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キアラン・グレンヴィル(友人)

 その日のお茶会で、宰相に課題を出された。

 可能な限り多くの参加者と接触を持ち、顔と名前、その特徴を掴むこと。


 将来、学園やその先のことを考えれば、悪くない機会だ。側近はともかく、婚約者候補も絞っておけという含みには、思うところがないわけでもないが。


 ここにいる子供のほとんどは君を身近に知らないからじっくり観察するといいと、幼馴染みのノアから、愛用のかつらを押し付けられた。

 不実な気もするが、好奇心に負けて、言葉に従ってみた。


 確かに周りの態度がいつもと違う。対等な立場から、相手の本質がよく見極められる。気さくな者、横柄な者、如才ない者。中には俺が王子と明らかに気付きながら、意図を理解して気付かない態度のまま接する者もいたりして、確かに将来傍に置く人間を下見するには最適な状況が造られていた。


 けれど、女子に関しては気が乗らない。おじい様も父上も、学園を卒業後すぐに結婚した。そう考えれば、たった7年後のことなのだから、真剣に考えておく必要はあるのだろう。とはいえ、お二人とも学園で相手を見つけた恋愛結婚だ。やはり、まだ焦る必要はないように思う。

 今はまだ、友人を増やせればいいだろう。


 いずれにしろ俺が自由に動けるタイムリミットは、学園を卒業するまでだ。それまでは、自分を鍛える時間のほうを優先したい。本来ならお茶会やパーティーより、エインズワースのおじい様の下で、修行していたいのだが、これも公務と思えば仕方ない。

 

 予備情報によれば、今回参加する中で、問題児の令嬢は二人。ティルダ嬢とグラディス嬢。前者は派閥を作っての横柄な振る舞いが目に余り、後者は傍若無人で真正面からの対立を繰り返すという。


 懸念は的中し、早速両者のトラブルが起こったとの報告。大人は介入しない手はずだから、俺が収めるしかない。


 少し様子をうかがってみると、俺が割って入る必要性が見出だせなかった。


 正直区別が付きにくい少女たちの一団と、一線を画する異質な様相の一人の少女。

 ティルダ嬢と取り巻きが、一方的にねちねちいじめている様に見えるが、相手の少女は全く歯牙にもかけていない。あれだけ言われているのに、本当に、全く興味がない。明らかにどうでもいい。


 かと思えば、口を開けば流れるような悪意のない罵詈雑言で、たちまちティルダ嬢を泣かせ、面倒になったのか、さっさとその場を立ち去った。


 まさに噂通りといったところか。


 こちらに向かってくる。通り過ぎるのかと思ったら、俺の目の前で立ち止まった。間近からその青い瞳で真っ直ぐに視線を合わせてくる。


 見つめ合っている――と言えば聞こえはいいが、絶対に違う。すでに見飽きた、取り入るための媚びる目でもない。


 この目は、まったく俺を見ていない。


 まるで目の前の絵画や花を観賞するような……あくまでも俺の目だけを、物として見ているようだ。

 よくここまで『人』に興味を持たないものだと、逆に感心すらする。


 話しかけたら、どんな反応をするのだろう。興味が湧いて、王子として模範的な建前を口にしてみた。実際は、衝突の善悪を語るつもりはなかったが。


 悪びれも言い訳もない、どこまでも真っ直ぐな返答。俺は全く相手にもされず、歩いていくグラディスを見送った。


 自由――ただ、自由。


 そんな印象を持った。誰にも束縛されず、己の欲するままに。あの振る舞いはきっと、誰が相手でも変わらない。王だろうが媚びず、平民だろうと見下さない――ひたすら自分の価値観だけを信じる精神の自由。

