アイザック・クレイトン(幼馴染み・宰相)
私には、腐れ縁の幼馴染がいた。
初めて会ったのは、王城の庭園で、6歳の時。
衝撃的な出会いだったと思う。私より華奢な少女が、刃物を持った不審者を一瞬で投げ飛ばしてしまったのだから。
そして何事もなかったかのように挨拶とともに浮かべられた笑顔は、深く私の印象に刻まれた。
今思い返してみても、本当にふざけた奴だった。
人生を全く真面目に考えず、いつも遠くから他人事のように斜めに眺めていた。
いつも突拍子もない悪戯を思いついては、私と王子のコーネリアスを巻き込んで、ろくでもない目に遭わされる頃には、一人で逃げ出している酷い奴だ。
いい加減で我儘で行き当たりばったりで、大人になっても子供じみたところがあった。
その一方で、常に人を食った全てを見通すような態度は、本当に一つしか違わない子供なのか疑わしいほど、大人びてもいた。
これが大預言者という人種なのだろうか。
随分長い付き合いだったが、あいつが真面目だったところは、見た覚えがない。それなのに、何をやっても人並み以上。特に学問に関しては、全く敵わず、それが余計癪に障った。
学園時代には、随分手を焼かされたものだ。
あいつの周りには、特別な奴ばかりが集まる。そして常に人の注目を浴びていた。
ギディオン・イングラムとのコンビでは、他の追随を許さない成績を叩き出し続けた。
かと思えば、ハンター家の不良どもと悪ノリの過ぎる遊びをして、呼び出しを食らう日々。生徒会の仕事に、スカートめくりの取り締まりなんて業務があっていいものか。まったく何をやりたいのか、意味が分からない。挙句の果てにはお前もやってみろと、私まで悪の道に引きずり込もうとする始末。
あいつと関わっていなかったら一生触れすらしなかったことを、随分と無理矢理やらされたものだ。私の行った誉められないことは、大体あいつ絡みと断言できる。
ギディオンやハンターの連中も、あいつとの繋がりがなければ、私自身はきっと関わることすらないはずの人種だった。
貴族として全く無意味なこと、害悪としか思えない数々の連中。何故こんな無駄に関わらせようとするのか。
当時はよく腹を立てたものだったが、貴族としては不要でも、人生においては必要であったのだと気付いたのは、大人になって随分経てからのことだ。
あいつが教師となって育てた人間は、無礼で型破りな者が多い。だが、ここぞという時に使える、能力も人格も信頼できるのは、大体あいつの教えを受けた者だった。常識や定石から外れても、自身の頭で最善の行動がとれる合理性。あいつの教育改革で、有能な人材は格段に増えた。
大預言者とは、一体どれほど先のことまで見えているのか――空恐ろしさを覚えるとともに、その余人には理解できぬ孤独に、気が遠くなる思いだった。
多くの者を導いてきた奴だが、誰があいつを導いてくれるのか。
あいつを理解できる者は、いるのだろうか。豪放磊落に振る舞い続ける、その一方に潜む心の闇に気付いている者は、はたしてどれだけいるのか。
親友とは言えコーネリアスは仕える王となる身。その意味では、私が全く対等にやり合った相手は、あいつだけだ。しかし、私にはとうとうあいつを理解してやることはできなかったように思う。
つまらぬことには大騒ぎではしゃぎ回るくせに、本当に深刻な場面では、どこか冷ややかで諦観した眼差しだった。
国家と他人の未来はどこまでも見通しながら、己の未来にまったく無関心だった。捨て鉢と言ってもいいほどに。まるで、今死んでも構わない風にも見えて、密かに案じたものだ。
生涯を通じて、あいつの周りには人が集まった。しかし当人は、誰も必要としていなかった。一定以上の距離に近付くことを、決して許さなかった。心の本当の奥底は、誰にも見せなかった。
それは預言者だからということではなく、きっと、自身の内面に関わる何かのためなのだろう。
最後に交わした会話は、今もはっきりと覚えている。何か、予感でもあったのだろうか。
何でもないことのように、唐突に生涯の秘密を明かされた。
曰く、自分は転生者であると。
あいつがいつも、地に足を付けずどこか遠くを見ていた理由が、少し分かった気がした。きっと、自分の半分を、前の人生に置いて来てしまったのだろう。
それにしても、本当にふざけた奴だ。コーネリアスも亡くなったばかりだったのに、私一人を残して逝ってしまうとは。
どこまでも勝手な奴だ。私があれから、どれだけ苦労したと思っている。
何より、お前を死なせたやつを、同じ目に遭わせてやりたいとどれほど思ったことか。きっと、それすらお前にとってはどうでもいいことなのだろうが。
11年も経ってから、ギディオンから真相を聞かされたが、憤りはなかった。むしろこれは同情、だろうか。
ギディオンが守った孫娘と、ノアの友人付き合いが始まったのは、確かその頃からだ。随分と評判の悪い娘だったが、ノアどころかキアラン王子まで引き付けるなら、相応の何かを持っているのだろう。
幼い頃から、王子の人を見る目には一目置いている。
調べてみて、驚いた。
その少女の素行や傾向、性情、趣味嗜好、行動パターン、そして何より、一度目の魔物発生事案における対応の仕方――頭の中でパズルがはまっていくような感覚を覚えた。
年齢も、ノアと同じ。
数年前から突然不自然なほどに右肩上がりとなったラングレー領の収益。王国を揺るがせかけたあの冷害すら、利用するように乗り越えて。ジュリアス・ラングレーのハーヴィー賞受賞も、それがきっかけだ。
調べれば調べるほどに、状況証拠が出てくる。
その当人がノアを訪ねて屋敷に来ると聞き、適当な口実を用意して、会いに行った。
そこにいたのは、令嬢の鑑のような完璧な立ち居振る舞いの、美しい少女。礼儀正しく思慮深く、利発ながら落ち着いた優美な物腰。
私をナメるな、と言いたかった。
そんな速度で資料に目を通す人間を、私は他に知らない。話の切り出し方、発想や理論の展開、他者の誘導の仕方、笑うタイミング――半世紀もお前を見てきた私の目を、誤魔化せると思ったのか。
負い目のせいか、身近過ぎたのか知らないが、ギディオンも情けない。惚れた女に何故気付かない。いや、それとも……?
いずれにしろ時間の問題だ。頭脳は優れているのに、妙に抜けたところがあるからな。
きっとこの先もどんどん見抜かれては、その度に温かい目で、見守られていくのだろう。
別れ際、つい私らしくないことを言ってしまった。それに対して、嬉しそうに微笑んだ少女。初めて出会った日の笑顔を思い出した。
自分のための人生から外れることを、強制された人生だった。自由に立ち回っているように見えて、ひたすら他人の役に立つためだけの人生だった。
しかし今のお前は、自分のための人生を生きようとしている。この3人の様子を見ていると、昔の私たちを見ているようだ。
部屋を後にしながら、今度こそお前らしい人生を全うできるようにと願った。
そして、ノアと王子にもエールを送る。きっとお前たちの世代は、振り回されて大変な目に遭うことだろう。
だが、私も通った道だ。健闘を祈る。
面白いことだけは、保証する。