ギディオン・イングラム(親友・祖父)
墓にまで持っていくと、決めた秘密がある。
あれはまだ15歳の頃。
バルフォア学園の入学式の日、俺はうんざりしていた。弱い連中が、俺の力を利用しようと、次々群がってきた。俺と組めば、学園の各種強制イベントの高得点は堅いからな。
確か上級生にはハンター公爵家の跡取りもいたはずだが、奴らは俺とは戦闘スタイルが違う。
あの一族は結束が固く、特に海での集団戦に特化した連中だ。兄弟いとこ又いとこ甥姪分家、分家の分家と、学園で血族だけの派閥を作り、他の追随を許さない連係プレイで強力な力を発揮する。その分、排他的なところがある。
あてにするなら、単独で強い俺の方が都合がいいのだろう。だが俺も、ハンターたちと渡り合うためには、飛び抜けた仲間が必要だ。足手まといを抱える余裕はない。
日課の早朝訓練に気合を入れ過ぎたせいで、朝メシもほとんど食う時間がなかった。イラつくのは空腹のせいもあるだろう。購買で朝から大量のパンを買って、適当な場所に見つけたベンチで食べ始める。
周りが変な奴を見る目で通り過ぎていくから、ちょどいい。
それでもやっぱり図々しい奴はいて、食事中の俺に、平然と歩み寄ってくるやつがいた。
見るからにひ弱そうな女子が、俺と組もうと持ち掛ける。だから、足手まといはいらないんだ。
牽制する俺に、ザカライアと名乗った少女は、不敵な笑みを返した。
力を借りたいどころか、まるでこの俺に力を貸してやろうとでも言わんばかりの物言い。その、絶対的な自信と断言。強い光を放つ緑の瞳。
もう、この瞬間には惚れていた。
すぐ後に、大預言者だと知って、内心に吹き荒れる嵐に長らく悶えることになる。
俺も大概だと言われる方だったが、ザカライアはとにかく出鱈目な女だった。
宣言の通り、全ての行事でトップを極め続けた。あいつの指示に従えば、無敵のハンターチームですら簡単に裏をかけた。
最大のライバルであるそのハンターたちですら、悪友として取り込んでしまうような懐の大きさには、やきもきさせられた。
だが、ザカライアは俺のものにならない代わりに、誰のものにもならない。人生で、この3年間だけは側にいられる。
近付く男を、密かに片っ端から追い払っていた俺の前に、1年後、強敵が現れた。
ザカライアの幼馴染だという、アイザック・クレイトン。ザカライアと明確な一線を引きながら、誰よりも理解しているし、信頼されてもいる。
何年もの時間をかけて、奴なりに積み上げたその距離感と関係性に、俺と同じ苦さを見た。
本来なら俺が付き合うタイプの男でもないのに、互いに妙な親近感を覚えたものだ。もちろんライバル心の方が大きかったが。
やがて学園を卒業し、領地に戻って、会うことも年に数回あるかないかになった。
俺の人生で、戦うことすらせず唯一諦めたもの――家のことさえなければさらって逃げるのにと、どれだけ思ったかしれない。
しかし現実は俺は公爵家の跡取りで、あいつは大預言者。――縁がなかったのだ。
それから公爵となり、家のための結婚をし、跡継ぎを設けて、義務を果たし続けた。あいつの周りには、アイザックを含めてそういう男が何人もいたはずだ。本人だけは気付かなかったが。
そうして長い時が流れても、あいつは少しも変わらなかった。誰のものにもならないし、誰もその心に近付くことすらできなかった。
あいつの深い部分に潜む他人を拒絶する壁は、俺の心の平安にとっては、歓迎するべきものだったのだろう。それは、30年経っても俺の中で変わることがない、誰にも言えない卑怯な思いだった。
そして、突然の別れ。大預言者が、事故で亡くなるなんてことがあるのか? あいつの凄さは身をもって知っている。
真っ先に自殺を疑った。だが、それは永遠に答えの出ない疑問だ。
犯人は、間もなく判明した。自殺したイングラム家の御者の遺書によって。グレイスは嫁いでからも王都を出ることはなく、身重を理由にしばしば、イングラム家の別邸に里帰りしていた。
その期間に起こした事故だ。
足元が崩れ落ちた。俺の娘が、ザカライアを死なせた。まるで、心からの愛情を与えられなかったことへの復讐を受けたように思えた。
そのグレイスも、出産と同時に息を引き取った。当事者は誰もいなくなったのに、生まれたばかりの赤子に全ての業を背負わせるべきか? 逡巡しながら、ジュリアスの腕に抱かれた壊れそうなほどに小さな赤ん坊を見て、息を呑んだ。
愛しさなのか、懐かしさなのか。不思議な感覚だった。孫ならすでに3人いる。でも、その誰とも何か違う。何が違うのだ?
