餞
狂乱のサプライズが始まって、体感では数十秒くらいに思える。実際には、全体が飛び出すまで5秒とかからなそうな現状。
2~3秒時点で、もうすでに超巨大アリの胸部がでて、次は腹部……というところで、魔法陣から出現した体の部分が、突然細切れになって飛び散った。
魔法陣がはじけて消える。
地面に突如散布されたかのように落下する魔物の無数のパーツが、各騎士たちのそれぞれ得意魔法によって、燃やされたり更に切り刻まれたりと、瞬時に対処された。
普通の魔物は、ちゃんと物理的に死骸が残るからね。魔物の部位のシャワーなんて、冗談じゃない。新しいトラウマができちゃうっての。
当然私は、叔父様とマックスの防御魔法で完璧に守られた。服にシミ一つだってついてない。さすが叔父様。マックスもよくやった。ほっぺにチュウくらいならしてやるぞ。
「やあ、グラディス。ショーに間に合ったかな」
いつの間にか、隣にトリスタンがいて、私をいつものように抱き上げた。
「盛り上がりとしては、少し早すぎたくらいかしら」
私はトリスタンの首に手を回して微笑を返した。
相変わらずの圧倒的な強さ。何をやったかも分からないうちに、一瞬で撃破しちゃった。それなりに力のある騎士ほど、その次元の違う強さを目の当たりにして、あんぐりだね。
「ちょっとトリスタン!? 切り刻んで終わりじゃないでしょ!? ちゃんとバラした体の始末もしてよ! 一般人に当たったらケガするじゃない!」
後始末に参加したロクサンナが、苦情の声を上げた。
「いやあ、君たちがいるからいいかなと。ねえ、クエンティン」
のんきに答えたトリスタンが同意を求めたのは、あとを追いかけてきたクエンティン伯父様だ。彼も背後からフォローしてたらしい。
「やるなら、チリ一つ残さずお前がやれ! 急に魔物の気配がするなんて戻りやがって。怠けてんじゃねえよ」
「そんな雑用より、グラディスを抱っこする方が重要だからね」
現イングラム公爵、義兄に当たるクエンティンの非難もどこ吹く風で私の髪を撫でた。ほらほら、お二方、いい加減学習してください。この人には何言っても無駄だから。私は学園の教師時代にすでに諦めたから。
さしあたっての脅威はなくなったけど、数千人に一度広がったパニックというのはそうそう簡単に鎮まるものでもない。大通りの野次馬たちの方の狂騒は、当分静まりそうになかった。
大変だし、危険なんだけど、笑い事じゃないんだけど……思わず吹き出してしまった。
何が、何も起こらない1日だ。私としたことが、随分腑抜けていたものだ。でも、心が軽くなっている。
「どうしたんだい? グラディス」
「ふふふ。このくらい派手でにぎやかな方が、おじい様を送るには相応しいと思って」
「ああ、なるほど。たしかに」
収拾のつかない集団ヒステリーを目下に、トリスタンと顔を見合わせてくすくすと笑い合う。
「……似てないと思ったのに、お前ら、やっぱり親子だな」
クエンティンが苦い顔でぼやく。
「顔がグレイスで、中身がトリスタンとか、どんだけ悪質なんだ」
随分心外な評価を下された。失敬だな。私はこんな変人じゃないぞ。そして中身は君の恩師だぞ。
「まあ、思ったほどの悪影響はなさそうだな。いずれ学園に入ったら、うちの子たちとも仲良くしてやってくれ」
おお。これまで敬遠していた私に、イングラム側の従兄弟との交流を認めたらしい。グレイス嫌いなのに。分かるけど。あれが妹とか、どんな人生かけた罰ゲームだって感じだもんな。私はグレイスとは違うと、分かったらしい。
返事の代わりに、ただ笑顔を返した。
ぶっちゃけ親の許可なんて関係ないからね。ほぼ治外法権の学園内では、誰だろうが私が気に入れば好きに付き合う。気に入らなかったら、従兄弟だろうが弾くけどね。
後ろでマックスが舌打ちしてる。態度悪いぞ。
ロクサンナは私たちの方を見て、不思議そうに首を捻った。
「それにしても、鼻が利くのはトリスタンだけじゃないのね。ラングレー家の特徴なの? あなたたち、魔法陣の出現前から」
「いつまで無駄話をしているつもりだ。暇なら事態の収拾を手伝ったらどうだ」
途中で、話が遮られる。なんかヤバい方向に行きかけてたからグッジョブだ!
ジェローム・アヴァロン公爵が、注意しに来てくれた。ギディオン引退後の最年長公爵だ。後ろにルーファスを従えているけど、視線は合わせなかった。誰に疑われるか分からないもん。
「そうだな。オヤジの埋葬に戻るぞ、トリスタン」
クエンティンが面倒ごとから真っ先に逃げにかかる。こういうとこ、ギディオンとそっくりだ。
「じゃあ、あとでね。グラディス」
トリスタンは私の頬にキスをしてから降ろすと、後を追って逃げに続いた。
傍で見ていたルーファスから、唖然とした気配がする。いやいやっ、トリスタンはちゃんと全部知ってるからね! 別に私が騙してるわけじゃないから! 教え子騙して、抱っことチュウさせてる変態元教師とか思っちゃダメよ!? あれ、パパだから!!
「ああ、大変! ドレスにしわが寄っちゃったわ! それでは失礼」
ロクサンナが更に続いて脱出した。ハンター公爵にいたっては、最初から寄り付きもしない。
「まったく、最近の若い者は!」
ジェロームがお決まりのセリフで嘆いた。気持ちはわかるけど、まだ40そこそこでそのセリフは早くないか、ジェローム。息子が後ろで苦笑いしてるぞ。
「叔父様、帰りましょう」
「そうだね。それでは、我々も失礼します」
ここにいてもしょうがないから、私たちもさっさと退散。
すでにアイザックが人を集めて色々指示を出してるようだから、早々に片付くだろうし。
そこで、ふと気付いた。私の心配をしてくれてたのは、叔父様とマックスだけじゃなかった。
教会の中を見回して、目的の人たちを瞬時に見分ける。
キアラン、ノア、ソニアはみんな私を見ていたから、すぐに目が合う。私を、見ていてくれたんだ。
それぞれに無理矢理じゃない、自然な笑顔で手を振った。それから一瞬だけ、傍にいたルーファスにも視線を送った。
みんな、心配かけてごめんね。もう大丈夫だからね。
全員、ほっとしたように手を振り返したり、頷いたりしてくれた。