虫の知らせ
今日は、目覚めた時から嫌な予感がした。
スケジュールも全部キャンセルする。何だろう、何もやる気が起きない。集中すれば、予言も降ってくるかもしれないけど、それもする気が起きない。
叔父様や使用人たちは、不穏な空気を感じて私を見守っているけど、私にもよく分からない。
多分、分かりたくないんだと思う。
心配して仕事を休もうとする叔父様をなんとか送り出してから、部屋に引きこもる。
朝の日課の運動と、叔父様との朝食は無理にでも頑張ったけど、あとは駄目だった。あんなにやりたくてしょうがなかった趣味という名の仕事も、今はする気が起きない。
『インパクト』も軌道に乗ってるし、優秀なスタッフもそろえてるから、今日は考えるのをやめた。
部屋で一人、お茶を飲んだりソファーに寝そべったり、ストレッチをしてみたり、ただ漫然と時間をやり過ごす。
そして、その情報は、お昼を過ぎたころにもたらされた。
叔父様は仕事でいない。急ぎの言付けということで、執事のジェラルドが部屋に来た。
おじい様――ギディオンが倒れたと。
それだけで、全てが分かった。私が、これだけ動きたくない理由。答えはもう出ている。
まだ、意識はある。ただし、次が最後の対面になるのだろう。
分かってしまうというのは、辛いことだな。
――本当に、辛いことだ。
ザラに手伝われて、ノロノロと支度をする。
行きたくない。でも、今、行かなくてはいけない。絶対に、今日中に。
馬車に乗って、イングラム家の別邸に向かう。王都の同じ区画内だから、それほどの距離はない。ギディオンがこちらに本拠地を移してからは、時折遊びに行くようにしていた。
30分ほどで屋敷に到着し、顔馴染みの執事に応接室には通された。でも、すぐに会いに行くことはできなかった。
先客がいたから。国王のエリアスが。
ギディオンとコーネリアスは、学園時代から結構仲が良かった。それぞれ国王と公爵になっても、その仲は続いていた。
そのおかげで、息子のエリアスもギディオンには随分懐いていたんだ。成人するまで、私とギディオンと二人がかりで、事あるごとに可愛がったしね。
だからこの急な知らせに、お忍びで駆け付けたらしい。
孫とはいえ、エリアスのお見舞いを邪魔したくはない。ザラと無言で応接室に待機していた。
でも、じっとしてるとやっぱり落ち着かない。
「ちょっと庭の方、散歩してくる」
ザラと屋敷の使用人に言い残して、テラスから外に出た。今は、誰にも会いたくない。一人になりたい。全てを、先送りにしたい。
ここで武道大会が行われたのは、もう2年以上も前。あの時は迷った道も、今なら大体分かる。
先月会った時は、元気だった。出会った時から、老いてもずっと力強い印象は変わらなかった。
記憶力がいいのも、考え物だ。数十年分の思い出が、次々に甦ってきては、私の精神を削り取っていく。
人の気配を避けるように、中庭の庭園に向かって歩いた。
この感情を、どうすればいいのか。凍り付きそうなほどの恐怖が、心臓に突き刺さるようだ。
心を遠くに飛ばしてしまえば、この動揺を抑えることはできる。今までずっとそうしてきたように。
それで、この辛さから逃れられる。
でも、それをする気が、今は起こらなかった。
私は、コーネリアスが死んだときに、泣かなかった。心を閉じて、淡々と感情の処理をした。そうでなければ、耐えられないと思ったから。
三周目も、また同じことをする? これは、罪悪感だろうか。違う、自分への嫌悪感……。
別れの辛さから逃げることは、彼らと過ごした時間や友情からも逃げることになると、気付いていなかった。随分長いこと、あまりにも心をコントロールしすぎてきたせいで。考えることを、やめていたせいで。
でも、認めるには、受け入れるには、あまりに苦しすぎる。
ギディオン。私の親友。私のおじい様。
この先、何人の大切な人を見送ることになるのか。覚悟ができない。一歩を踏み出す覚悟が――。
ああ、だから嫌なんだ。こんなに不安定になる。ずっと目を塞いでいたかった。一体誰のせいで、私がこんな思いを――。
足が止まる。振り向いた場所に、元凶を見つけて。
「――なんで、ここにいるの」
「父の付き添いで」
キアランが、感情を抑えた表情でゆっくりと歩み寄ってきた。
「挨拶だけして、そのあと俺だけ遠慮した。戻る途中の通路から、お前が見えた」
最低限の説明を、静かにする。
ああ、また、きっと見ただけで私の感情を読んでいるんだ。ギディオンが長くないことに気付いて、もがいているさまを――。
本当に、憎たらしくなってくる。
「――キアランの、せいだよっ。前のままだったら、こんなに、苦しくは、ならなかったっ!」
八つ当たりをせずにはいられない。
「最期くらい、楽しい感じで、会いたかったのに……! これじゃ、悲しい別れに、なっちゃうじゃ、ないか……」
声が震える。必死で絞り出しても、どんどんか細くなってしまう。
「そうか。すまなかった」
キアランが抑揚のない声で答えて、私の前で立ち止まる。
「そうだよっ、あんたのせいで、私は、こんなに……責任、取ってよ……!」
「どうすればいい?」
どうすれば?
……そんなの、私が聞きたい。
頭の中は滅茶苦茶に混乱したまま、思ってもいなかった言葉が、口を突いて出ていた。
「……また、肩を、貸して……」
「ああ」
去年より、一回り大きくなった腕が、私を包み込んだ。
「……ふ、うう……」
ここで、私はやっと、声を上げて泣いた。