まもなく飛び込んできたトリスタンを見ると、どんな時でも平然としている男が、ほんの一瞬だけ、確かに驚きに目を見開いた。
やはり、特別な何かがあるのだと確信した。
それが何かは分からなくても、この愛しさは確固たるものだ。俺は、全力でこの赤子を守ることを誓った。たとえザカライアへの裏切りになるとしても、そうしなければならないと思った。
王都に戻る折には、必ず会いに行った。少しずつ成長し、初めて「じーじ」と呼ばれた瞬間、唐突に気が付いた。
姿形も、瞳の色も違う。まだまともな自我すらない。それでも紛れもなく、俺を一目で虜にした、あの目をしていた。
まったく、あいつのやった数知れないタチの悪い冗談の中でも、これはとびきり悪質だ!!
よりによって、俺の孫に生まれたのか!?
自分を死なせた俺の娘の子として、俺の孫として生まれた? これを偶然とでもいうつもりか? この運命を、お前はどこまで読んでいた? 初めからそのつもりで、あそこで死ぬ必然を、避けることなく受け入れたのか?
この先に起こる、何かの別の運命ために? ここに生まれ直す必要があった?
預言者でもない俺には何も分からない。
だがいずれにしても、相変わらず性格の悪い奴だ。また、俺の手の届かない場所に生まれてくるとは。
それからは、更に会う回数を増やした。ザカライアの意識がないことは間違いない。そして、見た目も振る舞いも、日に日にグレイスに似てきて、心配は募る一方だ。育児についての余計な口出しを、ついトリスタンにしてしまうほどに。
トリスタンは相変わらず何を考えているのか分からなかったが、ジュリアスはグラディスの預言者の資質に気が付いて、色々とフォローしている様子がうかがえた。
それはそれとして、完成した背中のタトゥーをグラディスに見せて、場が静まった時には、大分切なくもあった。俺としては、昔の約束を果たしただけなのだが。完成したら見せてって言ってただろう?
そして、あれは俺が引退したあとで開いた武道大会でのこと。ドレスは相変わらず奇抜だったが、今まで見向きもしなかった戦闘に興味を持っていた。
かつて見た、あの知性と意志を放つ子供では決して出せない目の光。
歓喜で、心が震えた。また、あいつに会えた。
今度こそ幸せな人生を送ってほしい。癪ではあるがルーファスに嫁にどうかと薦めてみたら、返事を濁された。ザカライアに異常に懐いてたから、相性はいいと思ったのだが。
その後のアイザックへの轢き逃げ事故の真相の告白では、転生のことは告げなかった。グラディスとして生きていくあいつのために、俺も余計なことをするつもりはない。
どうせいつか会うことがあれば、お前も気が付くのだろう。俺からは絶対に教えてやらん。それとこれとは話が別だからな。
そして、倒れた後の出来事。
入ってきたグラディスを見て、すぐに気が付いた。
ああ――これが、お前との最後の時間なのかと。
俺の仕掛けた悪戯に、あいつは言葉を失った。
やったぞ。振り回される一方だった俺が、初めてあいつを驚かせてやった!
最後の最後で、あれほど焦がれた存在を、やっとこの腕に抱きしめることができた。お前を泣かせることができた。おまけにキス付きだ。
もう、満足だ。そう悪くもない人生だった。最期にお前に看取られるなら。
イングラム家伝来の背中のタトゥー、当主代々のテーマは惚れた女だ。敵に決して背中を見せないためのゲン担ぎ。あの庭園に佇むお前の姿を刻むことは、できなかった。
それでも、どれほど苦しくとも、お前という喜びにいつかまた出会えることを、俺は切に願う。