再来
「あの花束……」
私に指摘されて、キアランとノアも視線を送る。
「ああ、あんな通りのど真ん中に置いたら、すぐボロボロになっちゃうよ」
「こっちに持ってこよう」
通行が途切れるタイミングを計って取りに行こうとしたキアランの腕を、思わず掴んで制止した。
「何か、すごく嫌な感じがする。近寄っちゃダメ」
来る前に飲んだ霊水が仕事をしたのかもしれない。はっきり感じて、握る手に力が入った。
「確か去年、瘴気の存在に真っ先に気付いたのも、お前だったな」
キアランは足を止め、花束に視線を戻した。その先を、馬車が通り過ぎた。
花束が車輪に無残に踏み潰された。微かに、パリン、と甲高い破壊音が聞こえた気がした。
赤いシミが、花束に広がっていく。
その瞬間、風船から空気が漏れ出るように、黒い靄が勢いよく大地から噴出し始めた。
「去年と同じだ!」
靄が凝縮され始め、形を取っていく。このままでは、去年のように魔物が生成されるのは誰の目にも明らかだった。
「全員退避~~!!!」
直ちに警備兵が叫び、周囲が大混乱に陥った。
「逃げるぞ!」
「待って!」
私の手を掴んだキアランの手を、振りほどく。
バッグから水筒を取り出した。蓋を開けてから、水筒ごと黒い靄に投げつけた。
霊水は靄にかかり、その下の大地にも浸み込んでいく。
途端に輪郭はぼろぼろと崩れ、靄は空気に霧散した。充満してた嫌な感じが、急速にしぼんでいく。
「よし、逃げよう」
誰も私のしたことには気付いていない。見ていたキアランとノア以外は。
まだ周囲の人たちは現状を掴めず、阿鼻叫喚は継続中。
逃げ惑う人たちの混乱に乗じて、今度こそキアランに手を引かれて走り出した。
少し離れたところまでひたすら走り、逃亡者の一団が落ち着いてきたところで、私たちも足を止めた。ノアもはぐれずになんとか付いてきたみたい。
逃げてきた私たちと入れ替わりで、武装した人たちが現場に向かってるし、もう大丈夫そう。
「さっきのあれは、何だ?」
キアランが早速問いかける。さすがに息も切らしていない。ちなみに横のノアは膝に手をついてゼエゼエいってる。鍛え方が足らんな。私は少し息が弾む程度で、会話に問題はない。
「お前の投げつけたもので、瘴気が清められたようだった」
「うちの別荘の近くに湧き出てる霊水だよ。念のため持ってきてよかった」
ちょっとドヤ顔。キアランも頷く。
「すごい効果だったな。教会の聖水で定期的に清められていたはずだったんだが、それは効かなかったようだ」
「聖水とかは分からないけど、多分カッサンドラ山由来の湧き水なら、効果あるんじゃないかな。うちのがそうみたいだから」
「そうか。だったらいくつかありそうだな。調べさせてみよう。あとでお前の別荘の湧き水も見せてもらっていいか?」
「う~ん。あそこ、私の特別な場所なんだけど。あんまり他人に荒らされたくないなあ。なんか霊験が落ちちゃいそう」
「だったら、俺だけは?」
「それくらいだったらいいよ」
「じゃあ、あとで案内頼む」
話がまとまったところで、やっと息が整ったノアも会話に参加する。
「それより、あの花束って……」
そう。それが問題だよね。
「中に、血が仕込まれていたようだな」
キアランが推測を口にする。
「血の穢れで、魔物を形作るあの瘴気を誘発したということなら、あの現場はこれからも危険地帯であり続けるということになる」
私もノアも頷いた。
「でも、穢れだけが要因なら、この1年の間いくらだって機会はあったよね?」
「夏至という、この時期も重要な要素なんじゃない?」
「そうだな」
それから、ノアが少し悔しそうに呟いた。
「あの現場に、犯人はいたのかな?」
確かに、犯人はすぐ近くにいたのかもしれない。他者に献花を頼んででもいない限りは。
そもそも血を仕込んだ花束なんて、無関係の第三者に頼むだろうか。きっと犯人本人か、少なくとも共犯者の可能性が高い。もし無関係の第三者だったら、口止めされてもおかしくない。
もしかしたら、私がやったことも見ていたかもしれない。霊水を投げつけて、犯人の思惑を潰した様子を。
まさか、これで犯人に目を付けられてたりしないだろうな。
それが黒いフードの男だったりしたら、目も当てられない。
「お前の屋敷まで送っていく。俺たちと同じ馬車で帰ろう」
キアランも同じ心配をしてくれたみたいだ。その提案に、素直に頷いた。
キアランが手で合図をしたら、どこからともなく人が出てきた。さすがに王子だけあって、影の護衛だかお付きだかはいたらしい。何か色々指図して、帰りの準備をさせる。
っていうか、去年といい今年といい、そこそこ危ない目にあってるのに、呼ばれるまで出てこないあたり、さすがのスパルタ教育だな。
それにしても、う~ん。予防と回避には特化してるけど、基本的に私って無力だなあ。圧倒的な暴力とか魔法の攻撃とかに曝されたら、どうしようもないじゃん。そもそも黒いフードの男一人に殺される可能性だってあるんだから。
「心配するな。無事に送るし、ジュリアス殿にもしっかり伝える。必要なら、警護も出す。もともとの顔見知りでもなければ、街中で見ただけの他人の身元なんて、そうそう掴めるものじゃない。尾行だけ気を付ければ大丈夫だ。そもそもあの混乱の中では、初めからお前を監視してでもいない限り、何があったのか分かるはずがない」
キアランは安心させるように、あえて気楽な口調で言った。まったく、どこまで人の内心を読むんだ、君は。ホントに、お気遣いありがとうございます。
「ちょっと、僕の心配は?」
「カツラまでかぶって変装してるやつが何を言ってる」
「何、この差」
ノアがわざとらしく不貞腐れた。
そして言葉の通り、厳重な警戒の下で、ラングレーの別邸まで安全に送ってもらった。
全く別の場所で、新たな犠牲者が出ていたことを知ったのは、翌日になってからだった。