ジュリアス・ラングレー(叔父)・1
姪が突然、ラングレー領へと旅立ってしまった。
あれから5日。そろそろ到着した頃だろうか。
彼女に限って万が一にも危険などはないはずだが、それでも心配は尽きない。
私の姪は特別だ。
誕生したのは、私が11歳の時。
領地で公爵の本分を果たす兄の代わりに、王都に滞在する義姉のグレイスの世話を頼まれていた。
正直、私はグレイスが嫌いで、彼女が王都別邸に住むことが決まった時は、すぐに大学寮に移ったものだ。しかし故郷で神童と呼ばれる兄の跡継ぎとなる第一子の誕生は、しっかりとサポートしなければならない。
私も学問の世界では神童と呼ばれるが、そんなものは公爵家では何の意味もない。せめて、子爵か男爵辺りの家に生まれていればと思うのも詮無いことだ。
王都で自由に研究に打ち込ませてもらっているだけでも感謝すべきなのだろう。
出産が始まった知らせは、大学の研究室にこもっていた時にもたらされた。各方面への連絡や手配は執事のジェラルドがしているはずだ。私は急いで屋敷に向かったが、そこには大変な難産が待っていた。
予定より半月ほど早かったため、兄たちはまだ王都へ来る準備もできていなかった。故郷の一族は出産には間に合わないだろう。
早めに王都入りしていたギディオン公だけが、私と前後して駆け付けたが、私たちにできることなど何もない。
無力な2日間を過ごし、グレイスの命と引き換えに、女の子が誕生した。娘を失い、孫娘を得たギディオン公は、ひどく複雑な表情をしていた。私も言葉少なにお悔やみを言う以外できなかった。
難産にも負けずに生まれた、とても元気な女の子。
その姿を初めて見た時の記憶は、一生消えることはない。今までたくさんの生物を観察してきたが、これほど愛しい生き物がこの世に存在することが信じられない思いだった。私は一族の中で、誰よりも先にこの奇跡の存在を腕に抱いたのだ。
その日から、私の観察はグラディスと名付けられた彼女へと向いた。
駆け付けた兄や親戚たちは、娘の誕生の手続きやグレイスの葬儀その他を終わらせると、落ち着く間もなく、グラディスへの別れを惜しんで領地へと帰っていった。
跡継ぎ候補の誕生は一族を挙げて喜ばれたが、新生児の長旅は難しいため、腰が据わるのを待ってから領地へと連れて行くことになった。
誰もグレイスの死をさほど悲しんでいる様子がなかったのは、それが彼女の生き方の結果だったということなのだろう。
たとえ半年ほどでも、私が姪の保護者だ。すぐに屋敷に戻り、彼女を見守ることにした。
彼女が普通ではないことには、すぐに気が付いた。
まだ目も明かないはずの赤子が、特定の人間が見えるほどの距離にいる時だけ、激しく泣き叫ぶ。私が観察した限りでは3人。必ずその3人だった。
すぐに調べると、その3人とも、私が大学寮に入っている間に、当家で横領や窃盗に手を染めていた。
誕生から3ヶ月間、信頼できる人間だけがそうやって彼女の篩にかけられ、周りに残った。
グラディスがあまりにむずかって外出を諦めれば、行くはずだった場所で事故が起こる。
グラディスが微笑んだ相手との仕事は必ずうまくいくし、嫌った相手には必ず裏がある。
そういったことの全てのデータを詳細に取り続け、半年と待たずに私は確信した。
彼女は預言者だ。いや、恐らくは更に上の……。
1年以上前に亡くなった、偉大な大預言者を思い出した。国家と教育に捧げられた人生。ただ、それだけの……。
この愛しい姪に、そんな人生を送らせるわけにはいかない。進む道の全ては、国家による強制ではなく、彼女自身の選択であるべきだ。彼女が自分の力を認識し、自ら選べるようになるまでは、この秘密を守り通さなければならない。
人の出入りの多い領地の本家では、秘密の保持は難しい。人の繋がりが強い分、私の一存での人選ができないし、そもそもトリスタン兄上に秘密が守れるか分からない。
この王都の別邸で、少人数の閉じた世界の中、信頼できる人間だけで、彼女を守り抜くと決めた。
グラディスの引き渡しを要請してきた本家を何とか言いくるめ、王都での養育を強硬に主張し押し通した。
幸いランスロット兄上の奥方、イーニッド義姉上の出産も控えていたおかげもあって、先延ばしに成功した。生まれた子供は待望の男児で、ますますグラディスへの注意は逸れた。一族を取りまとめるセオドアおじい様は、こちらの理解者で、色々と便宜を図ってくれていることも大きい。
やがて掴まり立ちができるようになり、言葉が出るようになったグラディスは、ますます愛らしくなる一方だった。
初めて「おじたま」と呼ばれた記憶も、脳内に映像で一生残すと決めている。
悲劇が起こったのは、グラディスが3歳になった時。ランスロット兄上が戦死した。
いつもマイペースでご機嫌なグラディスが、珍しく激しく泣き続けていた日の夕刻、伝書鳩で最速の一報が届いた。
戦い以外の全てがおざなりなトリスタン兄上を、ずっと支え続けてきたランスロット兄上。
『俺がいるから、お前は自由にしろ。領民を豊かにするための研究も、等しく価値がある』と言ってくれた兄上が、もういない。
今後、研究に打ち込める生活は難しい。間近に迫ったバルフォア学園の3年間を終えたら、領地に帰らざるを得ないだろう。
それまでにはグラディスも7歳となる。領地に戻っても、必要な立ち回り方を、よく言い聞かせられるはずだ。
「おじたまのごーるは、りょうちにあるの?」
3歳のグラディスが尋ねてきた。
この頃からグラディスがよく口にするようになった『ごーる』という言葉。きっと、余人には見えない先のことが、彼女の目には見えているのだろう。
「おじたま、だいちゅき。おじたまがかなちいのはいや。ずっと、このおうちでいっちょ」
グラディスは、その青い瞳を私に真っすぐ向けて、はっきりと言ってくれた。
これは、大預言者の予言。
たとえ周りからどんな圧力がかかろうと、可能な限りこの王都の、この屋敷に居続けようと決めた。