別離
とにかく泣いた。
数十年分の溜まり続けた心の澱を、すべて吐き出してしまうつもりで。
ギディオンのことも、コーネリアスのことも。記憶の底に沈めて固定させてしまった思い出を、全部引き出した。その全てが、大切なものだったのに、どうして、引き出せない場所にしまい込んでしまったのだろうと、やっと思えるようになる。
どうせキアランには、前も泣くところを見られている。1回も2回も、今更同じだ。
力いっぱいしがみついて、遠慮なく泣き倒した。
去年は肩に預けた顔が、今はどちらかというと胸に近い場所に埋められている。身長差が開いたせいだ。
いくらしっかりしてるからって、12歳の子供相手に頼り過ぎだな、私は。きっと、前世の私を知らないから、逆に頼れるんだ。大預言者でも教師でもない、ただのグラディスとして。
ひとしきり泣いて、余計なことまで考える余裕ができ始めた自分に気が付いた。
どうすることもできずに持て余していた感情が、少しずつ凪いできている。
本当にあんなにぐちゃぐちゃだった気持ちの整理がつくなら、今までももっと全力で泣いておけばよかった。
「キアラン、あんたはものすごく優秀なセラピストみたい。王様なんかにするのが、もったいないくらい」
「同感だ」
やっと、冗談が言えるくらいには、落ち着いた。それまでやっぱり黙って待っていてくれたキアランが、穏やかに答えた。
顔を上げて、その胸元を見る。
「もう、キアランには、私に会う時専用の服をプレゼントした方が、いいのかもね」
「『インパクト』の?」
キアランも冗談で返してきた。『インパクト』は完全に女性専用の服飾店だ。
思わず目を丸くする。
「知ってたの?」
「あれだけ勢いのある企業なら、それなりの情報は入ってくる。特に専用工場を建てたり、分業制による大量生産体制を確立させたり、革新的な業態が経済界の話題になってる。ジュリアス殿が抑えているから、お前のことは広がってはいないが。今期の納税は覚悟した方がいい」
「そこは叔父様とスタッフに任せてるから」
思わず笑ってしまった。それだけの心境に、気持ちが立て直せてる。
一度、深呼吸した。今なら、ギディオンに会いに行ける。
「ありがとう、キアラン。戻ろう。おじい様に、会いたい」
「ああ」
キアランと一緒に応接室まで戻り、そのまま呼ばれるまで世間話で時間を潰した。
もう、すっかり平常心に戻っていた。
しばらくして国王が帰ると連絡が来て、キアランが席を立った。
「もう、大丈夫だな?」
「うん」
頷いた私を、そのアメジストの瞳で深く探ってくる。
「今のお前は、少し、自由に見えるな」
呟いて、私の反応を待たずに出て行った。
まったく、あんたのほうが預言者みたいだ。でも、それほど悪い気分でもない。
間を置かず私も席を立ち、覚悟していたよりもずっと平静に、一人、ギディオンの寝室へ向かった。
「おじい様、お加減はいかがですか?」
ベッドに横たわるギディオンに、あえて軽めの声をかける。
ギディオンは、億劫そうに、顔だけをこちらに向けた。
「グラディスか。こんなザマで、悪いな」
「お気になさらないでください」
いつもの力強さはなくとも、はっきりした声だった。思ったよりも、憔悴している風には見えなくてほっとした。
私の泣き腫らした跡の残る顔を見て、驚いたように目を見開いている。少しの間の後、どこか嬉しそうに口元を緩めた。
「……そうか、俺は死ぬのか。俺のために、お前は泣いてくれたんだな」
さばさばした口調で呟く。
「お前、コーネリアスの時は完全に淡々としてたもんな。奴に勝ったな」
その言葉に、私は絶句する。
「ははは。初めてお前を驚かせられたな。やっと念願がかなったぞ」
ギディオンは悪戯が成功した子供のように笑った。
「な、なんで……」
「なんで、気付いたか――か? それは、墓にまで持っていく秘密だ」
「ああ、まったく、もう! この私が、あんたにしてやられるなんて!」
取り繕うのをやめて、さっきまでエリアスが座っていたはずのベッド脇の椅子に、どさりと腰を下ろす。
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
そうしたら、もっと気楽に普段から会いに来ていたのに。ずっととぼけられていたことへの愚痴を漏らすと、ニヤリとした意地の悪い視線が返る。
「おじい様と、俺に甘えるお前は可愛かったぞ」
「はあ~、相変わらず馬鹿だね。そんなことのために、こんな土壇場まで黙ってたの?」
「重要なことさ。ジジバカだからな、俺は」
おかしそうに笑って、それから穏やかな目を私に向ける。
「俺は、幸せ者だ。二度と会えないと思っていたお前に、こうしてまた会えた。酒を酌み交わせないのが、残念だがな」
「そうだね。あんたと飲んだ酒の味が恋しいよ。あと2年以上の禁酒は、なかなかキツイ」
旧友との十数年ぶりの他愛ないやり取りを、心から噛み締めた。この時間を、私は絶対に忘れない。この後に訪れる喪失感にも、きちんと立っていられるように。
会話が途切れた時、ギディオンがふと真面目な顔つきを見せた。
「グラディス。最期に一度、抱きしめさせてくれ」
「いいよ、おじい様」
ベッドに腰かけて、寝たままのギディオンに、負担がかからないようそっと体を寄せた。気を使ったのが馬鹿らしくなるくらいの力強い大きな腕で、ギディオンが私を抱きしめてきた。
そういえば、ギディオンにこうして抱きしめられるのは、前世を通しても初めてかもしれない。親友だったのに、ハグですらした覚えがない。
このぬくもりを、もうすぐ永遠に失うと思うと、自然に目頭が熱くなって来る。
顔を上げる前に、頬へお別れのキスをした。それがおじい様へのものなのか親友へのものなのか、自分でももう分からない。零れ落ちた雫が、その頬に流れ落ちた。
「これで、もう思い残すこともないな。おまけに、お前の泣き顔まで見れた。コーネリアスへのいい土産話ができたぞ」
「バカなこと言ってる暇があったら、私みたいにさっさと生まれ直しなよ。そうだな……今度は、私の弟にでも生まれておいで。また、一緒に遊び倒そう」
「ははは。それは、楽しみだな。とっととくたばらないと」
「冗談になってないよ」
軽口を叩き合いながら、また涙が止まらなくなって、もう一度ギディオンの胸に顔を埋めた。私の背中に、今度は優しく手を回すギディオン。
「しばしの別れだ。ザカライア」
「――うん。またね」
こうして私は、旧友との、おじい様との、最期のお別れをした。