トリスタン・ラングレー(教え子・父親)・2
卒業して領地に帰ると、やたら見合い話を持ちかけられるようになったが、全てを断った。俺が否と言えば、絶対に通らないことを知っている一族は、すぐに諦めてくれた。
俺という人間に、結婚は絶対的に向かない。情緒に欠陥があることは自覚してる。面倒くさいし興味もない。きっと誰も幸せにならない。
無駄な努力をするより、跡継ぎはランスロットかジュリアスに任せればいい。
ここでまた、次の出会いがあった。クエンティンの父親のギディオン・イングラム公爵。先生の親友だともいう。
評判の最悪な末娘の婚活に苦心していて、俺も一度会わされた。
素行も性格も最悪だが、顔だけは美しいと噂で聞いていた少女。クエンティンが、妹の話になるといつも口を閉ざす理由が、その場で分かった。
会った瞬間、何かを感じた。それは経験がないような奇妙な感覚。
容姿のような、皮一つの違いのことなんてどうでもいい。人間としては、はっきりと嫌いなタイプだ。しゃべるのも、傍にいるのもウンザリして不愉快になる。普段の俺なら絶対に関わりを持たない相手だ。
それでも、この女と結婚しなければいけないと思った。それは、絶対的な確信。
義兄となるクエンティンには、友人として猛反対されたが、俺はこの結婚を押し切った。
だが結婚したからと、新しい家庭を築いていこうとも思わない。それぞれ今まで通りの生活を続けることに、異存はなかった。あんなわがままでヒステリックな女と一緒に生活したいとも思わない。
それから間もなく、王国中を揺るがす訃報。
あの先生が、事故で死んだ? この俺に、一度も負けることのなかったあの人が?
釈然としなかった。多くの友人知人が嘆き悲しむ中、あまりそういう感情が起こらない俺は、やっぱり情が薄いんだろうと、妙に自分に失望した。
それが思い違いであったことに気付いたのは、数ヶ月後。
グレイスの出産が予定より早く始まったとの報が届き、即座に駆け付けた王都別邸で、信じられないものを見た。
目の前に、先生がいた。
人生であんなに驚いたことも、あんなに嬉しかったことも、初めてだった。
冷たくなったグレイスを見ても、やっぱり心は動かない。それでも、屑の俺だが、心からの感謝を捧げよう。
俺はこのためだけに、君と結婚したんだと、今理解したから。
あのふてぶてしかった先生が、俺の両手の平に収まってしまいそうなほどに、か弱い存在になってしまった。俺の剣より軽いじゃないか。でも、前と同じだけの存在感を確かに感じる。
そして、一体どこから湧き出てくるのか分からないほど溢れ出してくる、初めて覚える感情。俺は、この存在を守るためだけにこの世に産まれたのだとすら、本気で信じられる。俺にとって、世界で最も大切な存在。自分でも驚くほどの強い想いに支配された。
一通りの事後処理を済ませて領地に帰るとき、先生――いや、グラディスは、王都に置いていくことになった。
正直不本意だった。ちょっと抱えて連れて行けばすぐだろうと言ったら、周りの大人から一斉に叱られた。赤ん坊とは、たった5日の旅程にも不都合が生じるほど脆弱なものなのか。
『君は常識が足りない』と君にさんざん言われたなあと、紅葉の手に指を握られながら思い返す。
俺に子育ては無理だな。無理なものにはこだわらず、ジュリアスに任せよう。その方が安心だし、子供にもきっと幸せだろう。
なにより学園にいた時から、先生とは奇妙な共通点を感じていた。あんなに感情表現の豊かな人なのに、どうしてだろう? こんなに情の薄い俺と、どこが重なるんだ? 理由はよく分からないけど、俺が育てるべきではないように思った。
とにかく躾とか教育は全部、愛情も常識もあるジュリアスにやってもらおう。あいつならそつなくこなすだろう。俺はただ思い切り可愛がるだけ。考えようによってはなかなかの役得だ。
それを実行したら、グラディスが一番に懐いたのはジュリアスになった。まあ、当然だ。その代わり俺は、グラディスに会った時は、おねだりを全部叶えることにしている。娘が喜ぶ姿を見るのが、一番の喜びになるとは、人でなしの俺も少しは人間らしくなったらしい。
そのせいで、感情の動きの幅を自覚するようになって、難儀するという経験も初めてした。
弟のランスロットの戦死。
卒業して間もなく親父が戦死した時には大した動揺もなかった俺が、初めて苦しいという感情を知った。
俺は、やっぱり前とは変わっている。グラディスのおかげで、誰かを大切に思う感情を知った。それには、失う苦しみもセットになってるんだな。
こんなに辛いなら、今まで見てきた悲しんでるやつらに、もっと優しくしてやってもよかったか。
そして、このランスロットの死の原因。翼の生えた俊敏なワニのような魔物の集団。あんなの、今まで国のどこでも見たことがない。
何かが起こっている。先生の死で覚えたのと、同種の違和感。この先起こる何かと、繋がっているのかもしれない。
俺の娘に転生した大預言者。いつか、それを自覚し、その『何か』と対峙する日が来る予感がする。俺の役割は、何があってもグラディスを守ること。それだけ分かっていれば十分だ。
7年後、予想通り、グラディスの自覚の時はやってきた。愛する娘、敬愛する先生……最強の存在だ。
その最愛最強の娘は、嵐のようにやってきて、一生一人で好き勝手やっていくつもりだった俺に、家庭を作ってしまった。
俺の傍にいつも当たり前のようにいたイーニッド。グラディスにとって一番の母親になれるのは、彼女しかいない。他には考えられない。
笑顔で俺に頷いた彼女を見て、もっと早くそうしていればよかったと思った。息子のように扱ってきたマクシミリアンも、本当に俺の息子にできた。
俺がまともに家庭を持つ日が来るなんて、考えたこともなかったのに、今はそれが正解だったと分かる。
辛さを知った俺は、幸せも知ったから。
双子が生まれ、幸せと大切なものが更に増える。俺にとって必要なものは、いつでも君がくれた。
そのグラディスが突然倒れ、近い将来起こるだろう混乱に、珍しく尻込みしている。
心配する必要はない。君はただ思うままに突き進めばいい。俺は何があっても必ず、君を守る。