったが、碧玉にはまるで彼女が助けを求めているように思えた。

「ありがとう、大哥……」

 白玉は呟いた。もう一度、心を込めて。

海の一族は伽国内では古い有力豪族です。

初代の長となった男(海碧玉らの先祖)が、親友である男(陳叔牙らの先祖)と作った邑が海邑。


なお、本編にはあまり登場しませんが、海邑には五姓の人々の他に、家宰として執事的な役割をこなす人々も住んでいます。

初代の長の妻となった女性(初代の長の親友の妹)が見知らぬものが辺りにいることを嫌ったため、幼児でもない限り、この邑の人々は一通り身の回りのことは自分で出来るようになっています。


因みに、襲われていたのが海白玉だった場合、襲った方が半殺しになるのがお約束です。

勿論、碧玉たちの到着前に。

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