 俺には決してできない、羨ましいほどの――。


 現時点で、これだけは言える。もし、この場に俺の将来の結婚相手がいるとしても、グラディスだけはない。

 あんな自由な人から、自由を奪うような真似はできないから。その代わり、友人にならなれるだろうか。俺に異性としての興味がなく、野心もない彼女なら、きっと。


 二度目の出会いは、違和感から始まった。


 街中での偶然の再会。

 全くの別人のようだと思った。


 あれほど他人に興味のなかったグラディスが、俺たちを――『人』を見ている。全く面識のなかった、被害者の少女のことすら思いやっている。

 一体何があったのだろうか。一人の人間が、これほどまでにガラリと変化するとは。


 生き生きと、やりたいことを自由にやる姿勢や行動力は、変わっていないのかもしれない。でも、内面が別物だ。前のままなら、興味を持たれるまでは時間がかかったかもしれないが、あっという間に友人になってしまった。


 そしてその後の魔物騒動。

 背後に護りながら、動揺の気配は全く感じなかった。


 防ぎ損ねた飛礫に焦って振り向けば、スカートを翻して、高く振り上げられた足が目に入る。

 まずいと思う以上に、美しさに目を奪われた。正直に言えば、技にも、足にも。


 明らかに戦闘などできない華奢な肉体で、どうしてこんな動きを身に付けられたのだろう。

 見たことのない動作ながら、まるで数十年の熟練を感じさせるような洗練された技術に見入り、はっと我に返った。

 気まずく謝るが、気にした様子がまったくなかったことにほっとする。

 そしてあの身のこなしに関しては、ダンスだと言い張る。


 本当に謎だらけの少女だった。


 三度目の出会いは、王城の演習場。


 新しい義弟のマクシミリアンとは、従兄弟ということもあってとても仲がよさそうだった。マクシミリアンは俺を随分ライバル視していたようだ。そんな心配は必要ないのだが。


 訓練が終わり、一人待たされるグラディスの相手をしにいって、傍の毛虫に気付いた。見学中から相当気にして避けていたようだったから指摘したら、予想以上の過剰反応に驚いた。

 怖いものなど何もなさそうなグラディスが、ここまで怯えるとは。


 そして何気なく話題にしたガラテア様の話に、なぜかひどく驚愕していた。問われるままに詳細を答えれば、顔色がどんどん蒼くなり、生気すら失いそうだ。

 表面的なものではなく、多分、グラディスの内面に関わるような話をしてしまったようだ。


 その様子に、少し勘違いしていたことに気が付いた。グラディスは、『人』を見るようになったんじゃない。『自分』を見なくなったんだ。


 初めて見た時のグラディスは、見たいものだけを見ていた。主観しかなかった。今は逆に、まるで客観しかないようだ。

 前者なら珍しくもないが、後者は、正常とは言い難い。他人事としてしか正視出来ないような何かが、心の奥深くにあるのかもしれない。


 いつも自信に満ち溢れ、生き生きとしたグラディスが、崩れ落ちそうなほどに動揺していた。

 幼い従弟たちをあやすようにしてみたら、しばらくぽかんとしてから、気を取り直せたようだった。


 でも、根本が解決したわけじゃない。強さと脆さを、両手に抱えた危うさがある。気にはかかるが、深入りしては駄目なのだろう。有耶無耶なまま、その場は別れた。


 あの中途半端な別れ方は、グラディスも気になっていたようだ。

 今日の授賞式で見つけて声をかけたら、ダンスに誘われた。


 老婆心で、つい余計なことを言ってしまったかもしれない。泣かせてしまった。

 俺の肩に頭を預けて、微かに震えながら嗚咽を漏らしている。


 だが、心の整理を付けるには、泣くという行為も、必要な過程なのだと思う。

 落ち着くまで、見守っていよう。

 脆くとも、強い人だから、きっと自分なりに答えを見つけるだろう。

 

 少しして、上げられた顔は、どこか晴れやかに見えた。師匠との関わりは気になるところだが、今はいい。立ち直れたのなら。


 それから俺の服を濡らしたことを気にするから、以前あったやり取りの再現で、とぼけて見せる。


 グラディスは「何でもない」と、赤く泣き腫らした目で笑った。


 心臓が、跳ねた気がした。

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