贈り物
あまりに予想外な、あるはずのないものに、目を見張る。
タイムカプセルの中でずっと眠っていたものの正体は、一式のドレスだった。
靴もアクセサリーもコーディネートされた一揃い。
ただし、一目でただ事ではないと、私だけには分かるもの。
信じられない思いで、ドレスを手に取って広げてみる。
カシュクールの襟元と、上から徐々に広がるベルスリーブの袖口には、上品なレースが縁取られている。薄い水色の地色に、白やピンクや紫の花模様が艶やかに散らされて。
エンパイアラインで、高い切り替え位置にあるベルトのリボンは、背中側ではなく胸のすぐ下で結ぶタイプ。
紺色のスカートはくるぶしの少し上くらいのマキシ丈。張りのある生地が幾重かに折り重なり、広がって揺れる。
一緒に入っていた靴は、ドレスに合わせてのハイヒールではなく、編み上げのショートブーツ。
それに、薄紫の芍薬のような大ぶりな花をモチーフにした髪飾りが一つ。それ以外のアクセサリーはネックレス一つない。
確かにデザイン的にはこちら風のドレスだけど、見た瞬間に思い出したのは、一周目の卒業式で私が着るはずだった袴――。
日本人が見たら、着物ドレスだと思うかもしれない。
世に出すにはまだ時期尚早だと思って、私も手を付けていなかった着物ジャンルの衣装を、なぜグレイスが持っていたのか――?
「――ああ……本当に……」
しばらく前から、薄々感じていた疑念があった。
もう確かめようもないし、知ってどうなるものでもないと思考放棄してきた、ある可能性。
グレイスが何者なのか。
ぼんやりとさせたままでいたその答えが、今はっきりと目の前に突き付けられた。
手にしたドレスのサイズに、手が震えそうだ。
他にズラリと並んでいるグレイスのドレスとほぼ同じで――けれど、ウエストだけが一センチ大きかった。
「…………っ」
喉の奥が、熱くなる。
――これは、私のためのドレスだ。
言葉も出ない。
姿見の前で、体に当ててみる。
今の私のためにあつらえたようにピッタリのサイズ。
「まあ! これは、グレイス様がご自身でお描きになったデザインのものです」
隣で見ていたヘレンが、驚いていた。それから当時のことを教えてくれる。
私と違って、基本的にファッションはデザイナー任せだったグレイスが、出産の数か月前に、何の気まぐれか、一度だけドレスのイラストを描いたことがあったそうだ。
変わったデザインだったから、印象に残っていたと。
いつの間にか発注して、ここに保管されていたのですねと、ヘレンは不思議そうにドレスを見つめた。
もう、間違いない――目を閉じて、事実を受け入れる。
私の一周目、大学生だった頃のこと。
見本を見た瞬間に一目惚れして、すごく楽しみにしていたのに、とうとう着ることのできなかった卒業式用の袴。
デザインも色も模様も、イメージの何もかもが重なる。
これだったら、私が着物的で風変わりなドレスを着ていても、変に怪しまれたりもきっとしない。母の遺品だと言えばいい。
さすがにあんたの母親ねとは思われるだろうけど。
ぬくもりを感じる暇もなかった生みの母親から、サプライズのプレゼントを受け取ったような気分だ。
最初で最後の、グレイスからの贈り物。
私が生まれる前から、十六年以上もの間ずっと、私が取りに来るのをここで待っていたのだ。
「――グレイス……」
ドレスを前にして、言いようのない感情に、心を揺さぶられた。
以前から察しながら、認めたくなくて目を背けていた予感。
トリスタンは大預言者の私をこの世に生み出すために、預言者として国に見出される運命を免れた。
だったら、その運命を負わされた人間はもう一人いても、おかしくはないと。
私の人生の分岐点で、何度も大きく関わってくる存在。それは死後もなお。
――グレイスもまた、私をこの世に生み出すために存在した、無自覚の預言者だった。
私を殺して、私を産んで……私をこの世に生み出すためだけにあったかのような生涯。
もしかしたら、妊婦服のほとんどを処分したのは、次がないことを予期していたから?
罪悪感とは違うけれど、無性に言いようのない感情で胸が疼く。
私を産んで十六歳で死に、死後もなお魔物に肉体を弄ばれているような現状を思えば、いっそ預言者として城で窮屈ながらも長生きをして、大事に扱われていた方が幸せだったんじゃないだろうか?
違う環境で育っていれば、もう少し生きやすいような――少なくともあれほど苛烈な性格にもなっていなかったかもしれない。
好きなように生きて、好きなように死んだ人だと思っていた。
でも実際には、彼女自身の人生は、どこにあったんだろう。まるで運命に翻弄されたような短い一生。
誰の声にも耳を貸すこともない、どこまでも自分勝手に生きたグレイスは、何故か命を捨ててでも私を産んだ。
彼女の一生は、幸せなものだったんだろうか。自分の運命をどこまで見通していたんだろう?
始めから自分の死の未来を受け入れていたの? それとも私を恨んでいた? あるいは無自覚だから、何も知らないまま?
どんな思いで私を産んだんだろう? そしてどうして、このドレスを遺したの?
私の記憶に残るのは、あの雪の日にたった一度だけ出会った、立ち尽くす少女。強張った表情で私を見下ろし、逃げるように去っていった後ろ姿。
あの時、彼女の目には、死にかけている私の他に、何かが見えていたんだろうか。
――大預言者なのに、私は何も分からない。
誰も彼女を理解する人間はいない。
永遠に答えの出ない謎に、もやもやとしたものを胸に抱えて、ただ思いを馳せるしかない。
産んでくれたことへの心からの感謝とともに、母からの贈り物を身に纏うことで。




