悪い虫
今年の社交シーズンは、多忙を極めたまま、あっという間に過ぎてしまった。
相変わらずのトリスタンは、全てのスケジュールが終わるなりその日のうちに、単騎で領地に帰ってしまった。
イーニッドとマックスは、色々と後片付けをしてから、荷物を積んで馬車で帰る。
「王都は悪い虫だらけで心配だ。お前、ホントに気を付けろよ」
見送る私に、マックスがしきりに念を押す。悪い虫はたくさんいても、なかなか私には寄ってこないんだよ。心配するな。虫よけスプレーをしてるわけでもないのに、一体どういうわけなんだろうね? HAHAHA。
そしてマックスたちがラングレー領に帰ってからまもなく。
ついに夏至の日がやってきた。
あの猟奇殺人事件があったのは、ちょうど一年前になる。
ノアとは地味に考察を続けてきた。
現場はそこそこの交通量の交差点。そこそこの割には死傷事故の多い場所だけど、それ以外特筆すべき事実も見つけられなかった。次の事件現場なんて正直予測もつかない。
一応アイザックの手配で王都内の警備が増やされるそうだけど、起こるかも分からない事件のためにそれ以上のことはできない。
何も起こらないなら、それが一番なんだけど。
お出かけの前に、コップの水を一杯飲み干した。
実はこれ、メサイア林の霊水。
社交シーズンも終わって暇になったから、あれから何回か別荘に遊びに行った。湧水から採取した水の検査を叔父様に頼んで、飲めることの確認は取れた。だから別荘に行った時には、いつも汲んで持ち帰ることにしてる。
湧水まで歩き、水を汲んで担いで戻る。私一人の作業では当然大した量は持ってこれないけど、あるうちは飲料代わりに使ってる。結局、飲んでも、今のとこと大した変化は感じなかったけど。
ちなみに使用人を連れて行かないのは、サロメに作ってもらった水着に着替えて泳ぐため。私のトレッキングに付き合える体力を持った女性使用人は、残念ながらいなかった。
昨日もひと泳ぎしてから、汲んで持ち帰ってきた。おかげでちょっと冴えてるような気はする。水筒にも入れて、持っていくつもり。気休めのお守り代わりにでもなればいいけど。
どこに、と言えば、もちろん去年の事件現場へ。キアラン、ノアと待ち合わせしてる。
事件が起こるとすれば多分夜中だし、子供の私たちにできることなんてないけどね。一周忌の追悼と、ついでに今の現場の状況を見るくらいのことはできる。
友達との街歩きの口実で、今日はザラも連れて行かない。
服装は念のため、いつもよりは動きやすい感じにして、靴のヒールも低め。よそ行きを着たオシャレな一般人くらいには抑えてる。貴族令嬢の一人歩きはいろいろと面倒だからね。
それに去年みたいなことが起こるとは思わないけど、さすがに今年もキアランにパンツ見せる事態にはならないように、一応スカーチョにしてる。現在、露出多めデザインと並行して、女性のパンツスタイルも広めている最中だ。ミニスカートとキャミソールとパンツ、さて、どれが先に浸透するだろう?
街まで馬車に乗り、待ち合わせ場所のオープンカフェまでは一人で歩いていった。二人ともまだ来ていないみたい。
去年と同じ花屋で花束を作ってから、カフェでお茶を頼んで待つことにした。
でも一人での待ち時間は、まったく退屈ではなかった。
何故なら、すぐ近くでカップルのド修羅場が、唐突に始まったから。おやおや、これは是非とも後学のために見学せねば。
ちょうど二股が発覚したところらしい。普通にデートしていたと思われたカップルの前に、怒りとともに躍り出る別の女! これは目が離せない。ほうほう、浮気デートの最中、街中で鉢合わせしちゃったシチュエーションというわけですな。おっと、なんと三人目の女が現れた! 面白過ぎるな、チャラ男君! この分だと他にもいそうだ!
4人の激戦は……というか、女3人の戦いは10分ほど続き、宥めていた男の一言で終焉を迎えた。曰く――。
「まあまあ、どうせならこのまま4人で……」
続きを言う前に見舞われる数発の拳と蹴り。結果、地面に倒れ伏した男一人が、その場に残された。
いやー、兄ちゃんいいもん見せてもらったよ。グッジョブ! 健闘をたたえよう! 密かに親指を立てる。
「あー、いたたたた……」
全然懲りた風に見えない青年が、顔を押さえながらのっそりと起き上がり、埃を払った。
茶髪のロン毛なんてこの世界なら普通なのに、この男の場合、たちまちチャラく見えるから不思議だ。
年齢は十代後半くらい。服装も軽薄ながら、オシャレだし仕立てもいい。多分いいとこのボンボンくさい。線の細さはあるけど、背も高いしバランスもいいからモデルみたい。顔立ちも整ってて、モテる理由がよく分かる。
その焦げ茶色の目が、私と合った。途端にその瞳が輝き、ニコニコと私の元に歩いてくる。
うおおおおおおい、突っ込みどころがまず2点!!!
ターゲットが私に変更!!?
そしてお前、トロイか!!!?
現世での思いがけない遭遇に、思わず脱力した。